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34・常在戦場

 総次郎が客間に出掛けてしばらくした頃、部屋で授業の支度をしていると、僕まで呼ばれて客間へ行くことになった。


「お前が知らせてきたあの話……本当か、千徳」


 客間で待っていたのは、長員だった。


 朝、僕は朝目が覚めると顔も洗わずに自分の文机に向かったんだよ。

 昨晩フランシスコが言っていた話の内容が忘れられなかったからだーー思い返せば思い返すほどになんだかひどく嫌な物を感じて、これはきっとすぐに報告をした方がよいだろうと思った。


 そういて僕は調査した噂の内容を文にまとめ、鈴彦に渡してもらったら、案の定長員が飛んで現れたというわけ。


「そうだよ。僕、死んだ生徒の幽霊が出るっていうウワサを調査していて聞いちゃったんだ! キリシタンの信仰を許すのと引き換えに、大阪の豊臣家に味方をするように誘われた……って、死んだフランシスコ殿がそう言ってたんだよ」


 長員が僕の脇を見る。そこには火車が座っているよ。彼にも火車が見えるのさ。


「死んだ人間の言うことなんぞ……本来であれば信用などせんのだが……まあ、お前の場合は例外だ。ウソというわけでもあるまい。叔父上からもお前のそういう体質の話は聞いている」


「ウソなもんか。おいらだって確かに聞いたもんね」


 長員は火車の言葉にうなずいた。


「フランシスコは気をつけてって僕らに言ったんだよ。願いを叶えるのと引き換えに、徳川の家を裏切るようにって……豊臣家に味方するようにって……そう声をかけている奴が学寮の中にいるらしいんだ。僕、確かにちゃんと聞いたんだよ。僕の同寮の二人だって一緒に聞いたんだからね」


「学寮の中にそのようなことをする輩がいるとは……まさか……」


 長員は僕に顔を寄せて小声で言った。


「……今から話すことは絶対に他人には言うなよ。もちろん、お前の同寮の二人にもだ」


 僕は強く頷いた。火車もぶんぶん首をたてに振る。


「最近……お城の外でもそういう話がよく聞かれるようになった。大阪の豊臣家が味方を集めている。望みを叶えてやるから、その代わりに自分達の味方をしろとあちらこちらの大名や侍に話をしておるのだ。キリシタンたちにも……」


「じゃあ……やっぱり、そういう奴が学寮の中にもいるってこと?」


 長員は頷いたよ。そうして僕から視線を落として言葉を続けた。


「……その、南の御殿のフランシスコという名前の生徒のことは俺も知っている。南の御殿にいたというキリシタンの生徒だろう? 彼が死んだ理由は自殺ではない。彼の実家の事情だ。それ以上のことは俺も言えん。ただ……彼の弟と母親も一緒に亡くなったと聞いている。皆キリシタンだった」


「弟と母親も一緒に・・・・・・?」


 僕はフランシスコの言っていた言葉を思い出した。


《僕……それで、兄上に相談したんだ。僕の兄上は家康さまにもうんと信頼されたお殿さまなんだよ……だから、徳川の家を裏切るなんて絶対に出来ない。僕が死んだのは……仕方ないことだったんだ》


「僕と同僚の二人、学寮の中でフランシスコの幽霊を見たんだ。フランシスコの幽霊は……怒ってもいなかったし、悲しんでもいなかったよ。なくしものを探しにこの世へ留まっていただけだったんだ」


 僕は別れ際のフランシスコの顔を思い出したよ。


 穏やかで、静かな顔をして、彼はただ僕らに「ありがとう」と言っていた。母上や弟が待っているぱらいそに行くとも言っていた。


「フランシスコ殿が自害して怨霊になって南の御殿の生徒を恨んでるなんて話もあったらしいけど、それはフランシスコ殿と同じ寮のみんなが付いた嘘なんだって。それもちゃんと本人たちに話を聞いてきたんだ」


「一体なんのためにそんな嘘を? 死んだ生徒の同寮ということは、そやつらも南の御殿の生徒ではないのか?」


「ええっと・・・・・・それについてはまだ」


 調査中ですので、と僕は頭を下げた。そうだよ、それがもっとも重要な点だ。やっぱり蟹寮のみんなにはもっと話を聞く必要がある。


 長員はしばらく何か考えているようだった。


 僕はまたこの間のように、長員に出されたお茶菓子をもらって、大きな口で一口かじった。今日はまたこの間とは違うお菓子だったよ。


「……とりあえず、よからぬ噂が広まっておるというのであれば、お前がそれとなくその話の真相を学寮の中へ広めるのだ。生徒達を落ち着かせるためにも、噂が誤りであったということをわからせねばならん」


 僕はお菓子を食べながら頷いたよ。それについてはもう既に手は打っていたんだもの。


 フランシスコがロザリオを取り戻して無事成仏出来ただろうことは忠郷が加藤忠広に伝えてくれる事になっているし、それなら話はほどなく忠広の口から他の南の御殿の生徒たちにも伝えられる。


 そうして西や東の御殿の生徒たちにもウワサが伝え広められていくに違いない。おまけに忠郷は西や東の御殿にも親戚筋の生徒が大勢いるし、それならお喋りな忠郷は絶対彼らにそれを話すに違いなかったもの。


「それで……フランシスコが言っていた話の方はどうするの? それとなく他の生徒に聞いてみる?」


「……いや、これはさすがにお前に頼むにしては事が大きすぎる。学寮の生徒が豊臣の内通者にそそのかされていたなどということがもしも事実であるなら……これは一大事。有馬家の騒動がよもや斯様な理由によるものだったとあらばえらい騒ぎや。しかし、まさか幽霊の言う事をただ真に受けるというわけにもいかんな」


「そうなの?」


「当たり前やろ。将軍さまに《うちの従兄弟が幽霊からそう聞きました》なんて言えるわけないやないかい!」


 そ、それはそうかもしれない……僕と火車は顔を見合わせた。


「……なんとしても内通者がいたという証拠を探さねばならん。慎重にせねば取り逃がしてしまうだろうからな。お前なんぞの手に追える仕事ではない。あとはこちらに任せろ」


 なんだかとても見くびられた気がして、僕は腹立たしい気持ちで頬をふくらませた。


 せっかく一つ学寮の噂を集めて、しかもそれを解決までしてやったんだからもう少し頼りにしてくれてもいいのにさ!


「いいか、千徳? 江戸のお城の外はいろいろときな臭い。そうした気配はどうやら学寮の中にも及んでいるようだ……お前も用心しておけよ」


「きな臭い、ってのはどういうこと?」


「……ここだけの話だが」


 そう前置きをして、長員は僕の耳元で


「……戦の気配がするということだ。豊臣家が自分の味方を集めているのもそのため」


 とささやいた。


「いくさ!?」


 僕もうんと小声でくりかえした。長員は無言でうなずいたよ。


「……そういうことだ。お前も注意をおこたるな」


 僕はおまんじゅうの残りを一息で口に入れて、胸を張った。そうしてドンと強く胸を叩いたよ。


 それなら大丈夫、任しといてよ! 


 だって、上杉兵ってのは《常在戦場》! いつだって戦場にいるような心構えでいないといけないんだからね。


 僕は上杉の家の若さまなんだから、謙信公が言っていたそうした心構えはいちおう、いつも胸の中にちゃーんとあるのさ。例え戦経験はなくたってね!



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