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32・総次郎の面会

 次の日の朝、僕が今朝も独りで朝餉を食べていると再び鈴彦が申し訳なさそうに急な面会の話を伝えにやってきた。


 今日は総次郎の番だったよ。

「はああ? 面会ってのはもっと前もって知らされるんじゃあなかったのかよ! きのうのこいつの母親に続いて、うちの親父殿まで……」

 総次郎は朝は苦手とあって初めは寝ぼけ眼で聞いていたけれど、次第に表情がこわばりだしたから、ああ、やっと目が覚めてきたんだなと思った。

「はあ……おそらく、剣術の上覧試合の話が江戸屋敷にいらっしゃる保護者の皆様の元へ届きはじめているのではないでしょうか」

「じょうだんじゃねえぜ、まったく……」

 総次郎は寝間着で座り込んだまま面倒臭そうに項垂れた。

「政宗殿も今江戸にいるんだね」

「あんたの父親って派手好きなんでしょう? 恥ずかしい応援はしないでよ?」

「はあ? 試合結果が恥ずかしいことになりそうなお前にだけは言われたくねえよ」

 二人がまた口論を初めたので、僕はとりあえずそっちは無視して鈴彦に声を掛けた。

「ああ、ご飯のおかわりですか?」

「ううん。ごはんはもういいよ。ねえ、学寮に将軍さまのご家来って人が来ていない? ほら、学寮の目付役っていう人……」

 知らない? と僕が尋ねると鈴彦は

「前から来ている人ですか? それとも今朝見えられた方ですか?」

 と逆に尋ねてきた。

「今朝?」

「ええ。上条と名乗る御方は少し前からいらしていて学寮の中のこととか色々調べておいでなんですけれど、今朝はまた、今後は駿府の大御所様のご家来だという方がお見えになられていましたよ」

「じょうじょう……」

 なるほど――そいつが長員だと僕は思った。

 長員はうちの家を出奔してはいるけれど、一応上杉姓を名乗ることを許されている(父上が許してあげたのだ!)

 しかし《上条》というのは長員の父上が昔うちの家臣であった時に使っていた姓であるから、それを名乗るということはつまり、自分が上杉の一族であるということを学寮では伏せたいということなのかもしれない。

 僕に仕事の手伝いを頼んだりするくせ、上杉の一族とは思われたくないなんて――一体なんなのだ、うちの従兄弟は。

「その人にさあ、この文を届けて欲しいんだよね」

 僕は朝起きて一番に書いた文を懐から取り出すと、鈴彦に差し出した。

「そいつは僕のことを知っているはずだからさ、北の御殿の上杉千徳からって言えばこれを受け取るよ」

 鈴彦は二つ返事で文を受け取った。

「すぐに渡して参ります」と言うと、僕が食べ終えたお膳を下げて部屋を出て行ったよ。




 自分は所謂《問題児》なのだろうーー総次郎にも一応そういう自覚はある。


 先だって保護者が学寮へ呼び出しを受けたこともそうであるし、通算三人目になるという鶴寮の寮監督の顔をぶん殴ってしまったことも自分の記憶には新しい。

 それ以来鶴寮には寮監督がいないのだから、事態は自分達が思う以上に深刻なのだろう。

 

 思えば、自分はそもそも学寮への出仕からして問題だった。

 

 元服を済ませ独りで何もかも問題なく出来る丁度いい年頃ということもあり、総次郎には学寮創設当初から出仕の話が出ていた。

 大御所様からのお達しとあれば断る理由もない。自分は伊達家の嫡男であるのだし、そういうものを江戸の城へ集めると言われたなら行くのが筋と言うものだった。

 

 そこへ何かと難癖を付けて今年の始めまで出仕を伸ばし伸ばしにしていたのは、偏に父ーー伊達政宗が原因である。

 父は嫡男である自分が他の大名家の子息らと十把一絡げに扱われるのが甚だ我慢ならないらしく、出仕の話をずうっと断り続けてきた。

 今年の始めにようやく父が折れて自分が学寮へ出仕したその数ヶ月後に、同じ寮へ上杉千徳が来たものだから、総次郎としては何か裏を勘ぐってしまう。


「剣術の上覧試合楽しみだのう! もちろん、勝てる算段はあるだろうな?」


 月見草の客間で待っていた父ーー政宗は殊の外上機嫌だった。お気に入りの南蛮製の扇子で風を送っている。

「……某は当然負けるつもりはありませんが、なにせ寮対抗の団体戦だそうですから、一体どうなることやら……」

「なに? そうなのか?」

「某が勝っても他の二名が負ければ意味がありません。おまけに対戦相手の寮には柳生の門弟がいるらしく、相当な腕前とか」

「柳生……ははあ、新陰流とかいうあれか。秀忠公の指南役……」

 そうです、と言葉を返すと父は

「それはまた名を挙げる絶好の好機。必ず勝てよ! 寮の勝ち負けなんぞどうだっていいわい!」

 と笑った。およそ想像通りの反応である。

「第一、他のお前の寮生なんぞ、てんで剣術が出来るようには見えぬ。上杉の小倅はまだちんちくりんだし、蒲生の若殿はおなごのように軟弱だ。噂じゃ武芸の稽古は全て母親が見学させておるらしいな」

「そうです。身体が弱いのだとか」

 ふうんーーそう呟いた父が悪どい笑みを浮かべているのを見て、総次郎は嫌な予感がした。


「……そう長くはないやもしれんぞ、蒲生の家」


「なんですと?」

「先代から続く家中の騒動は未だ静まる気配もなく、あの母親がかえって火に油を注いで更なる大炎上が始まる有様だ。領内で大地震まで起きたというに騒動のおかげで未だその片付けにまで手が回らぬというのだから、家臣皆々凄まじい怨嗟の声を上げておるのよ。まったく……統治できぬというなら会津は幾らでもうちが貰い受けてやるのに……」

 瞬間、総次郎の脳裏には昨日の忠郷と彼の母親とのやり取りが思い起こされた。

 忠郷の文机に山と積まれた実家からの文。

 あれらが全てそういうものであったとするなら、そうしてそれを全て受け止めることが己の責務であるなら藩主というものがどれほど気鬱な務めであるかーー総次郎は想像して胸が悪くなった。


 蒲生忠郷は蒲生家の嫡男で長男だ。

 下には弟もいるという話だが、父親は既になく、頼る人間は母親のみで、頼りにしているという家臣の名など彼からは一度も耳にしたことがない。

 

 総次郎には父がいる、母もまだ健在で、下には弟が山程いる。頼りにしている家臣もそれなりには大勢いる。

 家中は統率も取れているし、父は天下には手が届かないまでも、軍神などとまでは呼ばれないにしても、六十万石の領国を賜るくらいには大した武将と思う。

 自分がいなくても弟の誰かが父の後を継ぐであろうし、自分も彼等も父の言うことを聞いてそつなくこなしておればお家に大事はないだろう。

 

 けれども――


「それよりもお前、池田家の娘とは上手くやっておるのだろうな? 先日、そういう催しがあったと聞いたぞ」

 父は地獄耳だから油断ならないーー総次郎は心中で舌打ちを繰り返していた。

 上手くも何も、前の姫路藩主の娘だとかいう姫さまとはまだ一度もまともに会話をしたことがない。

 そればかりか、視線が交わったことさえろくにない。

 この間の交流会も、一応挨拶だけはしたものの壮絶にシカトされたので、始まって早々に会をサボって部屋へ帰った。

「……ええ、まあ。彼女とは……それなりです」

 強いて言えば、同じ空気を吸っている程度の距離感にはいる。

 ただし、それだけだ。今年に入って学寮へ来てからもう四度目の交流会だが、それ以下にもそれ以上にも未だ何の進展もない。

 一瞬、脳裏につい先日垣間見た彼女の冷たい横顔が思い起こされて益々総次郎は気が重くなった。

「まったく……学寮というのは外からは何をしておるのか皆目わからん。一体何をどこまで教えるというのだ。将来のためとは聞くが……よもや、跡継ぎの拵え方まで教えようというのではあるまいなあ?」

「……各地の大名家から通いで授業を受けに来るおなごが適当に我らに声を掛け、適当に話をして終いです。授業と呼ぶようなものではありませぬ。まるで品定めをされておるようで気分が悪い」

「ふうん……なんじゃ」

 つまらない、とでも言うようにそう返答をして政宗は言葉を続けた。


「まったく、いつまで斯様なところへお前を預けねばならぬのか……それはそうと、総次郎。なんぞ面白いことでもわかったか?」


 ほら、きたーー総次郎は父の隻眼の奥に光るものを感じて諦める。


「父上が満足されるような面白い話ではありませぬが……同寮の上杉の御曹司は怪しげなものを飼い慣らしていますよ」

「怪しげなもの?」

「ええ。傍に始終不思議なけだものがくっついている。だからなのか、なんなのか……幽霊だの怨霊だのという類のものが見えるそうです。自分の傍にもそういうものがいると言われましたよ」

「けだもの? 化物の類か? ばかばかしい! 何が幽霊だ……上杉の小倅にナメられておるのだ、お前は。でなきゃ頭がいかれておるのよ、あそこの人間は」


「……小さな女の子の幽霊だと言っていました。綺麗な着物を着ているから、お姫さまに違いないと」


 総次郎は庭に目をやった。池の周囲の植え込みに白い蝶が舞っている。ひらりひらりと宙を舞うそれを目で追いながら、


「……彼女かもしれない。現世への未練か自分への恨みか……もしかすると、まだ成仏できずにいるのやもしれませぬ」

 と呟いた。


 刹那、政宗は勢いよく総次郎の左頬を叩いた。


「馬鹿なことを申すな!! まだそのようなことを言っておるのか、お前は!」


 客人に振る舞われる茶碗が倒れ、白湯が畳にこぼれている。総次郎はずっと俯いたままでいた。頬の痛みはそのままに、視線は決して合わせない。


「お前の嫁は池田輝政の娘だ。大御所様の孫だ! 文を書き、花でも送ってやれ。せいぜい仲良くなることだ。子供は多ければ多いほどよい。上杉の家など、あの小倅一人死ねば即改易よ」

 政宗はにやりと笑い、

「……蒲生も上杉も、この世は何が起こるかわからぬ。子供など容易に死ぬものだからな」

 と言った。


「……他所の家の心配より、我が身の心配をなさるべきではございませぬか。やはりあれは中止すべきです」

「……あれとは?」

「禁教令が強化され、学寮の生徒らの中でもキリシタンを非難する声がある。信仰を理由にひどい仕打ちを受けていた南の御殿の生徒もいると聞きます……そうした世情を鑑みれば、今、南蛮の国などに船を出しても徳川へいらぬ疑惑を受けるだけ」

 父・政宗が領国の仙台でイスパニア人の船を真似てガレオン船を作っているという話は当然総次郎も聞いている。そうしてその船で以て、遠き西方の異国ーー西班牙イスパニアを目指すのだということも。

「昨日江戸にも知らせが来たぞ! 全て滞り無く進んでおる。美しく壮麗な船よ……この日ノ本で未だかつて誰も見たことのないような船が出来る。これまで日ノ本へやって来たどの南蛮船よりも大きく、そして素晴らしい船よ。イスパニア人も度肝を抜くであろうな!」

 政宗は扇を翳して笑った。

 白い蜘蛛の巣のような美しい織物のそれはまあ……自分も嫌いな趣味ではないし、イスパニアにはもちろん興味もある。


 しかしーー


「されど……イスパニアはキリシタンの国ではございませぬか。禁教令がこれ以上強められれば、幕府も我らが誼を通じることを良しとするはずがない。せっかく六十万の領国を賜ったのに、幕府の不興を買っては……」


「心配はいらぬ。別に儂がキリシタンになろうという話ではないし、船の件は既に大御所様にも話をしておる。近い内に許可を得られよう。さすれば早速出港だ!! 見たこともない南蛮の品々を持って帰ってくるに違いないぞ。お前も楽しみであろうが」


「……しかし、禁教令はますます強められるばかり。姉上がキリシタンであることが表沙汰になれば、某の縁組とてどうなるかわかりませぬ。ただでさえ義兄上はお身内の評判がよろしくない。父上の評判にも関わります」


「そういうものはな、総次郎。バレなければ良いのだ。あれもそうそう愚かではない。お前よりもずっと賢いわい。それと、婿殿の悪口は許さぬ」

 

 これ以上は無駄だろうーー総次郎は唇を固く引き結んだ。


 他人より恵まれた環境にあっても、例え頼る味方が大勢いるとて、領国や実家に不安要素は少なくたって、ままならぬものはある。

 それを「贅沢」と総次郎は思わない。

 我が身にとっては我が身の問題こそが最も深刻だ。

 

 総次郎はもう特に父に話をすることもなくなって、ただぼんやりと白湯を被ってしなびた最中を見つめていた。


「……女というのは面倒な生き物だ。執念深く嫉妬深く、そうして妙に勘が鋭い……お前も十分注意を払うことだな」


 不意に視界の中に入ったそれには見覚えがあって、総次郎は顔を上げた。今日初めて父と視線が交わる。

 父が自分に差し出しているそれは、自分がここから書いて出した文である。それも、ふたつ。

 どちらも自分の兄に宛てて書いた文であり、こっそり本人へ届けて貰うために江戸屋敷にいる自分の小姓をわざわざ客間へ呼んで手渡した。


「どうしてお前が持っている……とでも言いたげだが、お前の小姓からこれを取り上げたのは、お前の母だ。儂からお前に返すようにと預かった。兵五郎へ文を出すのはもうやめろ」


「……一体何故ですか。実の兄へ文を書くことを何故咎められねばならぬのです」

 父から受け取った文を思い切り握りつぶして総次郎は尋ねた。しかし父は冷静である。

「女というのはそういうものだ。お前にとっては実の兄でも、お前の母には赤の他人……お前のためを思ってのことであろう」

 総次郎は強く掌を握った。本当はもっとずっと別の何かを握りつぶしてやりたいのに叶わないその苛立ちが、ますます掌の力を強めている。

 

 総次郎は次男であり、上には腹違いの兄が一人いる。

 彼は実家の跡継ぎの座を自分に奪われた憐れな身の上だった。


 豊臣家隆盛の頃には幼くして伊達家の人質として暮らし、豊臣性を下賜され、今なお大阪城に暮らす秀頼の側小姓をしていたという。自分が跡継ぎとなったのはそうしたことも理由にあるし、総次郎の母が父の正室であることも関与している。 

 母の心配は無理もなかった。

 そういう豊臣にも縁の深い兄と徳川の治世下で仙台藩・六十万石の跡を継ぐであろう自分とが親しくするということが母には気に入らないのだろうーーそのようなことは自分にも容易に検討が付く。女のことなんてちっともさっぱりわからない自分にも。


「……母上はともかく、父上にとっては兄上も同じ息子ではありませぬか……自分や弟たちとも何ら変わりなどございませぬ」


 それなのに、という言葉はいよいよ出てはこなかった。


 しかし、心のどこかで安堵している自分がいることにも総次郎は気付いていた。

 待っていた文の返事がなかったのは、本人の手元にそれが届いていなかったからだというのがわかったからである。


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