155・保科勝丸の推理《壱》
「任せとけや、火車。なあに、鬼と比べりゃ猫又なんてのはちっとも大したこたあねえぜ。刀なんざ使うまでもねえや。拳でぶん殴ればそれで大方は伸びちまう。まあ、動きがすばしっこいのは厄介だな」
「ええ? ぶん殴るの?」
「おうよ。俺はなあ、千徳。鬼だって何度も拳でぶん殴ってやったことがあるんだ。故郷の山ン中にも時々お前を襲ったあの黒い鬼が出たことがあった。俺たちは鬼というより《山の怪》なんて呼んでいたがな」
山の怪――それが本当に闇の龍脈の石から生まれる鬼であるなら、そんな簡単にぶん殴ったりなんか出来ないんじゃないだろうか。
だって僕は鬼のあのどろどろしとした身体の破片を浴びて意識を失ってしまったというのに、それを素手でぶん殴るだなんてものすごい。
僕は記憶の糸を手繰り寄せながら勝丸に説明したよ。鍋島家が猫又に襲われた時のことをさ。
「猫又は鍋島家の新年の宴席に現れたんだ。芸者に化けていて、琵琶? ああ、違う……そう、三味線を弾いていた。姿を現してみんなを襲ったんだって。だけど家人が駆け付けて次第に猫又は劣勢になった……でも鍋島のご当主は猫又を仕留めそこねたらしいよ。猫又がお市殿や元茂殿を狙って……それを庇ったのが元茂殿の母上」
「そうだ。息子と鍋島家の姫君を庇い、それで代わりに猫又の人質になった。彼女に猫又が取り憑いたんだ」
総次郎が僕の言葉を継いだ。僕はその続きを心の中で継ぐ。
――それでお市殿まで猫又に呪われた。
「……それが今日まで続いている……か。なるほどな」
「なんでもいいけど、それならとりあえずさっさと水でもぶっ掛けてこいつに猫又を退治してもらったらいいんじゃない?」
「あのなあ、忠郷? 俺に余計な仕事を増やすんじゃねえよ。金にもならん化け物退治なんてごめんだぜ。協力くらいならしてやらんことはねえが、肝心なことはちゃんと鍋島の家の連中にやってもらわんと」
すると、僕らの一番背後にいた総次郎が呟くように言った。
「……猫又が大したことねえって言うなら、やっぱり鍋島の藩主は何か理由があってわざと化け物を生かしておいてるのか? 水を掛ければ簡単に出ていくのに、敢えてそうしない……理由が、何か……」
またこれだーー僕もそれは引っかかるよ。
それとももしかして鍋島家の人たちは本当にそれを知らずにいるだけなんだろうか。
しかし、少なくとも市はそれを幽世で聞いて知っているはずなのだ。市もそれを不思議に思っているのかもしれない。幽世でも少し元茂と揉めていたし。
「だから元茂は慌てて帰ったんじゃない? 試すつもりなのかもしれないわ」
「犬や猫の化け物ってのは水が嫌いなんだよ。取り憑かれたらまず水を――ってのは定石だわな。しかしその様子からすっと……もしかしたら、むしろ身体の外へは出せんのかもわからんぜ。あるいはわざとその元茂の母上の中に閉じ込めているとか」
「わざと?」
「ああ。化け物を封じるってのも中々難しいものなんだよ、千徳。ぶっ殺す方がなんぼか易しい。何せそういうのは高等なまじないが出来なきゃあそもそも無理な話だからな。俺が思うに、その猫又はたまさかそういう状況になったんじゃない――」
僕ら三人は思わず立ち止まっていたよ。それは僕らの誰も想像もしていない言葉だった。
「――こんなことは偶然になんか起こらんぜ。仕組まれたんだ」
僕は総次郎を見つめた。総次郎は忠郷を見つめる。忠郷に見つめられて僕は勝丸をじっと見つめた。
ーーそんなことってある!?
僕らはたぶんきっとみんな同じ思いでいるに違いない。