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153・鶴寮の若さまたち、鍋島元茂を追うこと《弐》

「そうです! 武禘式は戦の前には絶対やるよ。謙信公は毘沙門天を信仰していたので、それでそういうことをするようになったんだと聞いていますけど」


「だがこれは戦ではございませぬぞ、千徳殿。武芸の手合わせをする度にいちいち斯様なことをなさるのかね?」


「常在戦場と申します。父も某も武芸の試合となれば戦と同義と思うておりますゆえ、どうかひとつ……」


 そう言って僕が深く頭を下げると「仕方ない」という声が聞こえたよ。

 喜び勇んで顔を上げたけれど、総次郎にぎゅっと上から押さえつけられて僕は再び畳とにらめっこを続ける羽目になる。まだ顔は上げるなということらしい。


「ええい、もうわかったわかった。さっさとどこへでも行けばよいし、好きにせよ。ただし、全て保科殿お一人の責任で以て、な。何しろお手前の寮の監督代理は学寮長さまだ。名前を出しとけば上役たちもとやかく言わんだろ」


 諦めたような小豆山の言葉に僕らは一斉に「わかりました」とだけ言って立ち上がった。一目散に部屋を飛び出して走り出す。


「ああ、こら! ちょっとお前ら? 待たねえか、おおい!」


「まったく……そんなどうでもいいことに俺の手を煩わすな。こっちはこっちで大変なんだよ……うちの寮の松前甚五郎のご実家が上覧試合に合わせてどえらい献上品を蝦夷の島から江戸へわざわざ運んどるらしくて、当日大掛かりなお披露目までするらしい。その仕切りを俺がやらにゃあならんのだからな……はああ……くそったれ!!」


(ええい! そりゃあこっちの台詞だってえの。なんで俺がこんな苦労をせにゃならねえんだ!)


 勝丸の追いすがるような声が聞こえたけれど――僕らは急いでいたので振り返ることも立ち止まることも出来なかった。

 だってもう元茂の姿はどこにもないんだもの! 

 北の御殿なら大奥の方が出口は圧倒的に近い。僕らは大奥側の御錠口へ走った。


「あら、皆さま――」


「鈴彦だ!」


 僕は慌てて足を止めて、お盆の上にお椀をのせた二人組のところへ戻った。鈴彦と一緒にいるのは割菱寮のお部屋番だよ。


「どうされたんですか。もうご用事はお済みでしたか?」


「ねえ、鈴彦? 元茂殿ってもう出掛けたの? どこへ出掛けたのかわかる?」


「ああ、彼ならご実家へ帰ると言って出て行かれました。何やら急ぎの用があるみたいで、夜が明けるやいなや控えの間へ飛び込んでいらしたんです」


 やっぱり――僕は総次郎と忠郷と顔を見合わせて頷いた。


「でも外出なんて……許可なんか貰ってるわけ?」


「たぶん、さっきの様子じゃあ勝丸はその辺のところを上手く誤魔化そうとしてるんだよ。僕らだってまだ外出許可なんて貰ってないけど勝丸、好きにしろとか言われてたじゃん」


「ちっ……それにしたって、あんな様子のアイツを一人にさせて大丈夫なのかよ」


「ああ、それなら主務殿が見張りを付けて行かせるから――とか言っていましたけど……」


「――そうだぜ、まったく」


 背後から声がして僕は振り向いた。勝丸だ。


「元茂の奴に何があった? ただ寝て起きたってだけじゃあそこまで真っ青な顔はしねえだろうよ。何かよっぽど恐ろしいものでも見たに違いねえんだ。例えばひどい悪夢……とかな」


 悪夢ならどんなにいいだろう。

 自分たちの身に起きているひどいこと、全部全部何もかも全て起きたらなかったことになっていたならどんなに嬉しいか。


 だけど現実はそうじゃない――元茂はきっと、目を覚ましてそれを思い知らされたんじゃないだろうか。


 夢で知り得たことをまるで反芻するように思い出して、それで――いても立ってもいられなくなったとしたら?


(僕ならきっと母上を助けたいと思うはずだよ。父上がどうして猫又を追い出そうとしないのかもちゃんと聞きたいと思うだろうけど……)


「それで? なんでお前さんたち三人まで元茂の奴を追い掛けにゃあならねえんだ?」


「だって、元茂殿が心配だもん!」


 市や元茂に猫又が水に弱いということを教えたのはうちの刀達だよ。

 疑惑の数々が気になるあまり、それらを知らなかった鍋島家の三人にまでそれらの種を撒いてしまっている。市も元茂も、自分が知らないことを他人から突き付けられるというのはひどく不安に違いなかった。そうして、そうさせたのはうちの刀の名物たちなのだ。


 付喪神達にも考えがあって良かれと思ってやっていることだろうとは思うけど、これで元茂の身に何か起きたとすれば僕にその責任はある。


 だって付喪神たちはうちの名物で、そもそも彼らに話を聞いてみようと思い立ったのは僕なんだから!


 市の様子も心配だし、このまま自分だけ上覧試合に備えて剣術の稽古をしようなんて気にはとてもなれないよ。ぐるぐると心の中を渦巻く暗い気持ち……これが不安というやつだ。


 僕がもっとちゃんとしていたならこんなことにはならなかったんじゃあないだろうか。

 そう考えると僕も元茂のようにいてもたってもいられなかった。


 乗りかかった船だ。きっちり片が付くまで彼らのお味方をしなければ、僕は上杉の若さまではない。


 鍋島家の猫又の騒動を解決して、市の呪いを解く――元茂の母上も助けないと!


「ふうん……心配、ね」


 勝丸は僕の顔をじっと見つめている。そうして総次郎の顔も見て、忠郷にも目をやった。


「一体何がどう心配なのかは、道々話を聞かにゃあなるまいよ。まったく……これだから俺の給料は安すぎると文句を言ってんだ」


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