151・夢から覚めた朝に 《弐》
「それよりさーあ? 幽世なんかにあいつまで呼んで大丈夫だったのかい? 向こうで何があったのか知らないけど、あの鬼を呼び出した元茂って奴、まだ日も昇りきらないうちに目を覚ましたと思ったら鬼のような形相で支度して出て行ったよ。お前らがぐうくういびきかいて寝てる間にさあ」
「ええ! 本当!?」
「そうだよ。おいら気になってこっそり後を付けたんだから」
火車は部屋の戸を指して言葉を続けた。
「そうしたらあいつ、護衛役とあの飯とか運びにくる小姓みたいな奴が寝起きしてる向かいの部屋に殴り込みに行ったんだ。そうして、急な用事があるから屋敷へ帰るとか言ってたよ」
「急な……用事……?」
まさか――と呟いた僕らの声は綺麗に揃っていたよ。
彼が何をしようとしているのかはわからない。
だけど、昨夜の今日だ。思い当たることはあるし、おおよそそれは間違いじゃあないと思われた。
「実家へ帰って……御母上さまに取り憑いているっていう猫又をどうにかしようというつもりなのかしら?」
「ああ……追い出す方法は教えてもらったからな。水をぶっかけるんだろ?」
「元茂殿……まさか……それを自分がやろうとして……」
すると総次郎が僕を見つめて小声で言った。
「……昼間、あの客間用人頭が俺に言ってたぞ。鍋島の家から元茂の家来が面会にずいぶん来てたらしい」
ああ、あの早口の人――僕の脳裏にとにかくぺらぺら喋りまくる軽薄そうな顔をした顔が蘇った。思わず大声が出そうになるのをぐっと堪えて思い切り声を絞る。
「元茂殿のご家来!?」
「ああ。面会に来た時に豊臣家への内通を提案したが元茂本人に断られた。でもそれでも家来たちは食い下がらなかった……そいつらが言ってたらしい。元茂の母親があんな風なのは父親のせいじゃないかって」
「そういや……自分でも言っていたわね、元茂の奴。家来が内通の話を持って来たとかって」
「前に火車が言っていたよ。化け物っていうのはさ……」
――化け物というのは執念深いのだ。傷を付けられた恨みは忘れない。絶対に、決して。
「そうそう。そういう奴が多いね。まあ、おいらもそういう口だけど」
「それって、確か……あんたんちの刀も夢の中で言ってたわね。確かなの?」
「そう。元茂殿の母上も言っていたじゃない? 元茂殿の父上は猫又に傷を付けたけど、打ち倒すまでには至らなかった……だから猫又、きっと自由の身になったら真っ先に自分に傷を付けた元茂殿の父上に恨みを晴らそうとするよ。あとはそう……きっと何か目的があって鍋島の家の人たちを襲ったんだろうから、それについてもやり遂げようとするんじゃないかなあ……」
「……そうか。鍋島のご当主はそれを恐れている可能性があるな。水を掛けたら化け物は人の身体から出てくる……でも、出てきてそういうことをすることが予め分かっているなら、そりゃあ用心するだろうぜ」
「じゃあ、元茂の父上はそうなるのが怖くて猫又を外へ出さないの? だけど、猫又はお守りで力を弱められているんでしょ? それならなんとか出来るんじゃない? 元茂だって元茂のお父上だって、あの柳生師範の門弟なのよ? それに、そもそもお守りで力が弱められているなら自由の身になって即逃げ出すかもしれないじゃない」
総次郎は冷たく忠郷を見つめて「じゃあお前がなんとかしたらどうだ」と言った。
「元茂に稽古をつけてもらったんだろ? 化け物切りの長船の刀もあることだし丁度いいじゃねえか」
「ば、馬鹿ね! そんなのあたしになんとか出来っこないじゃない!」
「お前も光の龍脈の痣持ちだろ? 江戸の城や街の周囲は光の龍脈で結界を張ってると聞いてるぜ。お前も化け物くらいなんとかしたらどうだよ」
「そんなことを言うならあんただって痣持ちじゃないの! 烙印持ちなんでしょう? それこそあんたがなんとかしなさいよ」
忠郷が大広間の畳をバンと叩いた。
「――いいこと? お祖父様があんたの父親なんかに龍脈の源泉の管理をお許しくださっているのはねえ、こういう時に徳川の手足となって働くためだわ! わかってるの? つまり、あたしのためにそういうものを生かしてこそあんたの痣には意味があるのよ。だのにあんたは龍脈の術のひとつも使えないわけ!?」
「勘違いするなよ? うちは徳川の家来には違いねえが、俺はお前の家来じゃあねえからな! 馬鹿はそこのところを勘違いしてんじゃねえかと不安で仕方ねえんだ俺は! ちなみに言っておくが、俺は術は使える。お前なんかとは違ってな!」
「だから! ちょっと! どうしてすぐに喧嘩になるのさあうちの寮は! もう!」
もはやひそひそ話の意味なんてない――僕は諦めて二人の口論の仲裁にのみ集中することにした。
これはのんきに朝ごはんを待ってる場合ではない!