139・鍋島元茂、付喪神から褒美をもらうこと《弐》
「あなたの兄上さまと我らとで剣術の勝負をしておったんですよ。なに、理由なんて特にないーー次の陣触れまでの暇潰しの余興です。我らは戦武器なので、戦に呼ばれぬ間は退屈でね。あなたの兄上さまは随分な剣術の腕前だとそこの陪臣の刀から聞いていたもんで、それならぜひお相手を願いたいと思ってた。もちろん、当家の刀に勝てたら褒美を差し上げるという約束でした」
「しかし……私はあの方からまだ一本も取れてはいない」
元茂が高木長光を見て言うと、草間が笑った。大笑いだよ。背を反らして肘置きを叩いている。
「これは失礼。我らの勝負の勝ち負けは御方がお決めくださることです、鍋島の若君。先刻のあなたの戦いぶりは素晴らしかった。ここは我らの城であってあなたには不利な条件しかないというのに、よくここまで善戦された。御方がここにおわしたら、きっと同じことをすると思いますよ」
「元茂殿、御方ってのはみんなの前の持ち主の謙信公のことなんだよ」
僕はきょとんとしている元茂殿に教えたよ。こいつらの行動理念は特殊だから、こうして説明をしてもなお初対面の人には理解し難いと思う。
「それで……褒美って一体何なの?」
「気になるなら忠郷も誰かと相手をしてみたら? 勝ったら貰えるかもしれないよ」
僕がそう言うと、忠郷は途端に顔を引きつらせて叫んだ。
「馬鹿なこと言わないでよ! そ、そそんなこと無理に決まっているでしょ! あたしに教えてくれてる師範代さえ勝てない相手じゃない!」
「ええ~? でも、せっかく稽古してるのに……」
僕がそう口にすると、忠郷は鬼のような形相で「いいのよ、そんなことは!」と叫んだ。よっぽどやりたくないらしい。
すると、水神切り兼光が柏手を二度打った。
不思議とその音は大広間に響き渡る。
草間が僕らの背後を指すので振り返ると、新たに大広間に数人の刀の付喪神が現れてこちらへ歩いてくるのがわかった。
先頭にいる二人は草間の側近の二人だ。
長船景光の短刀と一文字派の作だという太刀の付喪神。
その背後に縦も横もめちゃくちゃ大柄な女の姿の付喪神が布に包まれた何かを抱え持っている。
「……まったく、万事やりすぎなんだよお前ら長光は。太刀や打刀ってのは本当にバカばっかり」
景光の冷たい呟きに、高木長光も日光長光もいよいよ頭を下げる。
彼は謙信公のとびきりお気に入りでいつも腰に差していたという短刀なので、長船の刀達は例え上秘蔵の何席であったとしても彼には逆らえないのが常だ。
「悪かったね。こんなのと相手をさせてさ」
景光が近寄って声を掛けたのは元茂だった。元茂はそれを予測してはいなかったらしく、目を丸くして彼を見つめている。
景光が合図を送ると大柄な付喪神が頷いて、抱え持っていたそれを畳の上にそうっと置いた。途端、布に包まれたそれが動いて僕らは全員声を上げる。
「う、動いたわああ!」
「見りゃわかる! ひっついてくんな!」
僕は目の前のそれを運んできた付喪神に声を掛けた。
彼女は薙刀の付喪神だよ。
彼女は江戸屋敷にいる僕の乳母の姿が気に入っていて、それを真似ているという話だった。だから僕もなんだか本物の乳母の彼女を見ているようでなんだか親近感が湧く。
「ねえ、小松明。それは一体何なの?」
「見ればわかるだす」
喋り方まで乳母の“おかつ”にそっくりなんだからほんと面白いよね!
力士のように厳つい体躯の彼女だけど、顔はいつもニコニコしてうんと優しいことを僕は知っている。僕が産まれるより前は甲斐の母上の護衛をしていたというらしいから、ひょっとしたら付喪神たちよりも強いかもしれないよ。
彼女が静かに布をめくりあげると、中から現れたのは人の顔だった。再びもぞもぞと動いて表情も変わる。
「これって……」
ーー母上!
「え!?」
元茂の動きは早かった。
布がめくりあげられた刹那、彼は腰を上げて駆け寄っていたもの。そうして布を全て剥ぎ取ると、彼女の身体を揺さぶった。
「母上、大事ありませぬか。母上!?」
僕は市の顔を見た。彼女も驚いて口を半開きにしていたよ。
一言、「……お岩殿だ」と呟くと、彼女も元茂に続いた。
元茂の母上
ーーつまり、これがウワサの鍋島家にいるという猫又に取り憑かれたご当主の側室に違いない。