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132・火車、人のために骨を折ること

「……やるって何を?」


「死んだ人間には閻魔さまのお裁きが待ってるんだよ。少なくとも、この国の人間はみんなそうだ。だけどそれが本当に大変でさ。知ってるかい? あの世の裁判って無茶苦茶時間が掛かるんだ。一度で終わる裁判なんて稀だし、そもそも自分の順番が回ってくるのに気の遠くなるほど時間が掛かるからね。そりゃあそうだ、死人の数なんて膨大なのに閻魔さまは一人しかいない――自分のお裁きの番が回ってくるのなんて、ずうっとずうっとずううううううううーっと先だよ。地獄だ極楽だなんてのはその更に後の後!」


「ああら……そ、そうなの?」


「そう。だからさあ、死んだ人間ってのはだいたいみんなあの世でそのお裁き待ちをしてるの。長い間ね。あの世ってのは地獄を含めて階層の世界なんだけど、その一角にそういう待機連中ばっかりが暮らす層があって、死人たちはみんなそこにいることが多いかな。そこでみんな生前みたく暮らしているよ」


「せ、生前みたいに?」


 そう、と火車は総次郎を振り向いて言った。


「だからさあ、景虎と信玄の奴なんかがあそこで顔を突き合わせたりしたら大変なんじゃあないかなあとは思うんだよね。だってあいつらあんなに仲が悪かったのに、景勝の奴は信玄の娘を嫁にしてるわけだから、そんなのって揉めないわけがないじゃん。あの世でも戦になってるかもしれないよなあ。現世じゃ五回で収まった戦が、第何次まで続くやら……」


「じゃあ……やる、っていうのはそこに……」


 火車は身体の毛を舐めながら言った。


「言っとくけど期待はしないでよ? さっきも言ったけど、あの世は死人だらけなんだ。その中から唯一人を探すなんて土台無理な話だからね。でも、事務的に呼び出すことくらいは出来るだろうから、それをちょっとやってみるよ」


 忠郷は飛び跳ねた。こんな機敏な彼を総次郎は初めて見る。


「ほ、本当に? お父様にも文を届けられるの?」


「文なんて無理だね。現世の物質的な物はあの世には持ち込めない。言葉を伝えたきゃ、あちらからこっちへ来てもらうしかない」


「き、来てもらうって……そんなことが出来るの? 死んだ人間がここへ来るなんて……」


「普通には無理だよ。死んでるんだから。けど、幽世にならこられる。お前の夢枕に立ってもらうようにすればいいんだ。あの世から幽世へ来てもらうってこと。それくらいは出来るんだよ。毎年お盆にはこちらへ帰るって死人も多いしね」


 忠郷は火車に顔を近づけてそれはそれは優しく頭を撫でた。

 気持ちよさそうに目を細める様はまるで本当に猫のようだ。赤い足袋をはいた、少しぽちゃっとした毛の長い猫。


「あんたって、いい鬼なのね」


「言っておくけど、こういう話は今ここにいる人間だけの秘密だからね。こんなことをお前に提案してるってことが上にバレたら、おいらはますます休職期間が長くなっちゃう!」


「わかってるわよ。千徳にだって黙っておくわ。さあ……心構えをしなくっちゃ! せっかくお父様に再会しても、顔も見れず何も喋れないじゃあ意味がないものね!」


 そう言うと、忠郷は再び庭へ降りて袋竹刀を握り締めた。再び素振りを開始する。


 もっと早くからそうしていれば良かったのにーー総次郎は考えた。一体どうして彼がこんな風になったのかを。


 全ての元凶はおそらく彼の母親である。

 天下人の娘であり先代の会津藩主の嫁、振姫。学寮にも乗り込んできた面倒臭い蒲生忠郷の母親。

 忠郷が武道の授業の一切を見学していたのも、全てこの母親からの指示だという話だった。


 一瞬この部屋の前で見た彼女の険しい表情が脳裏に蘇って、総次郎は思った。


 単身で御殿の中にまで乗り込んで来るような人間である。息子が自分に背いて剣術の試合に出ると聞いて、果たしてそれを素直に許すだろうかーーと。

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