128・鍋島家の秘密《弐》
そこに座っていたのは、元茂の妹ーー市姫だった。三日ぶりに彼女の顔を見て思い出す。
ああ、さっき夢現に聞いた声は彼女のものだったんだ。
「ああ……またあの、水神切りという付喪神に誘われて……」
彼女がそう言うと、火車切りが付け加えるように言葉を継いだ。
「ご城代が命じてはるんやわ。お二人をここへお呼びするようにって」
「草間が? え? どうして? 百歩譲って元茂殿はまあ……みんながとっちめたいからなのかもしれないけど……お市殿を呼ぶ理由って?」
僕は市に駆け寄ってしゃがみ込んだ。
やはり彼女は夜になると猫の要素が強まるんだ。猫の耳がピンと立っていて、瞳は金色に輝いて妖力が強くなっているよ。そうして昼間よりもずっと姿が大人びている。決しておかしいとは思わないけれど、形容し難い不思議な印象を受けてなんだかひどくドギマギするよ。
「実は……あの付喪神が……その……」
言い難いことなのか、市はしばらく躊躇していた。そうして数秒間があって、彼女が口にする。
「……お岩殿に会わせてくれると言ったのです。人としての意識がまだ彼女にあるなら、それをここへ呼べるからと……そう言っていました」
「お岩殿って?」
「兄の母だ。猫又に取り憑かれている……父の側室です」
ああ、そうかーー僕は納得が行ったよ。
おそらく、元茂も同じ言葉で誘われて、それでここへ来たに違いない。そりゃあそうだよね。母上に会わせてあげるなんて言われたら僕だって考えてしまう。
「意識をここへ呼ぶ? 幽世へ?」
霊夢というのは誰でも彼でも見えるものではないのだ。僕は霊力が在る方なので割と簡単に、頻繁に見るんだけど、父上なんかはてんで難しい。夢もみずにぐっすり寝ちゃう体質らしいからね。
だけど、そういう父上を無理やりここへ引っ張って来れる人物が一人だけいる。
「姫鶴が術を掛けてここへ引きずり込んだんだわ。人の意識だけ幽世へ呼び付けて相手に夢を見せるのよ」
姫鶴、というのは謙信公も父上もすごく大事にしているという、うちにある一文字の刀のことだ。
謙信公は昔この刀を少し短く磨り上げようとしたら、彼女が腰物係に夢を見せたと聞いてとりやめたらしい。
我が身を短くされるのが嫌で、暗にそれをするなという意味合いの夢を見せたらしいよ。姫鶴一文字という刀はそういうーー夢を操る術が得意なのさ。
とにかく、僕らも大急ぎで元茂のところへ向かうことにした。
だって……僕の想像が確かなら、元茂はそりゃあもう大変なことになっているに違いない。