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124・心の深淵

 芸者に化けていた猫又は短刀ほどもあるかという長い爪で次々と人を襲い、殺めたという。しかし家人が駆け付けると流石に多勢に無勢、劣勢となった。


 化け物が片手に握りしめていた三味線のばちで幼い姫君の顔に傷を付けると、彼女の兄が猫又の前へ飛び出した。


「猫又憑きとなったご当主の側室は、この二人のきょうだいを庇おうとなさったんですよ。そうして猫又に取り憑かれたというわけです」


「……つまり、人質か」

 景勝が呟いた。


「そうです。事態を聞き付けて屋敷の家臣たちが大勢加勢にやってきたので、猫又は人間たちが手出しできないだろう人間の中へと隠れたんです。おそらく、本当は姫君の身体の方へ入ろうとしたのでしょうが、それを彼女に邪魔された……」 


 鍋島家の人間はこの化け猫騒ぎを龍造寺家の血筋の人間から恨みを買ったせいだと思っているーー水神切り兼光が耳にした噂話の締め括り。

 鍋島家は元は龍造寺家の臣下だったということもあって負い目があるのだろうことは水神切り兼光の想像にも難くなかった。


「なにせ、主家の血筋を死に追いやって大名をやっていますからねえ。家中には上は当主の息子から下は下女に至るまで、うちのお家は恨みを買うとても致し方ないという空気があるんですよ。祟られても仕方なかろうとね。そりゃあ表沙汰にはしたくない事件ですよ。むしろ猫又が結界を張ったことは彼等にすれば幸いだったと言えます」


「ああ……確か、龍造寺家の人間が嫁を道連れに二度も自害を図ったとかいう話も聞いたな……」


 直江山城守が景勝に目をやると、彼も一度頷いた。


「おぞましい話ですよ。龍造寺高房が自ら手にかけた嫁というのは、鍋島家から娶ったおなごだそうですからね……そりゃあ恨みも深かろうと思うのが人の性というもの。その後に起こったのがこの猫又の騒ぎなんですから」


 鍋島家の一族が一同に会する宴席に化け物が現れ、一族の人間や臣下を次々と襲った事件は表沙汰にはされていない。


 そりゃあそうだろうーー人でない水神切り兼光にもその考えはよくわかる。


 先年の龍造寺隆房の自害のこともあって、事を荒立てたくなかったのだろう。その後に起きた猫又の呪いのことも、当主の側室に猫又が取り憑いたことも公には伏せられているのだから。


 人というのはそういう生き物だーー水神切りにも良くわかる。自分たちにとり都合の悪いことは伏せるに限る。


 しかし、そのために年若い姫君が苦労を重ね、不遇を囲うのは見過ごせない。


「しかし……これはね……僕が思うに、鍋島家が恨みを買っているというより、鍋島家の家中の問題だろうと思いますよ」


「外からの呪いでないとなれば……鍋島の家の中に鍋島の家を呪う者がいるということか? そんな馬鹿な」


「鍋島の家そのものというよりも、単純に、猫又に取り憑かれている彼女が邪魔なのではないですか?」


「……というと?」

 水神切り兼光は景勝を見つめて言った。 


「座敷牢に捕らわれている彼女は鍋島家の今のご当主さまのご側室なんです。ご長男のご母堂さまですよ。しかしご当主・勝茂殿は名目上は徳川の親戚筋に連なるお方をご正室に迎えていますから、妾腹の息子共々不要になるとても不思議ではございません。それが我等の見解です」


「……なるほど。お前たちの見立てか」


 付喪神たちは噂話が大好きだ。

 それ故、頼みもしないのに色々なことに首を突っ込んではあれやこれやと考えを巡らせては楽しんでいることがある。

 それが時折役に立つこともあるが、ただただ鬱陶しいだけのことが大半だった。

 

 景勝は直江山城守に目をやった。


「……結晶を所持していたその鍋島家の生徒、実家では廃嫡されたと護衛役が言っていた」


「廃嫡ですか?」


「そうですそうです。徳川の家から迎えたご正室がお産みになった男児をご嫡男にして、跡目を継がせるおつもりなんですね。ところが先年せっかく産まれた男児が亡くなっているんですよ。これもまた龍造寺家の祟りや呪いの類だろうと囁かれています」


「……玉丸の護衛役の話ではあの鍋島家の生徒、廃嫡が決まって以来実家や父親ともずいぶん揉めているらしく、精神的に不安定なようだということだった」


「だから闇の龍脈の結晶を操り、鬼を出現させても許せということですか? 冗談じゃない! なんという道理の通らぬ話だ……鍋島家の内輪揉めでどうして当家の若君が犠牲にならねばならぬのです。精神的に不安定などと……なんという軟弱な……」


「落ち着いてくださいよ、旦那さま。誰も彼もがあなたのご主人のように鋼の精神力メンタルというわけじゃあないんですから……」


「……しかし」


 景勝が呟いたので水神切りも直江山城守も押し黙った。水神切りの冗談に対してはとくに反応はないらしい。まあ、いつもこうだけども。


「その側室が邪魔なら猫又諸共始末すればよいだけの話だ。機会はいくらでもあったし、今でもある。しかしそれをせなんだのは、偏にそうなれば困るからだろう」


「まあね……そうなんですよね」


 人の心の深淵を覗うことは難しいーー水神切りは首を捻る。


 人でない自分たちに出来るのは、永い年月を生きてこれまでに出会い、仕え、目にし、耳に聞いた人間たちの統計的な感情や心の動き、行動からの推測にすぎない。


 人の底しれぬ心の深淵の闇を、未だ自分たちは知らないのではないだろうか。

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