115・千徳、西の御殿の生徒らと協力すること《壱》
「ぬしさま……こういうのはどうでしょうか?」
西の御殿のぬしさま……の信頼も厚そうな彼が小声で耳打ちをする。
一体なんだろうーー彼らの気配、心の内は落ち着いていたよ。何か策を練っているに違いない。
(あの紙はなんだろう……気配がするなあ……)
僕は龍脈の気配も感じることが出来るけど、時折物質にも龍脈の力が宿ることがある。うちの家にもあるし、あの紙もそういうものだと思った。
そういうものは《名物》なんていう隠語で呼ばれるらしい。《大名物》なんて呼ばれる代物は宝物として御所や寺、神社なんかに収められていることが多いという話だった。
「あなたは鬼や邪が見えるのですよね?」
紙を手にしている彼が確認するように言ったよ。僕は胸を叩いて頷いた。
「そうですね! そうしたものの全てが見える……かどうかはわかりませんが、とりあえず人よりそういうものに敏感であることは確かです」
僕は今更だけどここへ来て少し謙遜して言った。出る杭は打たれると言うし、あまり自慢げに聞こえすぎてもいけないだろう。僕は斜陽の貧乏大名の跡取りなのだから、万事控えめくらいが彼らの怒りも買わないかもしれない。
「わたしは大助と言います。主さまと同じ、西の御殿・三つ葉の寮に出仕しています」
「ああ、そうなんだ。某は北の御殿の鶴の寮です」
「ぬしさまはこの間のような化け物騒ぎが再び起こることを懸念されておいでなのです。元々江戸城は強力な水の龍脈の源泉の跡地に建てられたということもあって、霊場としてそうしたものが集まり易い特性があるとも聞いています」
「ええ? そうなの?」
「なんだ、お前……知らんのか。そもそもずうっと遡れば江戸の城は関東を治めていたお前の実家の陪臣が拵えた城だろ?」
まあね、そうなんだよねーー僕もいちおうその人の名前ぐらいは聞いている。
扇谷上杉家に仕えていたという家臣、太田道灌。
今の江戸城の元になるお城を築いたという人。
「なんというかその……僕の血統上の実家は越後の長尾家なので、関東でわちゃわちゃ色々と揉めていた上杉諸家のことは……あまり……」
扇谷上杉家というのは元々関東管領を任されてた山内上杉家の分家の一つだよ。
他にも犬懸や深谷、宅間などーー上杉の家は関東を任された名家というだけあって細かく分家があってなんとも面倒臭い。
ちなみに言うと、越後の長尾家もひとつではないからこれもややこしい。
父上の実家の長尾家と謙信公の実家の長尾は別物だよ。父上の父上と謙信公がいとこ同士だから、親戚筋ではあるけどね。
関東を治めていた上杉諸家は一族の内部でかなり揉めていたらしく、越後の長尾家生まれの謙信公が山内上杉家の当主になるよりも一昔も前に、どこの分家も没落してしまった。
「そうなんだ……水の龍脈の源泉……じゃあそこにはきっとぬしさまがいたんだね」
「そうです。ぬしさまを神として人の手でお祀りすることで源泉を封じ、お城の守りとしたようです」
「水の傍ってさ、人や動物だけじゃなくて邪霊とか化け物なんかもよく集まっちゃうらしいんだ。それでなのかなあ……確かにここは江戸の街よりずいぶんそういうものがいるなあとは思っていたよ」
人ならざる者達は月の霊力で命に代わる仮初の力を得るらしく、日中には現れないことがほとんどだ。
だけど僕は気配がするし、日が差さない天気の日や薄暗い部屋の中なんかには現れるよ。だから僕は学寮の御殿の中でもずいぶんそうした者を見かけている。
「お城中や御殿に出ることもあるよ。うちの部屋にもね」
「あ、あなたの寮の部屋にも化け物が?」
「ううん、化け物じゃない。幽霊かな。悪意のないやつ。たぶん総次郎に縁のある子だから、成仏するまでは彼の傍にいたいんだ。時々現れるよ。可愛い女の子! あとはそう……中奥の宝物庫はちょっと心配だなあ。僕は中へは入ったことがないけど、一度うちの主務を呼びに中奥へ行って傍を通りがかったら、あそこから色んな気配がしたんだ。腕や足のない、戦支度をした亡者の幽霊が宝物庫の前をたむろしていたし」
大助が息を呑むのがわかったよ。幽霊や化け物が見えない人間というのはみんなこんな風に驚くのさ。