112・火車、お手紙を届けること《壱》
主人から言いつけられた仕事を終えると、火車は一目散に部屋へ戻った。
長員と義真の二人は客間で千徳から託された文に一つ一つ目を通しながらぎゃあぎゃあ大騒ぎをしていた。それが主人の言うところの《仲良く》という状態であったかどうかは火車にはあまりよくわからなかったけれども。
とにかく、火車はただそれを監視していた。
「ロドリゲスめ……めちゃくちゃ日本語上手いやんけ。ほんまに南蛮人なんかあいつ」
「そんなことはどうでもええわい! これがほんまやったら……ほんまやったらえらいことやで。ほんなら、あいつが弟二人も殺したんは……」
そんな馬鹿なーーと、長員は呟いた。彼の顔は青ざめている。文にはよほどのことが書かれていたらしい。
しかし、火車にはどうでもいいことだーーああ、せっかくいい天気なのにこの後も仕事である。
「ねえー……まだなの? おいら眠たくなってきちゃうからさあー」
長員は紙に穴があくのではないかと思うほど文をじっと見つめていた。一言一句忘れないようにと思っているのか、火車の言葉になど一切耳を貸さない。
「せやけどなあ……それがほんまやったとして……それを証明せんとあかんやないか。澳門へ追放になった司祭さまの言葉だけやとまだ弱いわなあ」
「無論、これ以上の何か証拠があればそれに越したことはないが……」
火車は興味がないので、文の内容までは読んだりしない。
けれども彼らの反応からすれば、やはりフランシスコが同寮の生徒らに託した文には相当な重要事項が書かれていたようだった。
ひとしきり文の内容を読み終えると、義真が火車に言った。
「よう、火車。この文お前が持っといてくれへんか。その腹の袋に入れておけば誰かに取られる心配もないやろ」
「ええ~? ここにはおいらの仕事道具とかおやつとかが入ってんだけどなあ……まあ、入るからいいけど」
「それは重要な証拠だ。絶対になくすなよ」
長員にそう言われて火車はなんだか腹が立った。子供の使いじゃあるまいし、と怒ると
「子供の使いやろ、お前は。喜平次の下僕やないか」
などと言われて益々腹立たしい。
全てはあのよく切れる脇差で景勝の奴にやっつけられたせいだーー自分は仕事熱心で営業成績も素晴らしく良い、近年稀に見る素晴らしく優秀な火車だったというのに。
しかし、火車は傷を付けられたこともあって景勝には逆らえない。
逆さ吊りにされて彼に睨み付けられる光景を思い出すだけでも全身の毛が逆立って鳥肌が立ってしまう。昔は閻魔様に怒られたってこんなことにはならなかった。
「じゃあ、文はおいらが預かっておくから、また必要な時は玉丸に声を掛けておくれよ」
火車は二人にそう言うと客間を後にした。長員と義真は二人共客間に残った。
それぞれ別の仕事ために学寮へ来たという話であったが、どうやら協力して事に当たることにしたらしい。
仲良くしているようで火車も何よりだと思った。これで主人にもいい顔が出来る。
火車が北の御殿の鶴寮に戻ると、総次郎が相変わらず自分の文机でうんうんと唸っていた。部屋に主人の姿はない。
「なんだよ、お前――――!! まさか、まだ書けてないの? 一体いつまで掛かるのさあ、どん臭いなあー」
「うるせえな! 書けたよ! 一応は書けてんだ! ただ……」
「ただ?」
火車が彼の膝の上に飛び乗って首を傾げると、総次郎はしぶしぶ重い口を開いた。
「……こういうのは勢いで書くとだいたい失敗する。後で冷静になってからもういっぺん読み返した方が……」
「あと? あとっていつなのさ! 早くしてよおお……」
「いや、だから……今晩とか、明日の朝とか……少し時間を置いて読み返して……」
「あんたも案外女々しいのねえ。もう諦めたら?」
外廊下から鬱陶しい声が聞こえてきたが、総次郎は無視した。息を荒げて外廊下に倒れ込んでいた忠郷が身体を起こして振り返る。
「確かにそういうのって勢いだわ。戦と同じよ。勢いのままにドーンってやっちゃったほうが上手くいくでしょ。あれやこれや色々考え出したらおしまいよ」
「い、戦と同じ……ですか?」
元茂が沢山疑問符を飛ばしているのが火車には見える。彼は北の御殿に来てからずいぶん落ち着いたようだった。
おそらくはこの寮で唯一、至極真っ当でまともな生徒。