95・僕らはみんな辛いから
「……うちの一族は代々男児は身体が弱くて長生きを見込めない。だから両親も生まれたあたしを心配して、女として育てていたの。女なら丈夫に育つに違いないという……おかしな迷信……まじないよ」
「うちの御殿のぬしさまも……言っていました。あなたのことを……その……女男の癖に偉そうにしやがって、と」
僕は忠郷が激高するんじゃないかと思ったけど、彼は意外に冷静だった。
「そうでしょうね。徳川の親戚筋にいれば誰だって知っていてよ。学寮へ来るのだって嫌だったから、妹の依と入れ替わっていたわ。依は許嫁の忠広がいるから大喜びだったのに……結局企みがバレてしまったけど」
「そうなんだあ……なんか面白いね!」
僕がそう言うと忠郷が歩いてきて外廊下に上がった。そのまま僕のところへやってくる。
彼は呆然と立ち尽くしたまま僕を見つめていた。
「……父が亡くなった時にあたしは一度死んだのよ。死んで生まれ変わったの。それまで生きていた全てを取り上げられて殺されたも同然だわ。そうしてわけもわからぬうちにわけのわからぬものを押し付けられて新しく生を受けた。あたしは妹が死ぬほど羨ましかったわ。今でも弟が恨めしくて仕方ない……だってあいつらはこんな苦しみを味わうこともなく生きているんだもの」
「忠郷……」
「どうしてあたしばかりがこんな……」
それはうめき声に近い、苦しみを堪えきれない嗚咽のような声だった。
「あんたはきょうだいがいるあたしたちを羨ましいと言ったけど、きょうだいなんかいたってあたしはひとりぼっちだわ。そうよ……この世の一体どこに、こんなあたしの気持ちを理解出来る人間がいるというの」
忠郷はしゃがみ込むと、僕の手を取った。
「だから……あんたばかりがひとりぼっちで孤独とは思わないことね」
忠郷の手は少し震えていたよ。肌がさらさらしていて僕よりも冷たい掌だったから、僕はそれを握り返した。氷のような冷たいその手が、少しでも暖かくなるように。
「そうだぜ。誰だってみんなてめえが一番不幸だと思ってるんだ。お前ばっかり辛い悲しいなんてことはねえ」
「ああら、あんたなんて別にちっとも不幸でもなんでもないじゃない。兄のことなんてあんたが嫡男の座を簒奪したわけでもないんだし、別に気にすることなんてないわよ」
僕も忠郷も理解したよ。総次郎ってトゲトゲしているように見えて、意外と優しいのだ。でもそうと知られることには抵抗感があるらしい。恥ずかしがりやなのかもしれないよねえ、きっと。
「ねえ、総次郎? 兄上にも文を書いてみたら?」
僕は名案だと思ったんだけど、総次郎には速攻で
「そんなものが普通に届けられるくらいなら、何の心配もしてねえんだよ!」
と、強い口調で返されてしまった。
「ええ? じゃあ……兄上には文も届かないの?」
「……母上が俺が兄上と関わるのを嫌がってる。親父にも止められてるからな。どこにいるかもろくにわからねえんだ、文なんて誰に頼んでも上手くなんかいかねえ……」
その時だ!
僕は今度こそ最高の名案が浮かんで布団から飛び起きた。
「おおい、火車! 火車ってば! 忙しいの?」
すると、僕のかいまきの中がもこもこと動いた。顔を出したのは久しぶりに見る火車。
「なんだ、すっかり元気になったな? まったく……おいらお前の親父に合わせる顔がなかったよ」
「別にお前が萎縮することなんてないじゃん」
「そんなことないんだよ。おいらは一応お前の傍にいるんだから、ああいうことがあればそりゃあ責められるもんなの。草間や景光にもちょー怒られちゃった。お前がついていながら何故こんなことになるーーって。てんで酷かったよ」
長い毛を舌で舐めながら火車が言った。
「ねえねえ、それよりさあ? 総次郎の兄上が今どこにいるか知らない? わからない?」
「なんでそんなやつが知ってんだよ。バカかお前はーー」
すると火車は「わかんないよ」と言った。
「当たり前だろ! 俺だってわかりゃしねえ!」
「そうだよ。調べてみなけりゃわかりっこない。ええと……ちょいと待ってて……」
元茂も外廊下に上がって火車を見つめる。
火車はお腹の長い毛をかき分けると、やおらお腹のひだひだに短い前足を突っ込んだ。