92・烙印持ちのこと《壱》
すると、総次郎は元茂の背中を見つめて呟いた。
「あいつは用済みになったんだ……それで廃嫡になった。廃嫡になったら実家の後は継げない。俺の兄貴もそうだった」
「総次郎の兄上? 総次郎って兄上もいるんだ! てっきり総次郎が長男だと思ってた」
総次郎は伊達家の嫡男だと聞いていたよ。
だからてっきり彼が政宗殿の長男で一番お兄ちゃんなのだと思っていた。
「……俺の母親は親父の正室なんだよ。だから俺が生まれて兄貴は嫡男の座から退けられた。大阪へ人質に出されていて豊臣の近くにいたもんだから、今じゃ体裁も悪いとばかりに実家から遠ざけられてるに違いねえ」
「兄上は今でも元気にしてるの? 江戸にいるの?」
「……さあな。江戸にはいねえと思うぜ。少なくとも、俺が屋敷にいた頃にはいなかった。どこで何をしているかなんて俺には何も知らされねえよ」
「へええ……いいなあ、兄上。僕も兄上がほしい! 総次郎って弟や妹もいるんでしょ。いいなあいいなあ」
僕がそう言うと、総次郎は枕を掴んで思い切りぶん投げた。枕は音を立てて外廊下を転がると庭先に落ちて、忠郷も元茂も振り返った。
「……何も知らねえくせに調子に乗りやがって。一人でぬくぬく跡取りやってる人間が……ヘドが出る」
燃え上がるような怒りの気配だ。
僕は普段何もない時はそこまで人の意識には注力しないようにしているけれども、それでも感じるほどの激しい怒り。
僕は気になったことは解決しないとなんだかいつまでも心にひっかかってムズムズする質なので、思い切って総次郎に聞いてみることにしたよ。
「そんなこと言ったって、総次郎だって僕のことなんて何も知らないでしょ? ぬくぬく跡取りなんてやってないもん。だって、僕が跡取りをやらなきゃ上杉の家はもうおしまいなんだから」
おしまいーーと、僕は特に力を込めて言った。
「兄上がいて、下にも弟が何人もいるなんて……僕からすれば死ぬほど羨ましいよ。だってそうでしょ。うちの父上には僕しか子供がいない。上杉の当主に子供は僕一人だけ。それならもう僕が若さまをやって、父上の後を継ぐしかないじゃん。他には誰もいないんだもの。僕がやるしかないじゃないか……例えどんなに難しくっても、無理だと思っても……僕しかいないなら僕がやるしかないじゃないか。他には誰もいないんだから」
うちの実家には徳川の親戚筋の人間なんて誰もいない。完全な外様大名だよ。
おまけに大御所様にも喧嘩売ってるし、正直なところ、このまま生かしておく理由付けなんてないに等しい大名家だ。
そんな家に跡取りがいないとなれば、当然ーー改易になると思う。
実際、若くして当主がなくなったり、そういう当主に跡取りが不在という理由で改易になった大名家はある。うちもそうならないとは限らない。
だから、なんとしても僕が父上の後を継いで、貧乏な上杉家の現状をなんとかせねばならないのだ。
「みんなの家はいいよなあ……だって、謙信公がいないんだもの」
僕がため息をついてそう言うと、忠郷が「あんた、何を言ってるの」と言った。
「謙信公ってのはね……本当にすごい人だったんだよ。戦に出ては負けないし、商売もめちゃくちゃ上手くて、ひどい赤字だった越後の国をすっかり立て直したの。越後には幾つも龍脈の源泉があったけど、謙信公には生まれつき龍脈の痣があってそれも難なく治めることが出来たんだって」
「烙印持ちか……」
総次郎が呟いたので僕は頷いた。
人間の中には稀にそういう人が生まれるって言うよ。
龍脈の力の源である源泉にはそれを守る主さまがいる。
主さまに認められると土地を治める者としての印を授かるんだってーーそれが、痣。龍脈の力が使える人間の印だ。
だから昔はうちの父上も越後にある龍脈の痣を幾つも持っていた。
もっとも、米沢へ引っ越しする時にそれまで上杉が管理していた龍脈の源泉は全部徳川の家に献上してしまったので、今ではそれらはなくなったんだけどさ。