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アップルパイ食べたい

経済わからん第五十六話

「ねえミューズ。結局さ、あそこにシルドラはいたの?」


 ボクとミューズは大聖堂をあとにして、ローザさんの宿へ向け街を歩いていた。


「マリーはどう思う?」


 ボクの推理はこうだ。

 シルドラはどうにかして大聖堂までやってきて、そこでララポーラと会っている。あるいは、シルドラも大聖堂に居るのではないか。


「ボクたちが講堂に入ったとき、シルドラも居たんでしょ?」


 感覚の鋭いミューズならそれもわかるだろう。

 しかしミューズは、うーん、と言って首を傾げた。


「あそこにはララポーラしかいなかったわ」

「え、そうなの? なんか教壇の裏でコソコソしてたよ」

「ごめんなさいマリー、どこかに誰かがいるのはわかるけど、どこで何をしていたかまでわからないの」

「あー、まぁそうか」


 ミューズもさすがに透視能力まで持っていない。というか視覚的な情報には疎くて当たり前だろう。

 ちなみに、帰りに講堂の教壇の裏をこっそり調べたが、床に隠し扉みたいなのはなかった。絶対あると思ったのに。


「そうね、私には何も聞こえなかったし、ララポーラからシルドラの匂いはしなかった」

「判別つくの?」


 ミューズは獣人姉妹の匂いがそっくりだと言っていた。


「もちろん違いはあるわ、ほんの少しね」


 控えめだが、自信有りげにミューズが言う。

 たいしたものだ、ボクはミューズの匂いが大好きだが、どれが彼女の匂いかと聞かれたら、さすがに確信がない。


「あれ?」


 ボクは、先程ミューズがララポーラに言ったことを思い出す。


――獣人の匂いをここ以外で感じたことはないの

――あなた、シルドラと同じ匂いがするのね


「ボクはてっきり、君はシルドラの匂いを感じたからカマ(・・)をかけたんだと思ってた」


 暗に、ここにいるんでしょう? 私にはわかってるのよ、と言ったのだと思ったが。本当に匂いの話しかしてなかったのか。


「嘘は言ってないわ」


 しれっとミューズが言う。

 この子は良い娘だが、なかなかにしたたか(・・・・)でもある。

 ミューズが続ける。


「でも、あれでララポーラがシルドラと会っているのはわかったでしょ?」

「え、そうなの? ……なんか変な会話してたけど。なんだっけ。なにかあったらミューズを頼るように……だっけ」

「うん、そうね」


 困った妹が近くにいる姉の友達に頼るのは、割と自然だと思うけど。

 ボクがそう言うと、ミューズは呆れたように答えた。


「もうマリー、ララポーラがどこにいるか忘れたの?」

「えっと、どこって、あ、騎士団だ」

「あそこより安全な場所ってある?」


 たしかに。

 ララポーラにとって騎士団こそ最強の庇護者のはずだ。

 おそらくシルドラは、ララポーラがその騎士団に頼れない状況を危惧しているのだろう。それがどのような状況かは憶測の域を出ないが。


「それにね、この街に私達が来たのってつい最近じゃない?」


 つまりミューズは時間的な矛盾を指摘している。

 少なくともシルドラが、ララポーラにミューズの存在を伝えるなら、ミューズがこの街にいることを知っている状態でララポーラとコンタクトを取らなければいけない。

 それはここ数日間の話だ。

 シルドラとはずっと会っていない、というララポーラの証言とは矛盾する。

 それにね、とミューズが続ける。


「ララポーラから別の匂いがしたの」

「なんの匂い?」

「焚き火と、インクの匂い」


 インクは騎士団でも使うだろう。ララポーラも利口そうな子だ、書物の手伝いなんかしていそうである。


「インクはわかるけど、なんで焚き火……あ、シルドラの」

「多分……私もそう思うわ」


 ミューズがやや曖昧に同意する。

 シルドラが、どうやら街の外で野宿をしているようだということはわかっている。


「待って、じゃあなんでシルドラの匂いはしなかったの?」


 焚き火の匂いだけ移って、本人の匂いがしないことって、どういうことだろう。


「さあ、それはわからないわ」


 ミューズがきっぱりという。


「じゃあミューズ、他には? どんな匂いがした?」

「そうね……湿った風、石と砂、たくさんの人、汗と鉄、燃えるロウソク……食べ物が少しと、それと血の匂い」

「え、血?」

「血は匂いが強いの、ずっと古いものじゃなければ、少しでもわかるわ。例えば誰かが怪我をしたとか……別におかしなものでもないわね」


 騎士団の人が訓練したりしてるしな。怪我くらいするかもしれない。つまり、人間の生活の匂いってことか。


「ねえマリー、私は他の人より鼻が効くけど、どうしてその匂いがするかとか、まして、どの匂いを気にすればいいのかはわからないの。だからあまり期待しないでね」

「あ、うん。そりゃそうだよね」


 怪しい匂い、なんてのはものの例えであって、実際に匂いがするわけではない。

 ミューズがこの話を軽くまとめる。


「とにかく、シルドラはなにか事情があって、ララポーラを騎士団から連れ出したいみたい」

「でも、ララポーラは、ここにいる、って言ってた」

「そうね……」


 心配ね、と言ってミューズがうなずく。

 姉妹の間に何があるのかまではわからない。


「えっと、それで。あの子達と、街の事件は関係ありそう?」


 割といちばん心配なのはそこである。


「ないと思うわ」


 ミューズがケロリとして答えた。


「なんかララポーラ、めちゃくちゃ焦ってたけど」


 あまり街に近づくなと、ボクが忠告した途端、獣人の少女はわたわたと慌てていた。


「マリーは直接聞きすぎなのよ。あの娘は素直で正直だから、嘘をつけないみたい。だから、言えないことは言わなかったし、言ってしまった本当のことは、別の本当のことで隠そうとしていたわ」

「へー……ミューズ的な解釈は?」


 そうね、とミューズが顔を上げて右上の方を見た。いやまぁ、見てはないんだが。


「街の事件についてはカルロス団長から聞かされている。怪しい人物の出入りがあることはシルドラから聞いて知っている、そしてそれはカルロス団長にも報告済み」

「おおー」


 思わず感嘆の声が出た。

 ミューズは他人の声の微妙な変化から、その人の感情が読めるという。それと頭の良さが組み合わされば、こんな探偵みたいな真似ができるのだ。


「え、ちょっと待って。カルロス団長はララポーラがシルドラと会っているのを知ってるってこと?」

「ええ、そうみたいね。それにたぶん、領主さんも知っているわ」

「え、コロビナさんも?」


 んー? 知っているのならコソコソと会うようなことをせずに、それこそ堂々と姉妹で大聖堂にいればよいのではないか。


「ねえ、じゃあ。なんでそれをボクたちに教えたの? 大きな声でさ。あれってそういうことでしょ?」


――お姉ちゃんとは四年あってません

――団長も領主様も知ってます


「違うわマリー、アレは私達に警告したのよ。私達が来たことは、すでに二人の耳に入っている。だから口裏を合わせるように、って」

「あー……あぶね」


 カルロス団長に尋ねられたとき、とっさにごまかしたが。あれで正解だったらしい。

 しかし、偉い人が二人も了解しているなら、当然シルドラに怪しいところはないだろう。


「部屋に入ってすぐ、二人とも少し緊張していたの」

「ボクの話してたって……」

「わからないわ。別の話の途中でマリーの話題になっただけかもしれないし」


 ミューズは基本、憶測は言わず、確信のあることだけで話を組み立てている。とても探偵っぽい。かたやボクには全部が謎すぎる。助手役にすらなれない。


「ボクどうすればいいんだろう」

「なにが?」

「知らないふりをするには、知ってることが増えすぎた。でも、何がわかったのかわからない。不用意に動いたら、また何か起こりそうな気がする」


 ボクが不安を漏らすと、ミューズが笑う。


「マリーはマリーのままでいいのよ」

「でも……」

「だってマリー、あなたはいちばん無関係なのよ」

「まぁ、たしかに」


 知ってしまっただけで関与はしていない。どう考えてもボクには関係がない。それはそうだ。


「クゾの言うこともわかるわ。マリーは目立つらしいから。でもね、コロビナさんも言ってたでしょ、マリーの周りで物事が動くのは、そう見えてしまうくらいマリーが動かしているからよ」


 それこそボクにはそんな気はないんだよなぁ。


「ねえマリー」

「なにミューズ」


 ミューズが短い腕を振る。


「私お腹空いた!」


 今日はいっぱい頭脳労働したもんね。


「帰ってみんなでおやつ食べよっか」

「わーい」

 

 少し急ぎ足で大通りを歩く。

 シナモンの匂いがする。どこかの家でアップルパイでも作っているのかもしれない。そう思うと無性にアップルパイが食べたくなった。

 今日のおやつは決まったな。

 帰路にある最後の曲がり角が見えたとき、その角からビアンカが現れた。


「ああ! マリー! ミューズ!」


 両手を広げて駆け寄ってきた。

 満面の笑みである。

 一瞬身構えていると、今度はスラム方面の横道からモッドさんが現れた。

 宿に近いので知り合いにも会うだろうが、二人いっぺんとは奇遇である。


「おう、おめぇら。なんだ、散歩か?」

「うんちょっとどわっ」


 立ち止まったボクのケツに誰かがぶつかった。スラムとは反対の路地、宿の裏手から飛び出してきたのは、石鹸を抱えたアルボだった。


「あっ」


 アルボはボクの顔を見るなり、なぜかきまずそうな表情をする。

 そこにビアンカが飛びかかってきた。

 犬かお前は。


「アルボ、飛び出しちゃ危ないよ、こうなるからねビアンカ離れて!」

「冷たいよマリー、私がどれだけマリーと会いたかったか。君からも言っておくれミューズ」

「さぁ、想像もつかないわね」

「ああそうさ! 想像もできないくらいだよ! うふふ!」


 なんかすごく嬉しそう。

 ビアンカはやたらボクの頬に顔を押し付けて、更に両手でミューズをもみくちゃにしていた。モッドさんがそれを一歩引いたところから薄目で見ている。助けろ。 


「そこが、風通しのいいところ?」


 視線で路地を指してアルボに聞く。


「あ、うん、そうです。そこに石鹸をおいておくと、すぐに冷えるんです」

「へー」


 そんな温度違うか? 今度ボクもためそう。


「モッドさんはなにか新しい情報とかありました?」

「あ? なんでオメェがそんなこと聞くんだ……」


 ボクが聞くと、モッドさんがしかめ面になってビアンカを睨む。それに気づいたビアンカは、ボクとミューズに抱きついたまま肩をすくめた。

 いらぬ疑いを晴らすために正直に言っておこう。


「クゾさんから聞きました。全部」

「あいつかよ……仕方ねぇな」


 モッドさんが舌打ちする。


「おかしなことに首突っ込むんじゃねぇぞ……そうだな、いやまあ、ちょうどいいのか」

「え、なに」


 ボクが注意をそらした一瞬の隙に、ビアンカがミューズを奪っていった。


「エリカの借金な、ないぞ」

「な、え? どゆこと!?」


 突然のことに混乱する。


「あいつの父親、かなりの資産家だったんだけどよ。よくある話だ、保証人だよ。逃げられちまったんだと。それで両親首くくって……あー悪ぃ」


 モッドさんはアルボを気にして語尾をすぼめた。


「大丈夫です。知ってます」

「お、おう。そうか」


 はっきりと言うアルボに少したじろぎながらモッドさんが続ける。


「……それでよ、その金貸しってのが、まぁ欲の皮突っ張ってるって有名でよ、そういうやつぁ多分に漏れず儲け話に目がねぇわな。な?」


 ここでモッドさんが、わかるよな、みたいな顔をした。

 いやわからんが。


「もったいぶらずに教えてよ」

「なんでぇ……だからよ、戦時債券だよ、戦債」

「せんさいー?」


 なんだそれ。


「戦争するにはお金がいるでしょ? だから国が国民からお金を借りたの」

「うふふ、ミューズは賢いね」


 ミューズが説明をしてくれた。

 うふふと笑ってミューズに頬ずりしているビアンカを尻目に、それで? と続きを促す。


「それでって……おめぇほんとに何も知らねぇな」

「難しいことはわからない。ねぇアルボ」

「僕は知ってます」


 頭いいなぁ。


「戦争に勝ったら倍になって帰ってくるって約束だったんです」

「ほへー」


 小学生くらいの男の子にものを教わるのはなかなかの恥辱である。くせになりそう。

 モッドさんが続ける。


「ところがどうだ、終わってみれば財布は空っぽ。借金は踏み倒しよ。へっへ、踏み倒したのがお国となりゃ、取り立てるわけにもいくめぇ?」


 そういえば言ってたな、獣人は土地も持ってなかったとか。それで仕方なく騎士を量産したんだ。


「いやだめでしょ、いくら国でも。法律とかどうなってんの?」


 ボクが苦言を呈すると、ビアンカが補足をくれた。


「お金をいっぱい作ったんだよ。市場流通の倍作れば、借金は半分になるんだ。ふふ、ひどい話だね」

「えっと、でも資産も半分になるじゃん」

「戦後特需があったのさ、うふふ、たくさんなくなったら、たくさん作らなきゃね」


 と、ミューズを撫で回しながら言う。


「そういうの、混乱しなかったの?」


 ハイパーインフレとか言うんじゃないのか。聞いたことあるぞ、コーヒー一杯飲むのにトランクいっぱいのお金がいるとかなんとか。


「民間取引は遅いぶん丈夫なのさ、ふふ、それに皆が皆、数字を取引しているわけじゃない」

「物々交換とか?」

「お金の価値が半分になっても、夕餉(ディナー)を二人分食べるわけじゃないからね。うふふ」


 ビアンカは経済に強いらしい。

 モッドさんがどこか遠くを見ながら言う。


「俺達下々は、なんだか財布が重くなったなぁ、としか思ってなかったな。でもよ、それで財布の紐も緩むわな。むしろ景気も良くなったってもんで」


 バブルだろうか。


「まぁすぐにもとに戻ったがよ」


 バブルだった。


「話を戻すぜ。つまりよ、その金貸しも、全財産を戦債に変えたくちよ。へっへ、賭け事にゃ向いてなかったんだな、全部紙くずになっちまってよ」

「破産したの?」

「おうよ。だからエリカの借金もちゃらって話よ」


 だが待ってほしい、ならなぜエリカは襲われたのだろうか。


「じゃあさ、あいつらはなんなの、ほら、あの二人組の……」

「マルコとガッシュ」


 ビアンカの補足が入る。

 やけに冷たい声だった。


「奴らはおめぇ三下も三下よ、エリカを騙して上がりをちょろまかしてやがった。ふてぇ野郎だぜ。挙げ句の果てに人攫いにまで手を出してよ。落ちるとこまで落ちた人間の最後が……これよ」


 モッドさんが手刀で首をなでる。

 ボクはアルボの頭に手を置いて言った。


「アルボ、この話はボクからエリカに伝える」

「はい、わかりました」


 アルボはそう言うと、ボクの手を振り解くように走り去ってしまった。

 アルボが曲がり角に消える前に、ビアンカがポツリとつぶやく。


「彼は魔法が使えるんだ」

「え、そうなの?」

「マリーは聞いていないのかい?」

「逆にビアンカはいつ聞いたの」

「ふふ、ほら、私がマーガレットと決闘して、その後マリーが嘔吐した日だよ。うふふふ」


 後半は忘れろ。笑うな。


「私はね、戦争の話をしたんだ。うふふ。戦場の地面の色とか、人が死ぬときの顔のこととか」

「おめぇそりゃガキにする話じゃねぇだろうが」


 モッドさんがボクの気持ちを代弁してくれた。

 いい感じでコミュニケーションとってると思ったら、普通にだめなやつだった。むしろそれを黙って聞いてたアルボのほうが大人だ。


「そうだね。ふふ。それで彼は怒ったのかな」

「怒ったの?」

「さあ? 子供の扱い方はわからないんだ。でも、魔法の話をしたときに、彼が言ったんだよ」


 ビアンカがアルボの消えた曲がり角を見つめる。


「魔法なんかなければ、父さんも母さんも戦争に行かなかった。僕はこんなものいらなかった……私には、彼が怒っているように見えたんだ。とても。とてもね」


 因果なもんだ、とモッドさんが言った。

 ボクは、そんなものあってたまるかと思った。

 子供が泣きもせず静かに怒るような。そんな因果、あってたまるか。

シーンというか要素が多すぎるとなんてタイトルつけていいかわからなくてめっちゃ困る。ところで仕事終わりにセブンイレブンでコーヒーとアップルパイを買って食べました。なかなか優雅で幸せになるのでおすすめです。そんな気持ちで付けたタイトルです。後書きか? これ。

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