-Episode:2「ブラッドテラー」-
「……、粗茶と菓子です」
「はぁ、どうも」
「…熱いので、気を付けて下さい」
「それはお気遣いどうも」
さっそく俺はずずず、と程よい焼き目の残った茶碗に注がれたお茶を飲む。そしてことんとテーブルに置きながらほう。と熱い息を吐き出した。何というか、落ち着く。心の奥底にお茶の温かさと苦味が染み込むようで、ざわめきながら波打っていた鼓動が安らいでいった。
「…おかわりも、ありますので」
しかしながら、この気遣ってくれる少女は俺の瞳を一回として見つめようとせず、俺とは対照的に一切の合間を挟む事無く落ち着いていない。現に今の会話にしてもどこか他所を見るようにして、俺じゃない誰かに話しかけるように喋っていたのだ。
さっきの事があったから、という訳ではなさそうだ。俺は再び口内にお茶を満たす。
とんでもない行為が露見した後、俺は(もはや清清しく思えるくらいに)極めて冷静に事の成り行きを説明した。それをどこから取り出してきたのか護身用のスタンガンを前で構えながら聞いていた途上藍は、恐る恐るわなめていた口で「…しょ、証拠を、見せてください」と返答してくれた。さっそく俺は魔王からの言伝を貰った手紙を取り出し途上藍へと渡すと、受け取った途上藍が「…とりあえずこちらの部屋の椅子に腰を下ろしていて下さい」と心許したのか微妙なラインで促したのだ。
「……」
「……」
それにしても、この少女はとことん喋らない。ウェーブのかかった晴れた空に薄い雲が遮っているような水色の髪。ぱっちりと開いてはいるがまるで意志の見られない淡水色の瞳。全体的に小さくスマートかつ可愛らしくまとまった顔だが、逆にそれが存在感の漂白さを際立てている。だが、それによって小柄な体型である途上藍は触れれば折れてしまいそうな、幻想的で可憐な雰囲気を出していた。着ている服は勇魔とまったく同じ服で、赤とピンクといった濃い目な色彩が誇張をしているのだが、結果としてそれを着ている途上の静けさと薄さを矛盾によって目立たせてしまっていた。身長は俺より小さく、それこそ小柄で繊細さを際立てている。
…胸は一般の女子よりは少し小さいぐらいだろうか、しかし身長が小さいという事は"途上藍"なだけに未だ発展途上中だという事も否めないので、まだ望みはあるはずだ。……。ダジャレ、…何で思いついてしまったんだ。
ふと意識を戻すと、途上藍が水色の瞳を揺らし身体を縮こまらせながらこちらを見ていた。
「…な、何か私しましたか? …私を見ていましたが、もしかして違反行為をしてしまっていたとか」
「ん? いや気にしなくて良い。これは俺の"癖"というか、習性みたいなもんだ。小さい頃から"眼"が他の奴と違って異常に良かったからな、どうしても観察してしまうんだよ」
「…はあ、変わっていらっしゃるんですね」
「不快だったならすまん」
「…いえ、いえ」
苦笑いにも近い作り笑顔を向けながら、「あはは…」と掠れた声を出す途上藍。
ふむ、やはりというか予想できたというか。途上藍は対人恐怖症を煩っているのか、単純に人と接する事が出来ないのかの判断こそ付けられないものの、大よそその辺りに属しているようだ。一度としてテーブル越しに正面で座っている俺の瞳を瞳で捉えようとせず、不規則に視線の先が動いては一定の所で止まる様子も見られない。言葉の端々から相手の機嫌を伺うように下からの態度が滲み出ているし、何より雰囲気を初めとして何から何まで途上藍の確固たる物を感じられない。
――色々と俺に似ている部分があるが、それは置いておいて。とりあえず、俺から話しかけてみよう。
「俺は新崎真人。特技はさっき説明した通り"見る"事だ。魔法学校高等部一年、帰宅部所属」
「…え、あ。はい。私は途上藍です。発展途上の『途上』に、藍色の『藍』と書きます。…今年から魔法学校に付属する事になりました、部活は入りません」
意外にも部活には入りません。としっかりとした意志を示して、その上途中声が小さくなったものの、最初に比べてかなり喋った。意志が無く、喋られない。という訳ではないらしい。まぁ、そこらへんは後々ゆっくり見極めればいいだろう。そういった考えに至った刹那――。
ドガァアアアシャラッラゴンドンドンドドドガァァァァアアアアアン!!
「な」
「きゃあっ!? 」
思わず身を竦ませそうになるほど鈍く大きな音が部屋の中を駆け抜け、小さな揺れが一瞬だけ襲った。正面に座っていた途上藍は頭を両手で抱え込み、それに伴い淡色の髪がふわりと揺れる。
対して俺は咄嗟に"もしかしたら"の事態を想像し、途上藍を守ろうと椅子から立ち上がったのだが。
「…何も無い? 」
先程の爆音が嘘だったかのように、断続的かつ鼓膜を裂くような音は消え、周囲は物静かになっている。
「…お、収まりました? 」
「みたいだが…、異様に近くなかったか? それに、まるで何かを蹴破ったかのように音の響きに違いが…」
「…よ、良かった。です。…こういうの、慣れてないので」
「……」
「…ど、どうしましたか? 」
「途上藍、出来るだけ俺に近づいてくれないか? 」
「…、……? うぇっ。…うぇっ!? …もしかして今さらりと私にセクハラしてきました? 」
「いや、確かに一割ぐらいはあるが。そうじゃな――」
言い終わる前に、玄関側に座っていた途上藍の後ろのドアが独り手に開かれた。
「…え? 」
「……」
間の抜けた声を出している途上藍の前へと、俺は憚るようにして立つ。その際に女の子のふんわりとした匂いがしたが、意識をしっかりと前方へと集中させた。今度は何だ?
もうこの町なら何でも出てくる気がして仕方が無い。
「うーん、もうお腹すいたぁ…」
ただし、出て来たのは受付の吸血鬼であって、決して化け物ではなかったのだが。どうにも様子がおかしい。ふらふらとした千鳥足で物に掴まりながら歩き、顔を熱い訳でもないのに真っ赤に染め上げている。
女性は光を帯びていない虚ろな二つの瞳で、ぎょろり、とこちらを"定める"と、可愛らしい唇を柔らかそうな舌で舐めて、
「あ、やっと見つけました、優しい方。お願いします、お腹が空いたので血を吸わせて貰えないでしょうか? 」
灼熱の炎のように赤く染まった瞳で妖艶に捉え、細めた。どう見てもそれはまともな状態とは言い難く、異質だ。…その上理由は分からないが、どうやら今俺達は吸血されそうになっているらしい。どうしたんだ?
「気を付けてくれ、様子がおかしい」
「…はい。…それにしても、まるであの人の瞳は壬生○族みたいですね」
「いや、覚醒していないから間違ってるぞ。…って違う。無明○風流奥義は使いそうだが、そうじゃない。あの人は吸血鬼なんだから、目が赤いのは当然だ。それと俺が言いたいのは気を付けてくれって事だよ」
「…はぁ。…その内心霊探偵でもやりそうですね。…見えた! …的な」
「人の話を聞く気がまるで無いな、おい」
というかこいつ、アニメや漫画の話になった途端に喋りだしたな。もしかして熱が出てつい喋っちゃうタイプだったりするのか? それにしてもさっきから右腕が痛い。痛い、痛い。ジンジンする上に寒気すら覚えた。
「…に、新崎さん。…腕」
恐怖というか興味というか色んな物をごちゃごちゃに混ぜた瞳で俺に示唆する途上藍。ん、腕? 俺の腕がどうした?
ゆっくりと見下してみる。
「えへへー、美味しいなー」
そこには、先ほどまで前でゆたゆたと揺れいていたはずの女性が何時の間にか屈むようにして俺の右腕へと噛み付いていた。しかし大きく噛み付く感じではなく、淑やかさと形容すべきか、慎ましく小さな口でチューチューと甘噛みするように『吸血』している。女性が大きく血を吸う度に俺の背筋はぞくりと冷えた感触が駆け抜け、何かが自分から抜け落ちていくように感じた。けれど、それがとても気持ちよくて、駆け抜けていくのは快感で、落ちていくのは俺の理性だから、徐々に吸血されている事を受け入れ始めていた。
っておい? いや、そうじゃなくて、最初に感じないといけないのは危機であり快感ではないだろう。あぁ、くそ。そうか、吸血しているって事は、吸血鬼特有のフェロモンのせいで頭が正常に働かないのか。しかも前回吸われた時よりもかなり色々と酷い。…でも、吸われた方が幸せじゃないだろうか? 違う、違う、良くない。
ぐにゃぐにゃと壁が斜めに揺れ、女性の姿がピントの合わないカメラのようにボケている。かろうじて立っているのだろうが、足が悲鳴を上げるように小刻みに震えているのが分かった。落ち着け俺。
ぼうっとしていた意識をかき集め、理性を成り立たせた上で頭をフル活用させる。ダメだ、この状態は非常にマズい。このままではこの"女性"が危険だ。もちろんフェロモンを浴びて頭がおかしくなっている上に血を吸われている俺も失血死する可能性もあるし、後ろにいる途上なんかはフェロモンに免疫があるわけがないので危険なのだが。
「…はぁ、…はぁ。…あれ、私なんでここまで。…息が」
悪い予想というのは良く当たる物で、はぁ、はぁ、と熱でも出したかのように大きく熱っぽい息を途上藍が吐き出し始めていた。…振り向いてはダメだ。決して様子を伺っては駄目だ。とんでもなく興奮している今見てしまったら、触れてしまったら、自我を保てなくなる。血流をよくする為にフェロモンによって興奮させられている俺は、言わば何時爆発するか分からない爆弾のようなもので、間違っても暴発させてしまってはいけない。そんなものが、いつまで持つのだろうか。
ぞくり、と『やってもいいんじゃないか』という邪な背徳的意識と恐怖感から、体に冷たい物が走った。
「くそっ、すいません! 」
未だ俺に噛み付いている女性を、メーターの壊れた力加減で振り払う。申し訳程度の謝りだったが、幸いにも女性は「あうっ」と尻餅を着いてしまう程度で済んだようだ。
「はぁ、はぁ…」
何かをしなければいけないというのに、何をしたらいいのかがさっぱり分からない。立ち尽くしたまま息を切らし、熱に浮かされたかのように体は温まり、脳味噌は沸騰していて、その上湧き上がってくる劣情はとどまる事は知らない。噛まれた所に付いた生暖かい液体でさえ微細に感じ取れ、いまだこの香る匂いが、…匂いが。
「酒臭ぇな! 」
尋常じゃないぐらい酒臭え!! 何だこれ、どれぐらい飲んだらここまで臭くなるんだ!? 息を吸い込んだ瞬間に吐き気がしたぞ!?
ツンと鼻を刺激するように漂っている何重にも凝縮された酒の匂いは、マグマのように煮えたぎっていた血液を一瞬にして冷えさせ、場の流れに酔っていた視界をクリアにさせる。例えるなら盛り上がっている所にオヤジギャグを唐突に噛まされたり、一発ギャグをすると言って思いっきり滑った時みたいな感じだろうか。ああいう時の冷め具合といったら耐え切れる物ではない。とにもかくにも、お陰で根本的には興奮状態にありつつも、理性を取り戻した俺は全て理解出来た。そしてそのまま台所へと駆け出す。
「…も、もしかして。…にんにくなら、…冷蔵庫の三段目にありますよっ」
吸血鬼の弱点であるにんにくを探しに行ったのだと勘違いした上で助言をしてくれた途上藍に、俺はすぐさま答える。
「違う! この人は酔っているだけだ。それなら目を覚まさせてやればいい!! 」
返事をしながら俺は近くの棚に入れてあるグラスを一つだけ取り出し、急いでやるべき事をする。その間視界に入った途上は、第一印象から程遠いぐらいの嬉々とした顔をして。
「バトルんですね! 」
「それも違う、これだ」
「…へ? 」
俺の右手にはその手にはキンッ…、キンッ…! に冷えた水が入ったグラス。
「…バトルをする、んじゃないんですか? 」
俺はゆっくりとした足取りでカウンターから出て、倒れたまま立つ気の無さそうな女性の元へと近づきながら答えた。
「戦って酔いが覚める訳じゃないだろ。理性を取り戻さない限りは根本的原因は解決しないし、それなら頭を冷やしてもらった方が早い」
そして屈むように腰を折りグラスを差し出す。女性は「へひゅう? 」とやや呆けた声を出したが、少しの間を置いておもむろにコップを受け取って飲み始めた。
「…そ、そうですけど。…魔法の国なら、…こう、…胸がドキドキとするような、…展開は」
「ない」
「…そんな」
余程俺の返事がショックだったのか、途上藍は見るからに声色を下げ、淡い水色の瞳をより濁らせていた。
…こいつも、また一癖有る奴だな。