0.8秒
通話は、三十秒で終わった。
「次は医療機器です」
それだけを残して、男は切った。
七瀬はしばらくスマホを握ったまま動かなかった。
零がソファから起き上がる。
「本物か?」
「分からない」
「でもお前、顔がもう行くって言ってる」
七瀬は否定しない。
胸の奥がざわついている。
医療機器。
前回は製品不具合。
今回は――命だ。
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資料
翌日、匿名メールが届く。
圧縮ファイル。
パスワード付き。
本文は短い。
《心臓補助ポンプ Model-RX9
回転遅延 0.8秒
内部試験データ改竄あり》
七瀬の指が止まる。
「0.8秒?」
零が眉をひそめる。
「それ、でかいのか?」
「分からない」
トウマが即座に解析を始める。
内部資料。
試験ログ。
メール履歴。
改訂履歴。
専門用語だらけだ。
七瀬は国家の男に連絡する。
「医療分野は慎重に」
「分かってる」
「裏取りを徹底してください。命に直結します」
一瞬の沈黙。
「覚悟はありますか」
七瀬は答える。
「あります」
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医療機器メーカー「東和メディカル」
業界中堅。
急成長中。
心臓補助ポンプRX9は主力商品。
術中に一時的に心機能を補助する装置。
トウマがデータを開く。
「回転遅延0.8秒……」
「何が問題?」
「ポンプ起動指示から実際の回転安定までの遅れ」
零が腕を組む。
「0.8秒で死ぬのか?」
「条件次第だ」
七瀬は資料を読む。
内部テスト結果。
“基準値内”と書かれている。
だが別ファイルにはこうある。
《緊急時低血圧症例で危険域到達の可能性》
さらに。
《報告書から該当データ削除済》
空気が重くなる。
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裏取り
七瀬は医療専門家に匿名で相談する。
心臓外科医。
慎重な口調。
「0.8秒は状況次第で致命的です」
「どんな状況で?」
「術中出血。低血圧。高齢者」
一拍。
「ただし、単純に危険とは言い切れない」
そこが難しい。
断定できない。
前回よりも曖昧だ。
国家の男が言う。
「グレーは最も危険です」
「分かってる」
「白でも黒でもない場合、あなたが黒に見せた瞬間に負けます」
七瀬は深く息を吐く。
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企業側の動き
同時期。
東和メディカル内部。
「内部データ流出の可能性があります」
会議室の空気が凍る。
「誰が?」
「特定中です」
役員の一人が低く言う。
「七瀬か」
名前はすでに出ている。
前回の裁判で、業界は彼を警戒している。
「動画が出る前に潰せ」
「どうやって」
「法的措置の警告」
広報が言う。
「事実でない場合は名誉毀損」
焦りがにじむ。
医療は、炎上すれば致命傷だ。
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圧力
七瀬のもとに、正式な書面が届く。
《貴殿が当社製品について不正確な情報を拡散した場合、厳正に対処します》
まだ何も出していない。
だが、牽制だ。
零が笑う。
「効いてるな」
「まだ出してないのに」
「だからだ」
七瀬は書面を机に置く。
前回よりも早い。
企業は学習している。
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内部告発者
再び連絡。
今度は暗号チャット。
《患者死亡例、2件》
七瀬の背筋が凍る。
「因果関係は?」
《公式には“合併症”》
《でも術中ログでは回転遅延発生》
トウマが言う。
「ログが本物なら重い」
国家の男が警告する。
「死亡事例は極めて慎重に。誤れば取り返しがつかない」
七瀬はチャットに打つ。
《証拠をください》
返答はない。
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夜
部屋は静まり返っている。
七瀬は一人、術中ログを再生する。
時系列データ。
血圧低下。
起動指示。
回転安定。
0.8秒。
画面上では短い。
だが実際の手術室では、永遠にも感じるかもしれない。
零が後ろから言う。
「やるのか?」
「やる」
「確証は?」
「まだ足りない」
七瀬は目を閉じる。
前回の勝利が、逆に重い。
今回は負けられない。
だが焦れば終わる。
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追撃
翌朝、ニュースが流れる。
《東和メディカル、新型機器で世界展開発表》
タイミングが早すぎる。
零が言う。
「攻めてきたな」
世論を先に固めるつもりだ。
成功企業。
医療革新。
ポジティブ報道。
七瀬は理解する。
これは速度戦だ。
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決断
七瀬はカメラの前に座る。
だが今日は告発しない。
ライブ開始。
「今日は予告です」
コメントが流れる。
《次は何?》
《また企業?》
七瀬は静かに言う。
「医療機器について検証しています」
チャットが止まる。
「断定はしません」
一拍。
「事実確認が終わるまで出しません」
零が横でうなずく。
「でも」
七瀬は続ける。
「もし事実なら、出します」
静かな宣言。
煽らない。
だが引かない。
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直後
配信終了から一時間。
東和メディカルの株がわずかに下がる。
まだ小さい。
だが市場は反応した。
トウマが言う。
「もう後戻りできない」
七瀬は窓の外を見る。
前回より危険だ。
相手は医療。
命。
感情では済まない。
それでも。
「忘れない」
小さく呟く。
零が答える。
「今回は、忘れさせないじゃない」
一拍。
「救う、だ」
七瀬は何も言わない。
だが目は、もう決まっている。
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第七十七話。
死亡症例の遺族接触。
封じられたカルテ。
そして、0.8秒の意味が明らかになる。
【第七十六話 終】
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