弱点
和解案は、予想より早く届いた。
だが今回は、条件が違う。
国家の男が書類を机に置く。
「訴訟取り下げ」
一拍。
「損害賠償請求、放棄」
零が目を細める。
「ずいぶん優しいな」
「その代わり」
国家の男が続ける。
「今後、当社および関連企業に関する発信を一切行わない」
沈黙。
七瀬はゆっくり椅子に座る。
「言論封鎖」
「事実上な」
トウマが低く言う。
「さらに条項がある」
ページをめくる。
《内部資料の提出および破棄》
《第三者への開示禁止》
つまり。
告発者の証拠を封じる。
零が吐き捨てる。
「これが本命か」
七瀬は静かに言う。
「私を黙らせるより、証拠を消す方が優先」
国家の男が頷く。
「企業側も追い込まれている」
一拍。
「だがこれは受けられない」
「当然」
七瀬の声は迷わない。
だが。
国家の男は続ける。
「問題は別にある」
空気が変わる。
「何」
「企業は、あなたの“収益”を調査している」
七瀬の眉が動く。
「税務?」
「可能性はある」
一拍。
「過去の案件、投げ銭、スポンサー契約」
零が顔をしかめる。
「粗探しか」
「法廷戦略としては有効」
国家の男は冷静だ。
「あなたが“公益のため”と言うなら、動機の純粋性を崩す」
トウマが言う。
「利益目的だったと印象づける」
七瀬は深く息を吐く。
「収益は公開してる」
「だが“タイミング”」
国家の男がタブレットを見せる。
グラフ。
七瀬のチャンネル登録者数。
討論後、急上昇。
収益推定額も比例。
零が呟く。
「……痛いな」
企業側がこれを出せば。
《炎上で稼いだ》
そう見せられる。
七瀬の胸がざわつく。
否定はできない。
事実として、数字は伸びた。
トウマが静かに問う。
「あなたは、ゼロ円でも戦いましたか」
沈黙。
七瀬は正直に答えない。
答えられない。
生活はある。
収益は現実。
国家の男が言う。
「これが弱点」
一拍。
「完全な無私ではない」
零が低く言う。
「人間だからな」
だが法廷では、それが揺さぶりになる。
その夜。
予告通り、企業側準備書面が公開される。
《被告は本件騒動により多額の経済的利益を得ている》
具体的な推定額まで記載。
SNSが再び荒れる。
《結局金》
《売名》
《正義ビジネス》
七瀬は画面を見つめる。
心臓が重い。
零が言う。
「事実だけど全部じゃない」
「うん」
「でも刺さる」
トウマが言う。
「ここで感情的に否定すると逆効果」
国家の男。
「収益構造を透明化する」
一拍。
「全公開」
零が振り向く。
「マジか」
「腹をくくるなら、それしかない」
七瀬は考える。
全部出せば、生活も、弱さも晒す。
だが。
隠せば、疑いは消えない。
「やる」
一拍。
「全部出す」
翌日。
七瀬はライブを開く。
画面に資料。
収益内訳。
広告収入。
投げ銭。
スポンサー契約。
「討論以降、増えました」
正直に言う。
「でも」
一拍。
「寄付はまだ募ってない」
「案件も断っている」
証拠を示す。
メール履歴。
断りの文面。
チャットが揺れる。
《そこまで出す?》
《本気だ》
七瀬は続ける。
「お金が欲しくないわけじゃない」
静まり返る。
「生活してるから」
一拍。
「でも、これを始めた理由はそこじゃない」
目がまっすぐだ。
「利益が出たから間違い、とは思わない」
一拍。
「でも疑われるのは理解してる」
零が小さく頷く。
トウマの目が細まる。
国家の男は無言。
七瀬は最後に言う。
「だから全部見せる」
「判断は、見てる人に任せる」
配信終了。
しばらく無音。
零が言う。
「賭けだな」
「うん」
「でも逃げなかった」
トウマが静かに言う。
「これで“金目的”の一点突破は難しくなりました」
国家の男が頷く。
「企業は次のカードを切る」
「まだあるの?」
「ある」
七瀬の胸がざわつく。
その夜。
匿名アカウントが投稿。
《七瀬、過去に企業と水面下で接触していた証拠》
添付。
メールのスクリーンショット。
七瀬の名前。
企業担当者。
日付は――討論前。
零が凍る。
「これ……」
七瀬の血が引く。
確かに、削除要請直後。
一度だけ、問い合わせのメールを送った。
公開前に確認を、と。
だが文面が切り取られている。
《御社と建設的な関係を築ければ幸いです》
その一文だけが拡散。
《裏で取引しようとしてた?》
チャットが爆発。
七瀬の呼吸が浅くなる。
トウマが低く言う。
「事実関係は?」
「送った」
正直に言う。
「でも取引じゃない」
国家の男が静かに言う。
「説明は可能」
一拍。
「だが印象は最悪」
零が呟く。
「これが最終カードか」
七瀬は画面を見つめる。
自分の弱さ。
迷い。
すべてを利用される。
守ると決めた。
戦うと決めた。
だが今、初めて思う。
――折れた方が楽かもしれない。
その瞬間。
スマホが震える。
告発者から。
《あのメール、社内で話題になってます》
一拍。
《でも、取引には見えていません》
七瀬の目が揺れる。
《上は焦っています》
焦っている。
なら。
まだ終わっていない。
七瀬はゆっくり息を吸う。
「説明する」
零が見る。
「全部?」
「全部」
一拍。
「弱さも含めて」
戦いは、もう理想論ではない。
人間同士の削り合い。
それでも。
立つ。
第五十九話。
メール全文公開。
企業側の“決定的矛盾”が露呈する。
崩れるのは、どちらか。
【第五十八話 終】
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