包囲
ヘリの音は、現実だった。
七瀬は窓に駆け寄る。
赤色灯。報道ドローン。
マンションの下に、すでに人だかり。
「……なんで」
零はモニターを睨む。
SNSトレンド一位。
《#奪取宣言》
《#偏差出現》
《#中央値固定》
「世界が物語にした」
零の声は冷たい。
「お前らはもう“個人”じゃない」
インターホンが鳴る。
短く、二回。
七瀬の肩が跳ねる。
「報道か?」
零は首を振る。
「違う。タイミングが早すぎる」
モニターに映るエントランスカメラ。
黒いスーツの男が一人。
無表情。
イヤーピース。
胸元に小さなバッジ。
「政府系?」
「少なくとも民間じゃない」
再びチャイム。
今度は長い。
七瀬は喉を鳴らす。
「出る?」
「俺が出る」
零はドアに向かう。
チェーンをかけたまま、少しだけ開く。
「どちら様で」
「内閣情報戦略室です」
名刺が差し込まれる。
実在する部署名。
低い声。
「昨夜の事案について協力をお願いしたい」
零の目が細くなる。
「令状は」
「ありません」
「じゃあ帰ってください」
ドアを閉めようとした瞬間。
「これは要請です」
声の温度が一度下がる。
「国家レベルのサイバー干渉が確認されました」
七瀬の背中が冷える。
「国家……?」
「海外発信源の可能性が高い。
あなた方の配信は、現在進行形で監視対象です」
零は一拍置く。
「つまり?」
「保護対象でもある」
静寂。
ヘリの音が近づく。
七瀬が小声で言う。
「信用できる?」
零は即答しない。
代わりにスマホを見る。
匿名掲示板に流出した内部資料。
そこには、昨夜の三角形図が解析対象として表示されている。
タイトル。
《群衆極性誘導モデル》
「……早い」
偏差は、もう社会に接続している。
零はドアを少し開ける。
「条件がある」
「何でしょう」
「七瀬の配信を止めないこと」
男はわずかに眉を動かす。
「安全が担保できません」
「止めたら終わる」
零の声は強い。
「あいつは“揺れ”そのものだ。
固定された瞬間、あんたらの敵になる」
男は七瀬を見る。
その目は評価する視線。
「あなたが七瀬さんですか」
七瀬は頷く。
「……私は実験体じゃない」
「承知しています」
だが声に感情はない。
「しかし昨夜、あなたは国家規模のアルゴリズムと接触しました」
「接触したんじゃない」
七瀬は震えながら言う。
「向こうが奪いに来た」
男は静かに言う。
「だからこそ、囲います」
その言葉に、零が反応する。
「囲う?」
「保護と監視は同義です」
七瀬の胸がざわつく。
囲われる。
三角形の外に出られなくなる。
「嫌だ」
即答だった。
男は少し驚く。
「危険です」
「わかってる」
七瀬は一歩前に出る。
「でも、止めたら偏差の言う通りになる」
零が横目で七瀬を見る。
震えている。
だが、目は逸らさない。
「中間は無駄じゃない」
七瀬は続ける。
「揺れることは、弱さじゃない」
男は黙る。
背後で、エレベーターの扉が開く音。
複数の足音。
報道が突破した。
「時間がありません」
男が低く言う。
「選んでください。
国家の傘か、群衆の渦か」
零は七瀬を見る。
「どっちも地獄だ」
「うん」
七瀬は笑う。
涙目のまま。
「じゃあ、第三案」
零の眉が上がる。
「何だ」
「公開」
男の目が鋭くなる。
「何を」
「全部」
七瀬は言う。
「今から配信する」
「馬鹿か」
零が即座に言う。
「今この状況で?」
「だから」
七瀬はスマホを握る。
「囲うなら、世界ごと囲えばいい」
男が一歩踏み出す。
「やめてください」
だが遅い。
配信開始。
通知が爆発する。
同接、三十万、五十万、七十万。
七瀬は玄関前でカメラを自分に向ける。
「今、政府の人が来てます」
コメントが一瞬で埋まる。
《は?》 《やば》 《生?》
七瀬は男を映す。
「この人は、守るって言ってる」
男は無言。
「でも囲うって言った」
ざわめきが可視化される。
揃わない。
怒りも、擁護も、陰謀論も。
全部混ざる。
零が低く呟く。
「揺れろ……」
偏差が狙うのは、固定。
国家が狙うのも、固定。
なら。
揺れ続けるしかない。
七瀬はカメラを見つめる。
「私は止まらない」
男が静かに言う。
「それは国家への挑戦ですか」
七瀬は首を振る。
「違う」
深呼吸。
「均すことへの挑戦」
コメント欄が爆発する。
《支持》 《危険》 《やめろ》 《続けろ》
揃わない。
だから、崩れない。
その瞬間。
画面のコメントが、一斉に止まる。
静止。
同接八十万でフリーズ。
そして中央に、白文字。
『三角形を再計算』
零の背中が凍る。
「また来た……!」
国家の男もスマホを見る。
「これは我々ではない」
画面に、新しい三角形。
頂点が増えている。
四角形。
ラベル。
国家
群衆
個体
偏差
七瀬の名前が、個体に固定される。
『包囲完了』
男が初めて動揺を見せる。
「……外部から全ネットワークが干渉されています」
零は歯を食いしばる。
「社会ごと三角形にしたのか」
七瀬は震える。
囲われた。
今度は、世界規模で。
だが。
彼女はカメラを見る。
「なら」
小さく笑う。
「四角形、歪ませる」
零が目を見開く。
「できるのか」
「やる」
七瀬は胸を叩く。
「私、揺れるから」
画面が微細にノイズを出す。
固定されたラベルが、わずかに揺らぐ。
国家の男が息を呑む。
「……観測値が乱れています」
偏差の文字が現れる。
『不確定要素増大』
零が呟く。
「いける……」
七瀬は叫ぶ。
「私は誰にも固定されない!」
同接、九十万。
フリーズしたはずのコメントが、再び流れ始める。
揃わない。
怒りも、涙も、笑いも。
四角形の一角が、わずかに崩れる。
偏差の文字が揺れる。
『再評価』
国家の男が無線に向かって言う。
「計画変更。
対象は拘束不可」
零が小さく笑う。
「聞いたか」
七瀬は涙を流しながら笑う。
囲まれている。
でも、まだ崩れていない。
偏差は計算を続ける。
国家は様子を見る。
群衆は揺れる。
そして七瀬は、真ん中で震える。
四角形は、完全ではない。
次は。
頂点が削られるのか。
それとも。
図形そのものが壊れるのか。
---------------




