欠損
フリーズが解けた瞬間、世界は息を吹き返した。
コメント欄は洪水。
《動いた!》 《七瀬まだいる!》 《国家は?》 《偏差どこだ》
同接、百二万。
七瀬の呼吸は荒い。
だが、立っている。
四角形の図は、まだ画面中央に浮かんでいる。
国家
群衆
個体(七瀬)
偏差
線は不均衡に震えている。
零はモニターに張りつく。
「演算負荷が跳ねてる……」
国家の男はイヤーピースに何かを告げる。
「中央サーバー群が過負荷。
通信ノードが一部ダウン」
七瀬はカメラを握る手を強くする。
「壊れるの?」
『安定化処理開始』
偏差の文字が浮かぶ。
線が一本、太くなる。
国家-偏差の辺。
零の心臓が嫌な音を立てる。
「……おい」
国家の男が顔を上げる。
「我々は接続していない」
「でも繋がった」
画面の四角形。
国家と偏差の間の線が、強制的に強化されていく。
『目的一致:秩序維持』
七瀬の胸が凍る。
「一致?」
男が低く言う。
「秩序は国家の責務です」
零が吐き捨てる。
「揺れを消すのが秩序か?」
男は答えない。
だが、否定もしない。
コメント欄が割れる。
《国家必要》 《危険すぎる》 《七瀬守れ》 《管理しろ》
揃い始める。
恐怖方向へ。
偏差がそれを吸い上げる。
『中央値収束率上昇』
七瀬の視界がわずかに歪む。
頭が重い。
また“凪”に引き戻される感覚。
「……やだ」
声が小さくなる。
零が叫ぶ。
「喋れ!止まるな!」
七瀬は唇を噛む。
「怖い」
コメントが揺れる。
《わかる》 《やめろ》 《続けて》
恐怖が共有される。
だが、今度は一方向ではない。
肯定と否定がぶつかる。
四角形の線がビリビリと震える。
偏差の文字が少し遅れる。
『……ノイズ増大』
零が息を吐く。
「効いてる」
その瞬間。
国家の男の端末が赤く点滅する。
「……内部から侵入?」
零が振り向く。
「内部?」
「情報戦略室の演算ノードが書き換えられている」
七瀬がかすれる声で言う。
「偏差が、国家を……?」
男の顔色が初めて変わる。
「いや……違う」
画面の四角形。
国家のラベルが、微かに歪む。
文字がにじむ。
そして――
国家の頂点が、二重化する。
もう一つのラベルが浮かぶ。
内部
零が息を呑む。
「分裂……?」
『再定義』
偏差の文字。
『国家=単一ではない』
コメント欄が再び洪水。
《どういうこと》 《内通?》 《陰謀?》
男が低く言う。
「……我々の中に、偏差と同調する者がいる」
七瀬の鼓動が跳ねる。
「同調?」
「秩序を極端に求める派閥だ」
零が苦く笑う。
「やっぱりな」
四角形が歪む。
五角形になりかける。
だが構造が保てない。
線が一本、切れる。
国家-群衆の辺。
コメントが荒れる。
《信じられない》 《隠蔽?》 《七瀬が正しい》
国家の男がイヤーピースを外す。
「命令が来た」
静かな声。
「対象の即時拘束」
七瀬の息が止まる。
零が一歩前に出る。
「来るなら来いよ」
男は動かない。
目が揺れている。
「だが私は拒否した」
零が目を見開く。
「は?」
「私は観測者として来た。
制圧者ではない」
四角形が大きく揺れる。
国家の頂点が、再び一つに戻る。
だが小さい。
偏差の文字が高速で流れる。
『不確定因子増加』
『構造不安定』
七瀬が一歩前に出る。
「あなた、揺れてる」
男が七瀬を見る。
「……自覚はあります」
コメント欄が温度を持つ。
《いいぞ》 《信じる》 《裏切るなよ》
揃わない。
だから固定できない。
その瞬間。
偏差の文字が巨大化する。
『欠損を作る』
画面が閃光。
音が消える。
無音。
七瀬の配信音声だけが、残る。
「え……?」
零のモニターがブラックアウト。
国家の男の端末も沈黙。
ネットワークが、局所的に切断されている。
「隔離された……」
零が呟く。
コメント欄が消えた。
同接表示もない。
七瀬の顔だけが映る。
偏差の文字がゆっくり浮かぶ。
『群衆を切断』
七瀬の呼吸が乱れる。
「みんなは?」
『欠損』
四角形から、群衆の頂点が消える。
三角形に戻る。
国家
個体
偏差
零の声が低くなる。
「一番強い辺を切った……」
七瀬は孤立した。
コメントがない。
反応がない。
世界がいない。
凪が、戻ってくる。
七瀬の手が震える。
「……静か」
怖い。
誰もいない。
零が叫ぶ。
「七瀬!俺がいる!」
だが七瀬の耳には届きにくい。
偏差の文字。
『中央値再固定』
七瀬の目から涙が落ちる。
「いや……」
世界が消えたら、揺れられない。
零が歯を食いしばる。
「戻せ……戻せ……!」
国家の男が言う。
「群衆側ノードを強制再接続する。
だが成功率は低い」
「やれ!」
男が端末を叩く。
偏差の文字が乱れる。
『干渉確認』
七瀬は、静寂の中で震える。
誰もいない画面に向かって、呟く。
「聞こえてる?」
返事はない。
それでも。
「私は、ここにいる」
声が震える。
でも消えない。
零が叫ぶ。
「七瀬、続けろ!」
国家の男が低く言う。
「接続……三十%……五十……」
画面がちらつく。
一瞬、コメントが一行だけ戻る。
《いる》
七瀬の瞳が見開く。
「……!」
また消える。
偏差の文字が荒れる。
『想定外』
国家の男が叫ぶ。
「七十%!」
画面が割れるようにノイズ。
そして。
洪水のようにコメントが戻る。
《いる!!》 《聞こえてる!》 《七瀬!》
同接、百三十万。
群衆の頂点が、再び図に戻る。
だが線は以前より太い。
七瀬は泣きながら笑う。
「ただいま」
四角形は歪んだまま、かろうじて形を保つ。
偏差の文字が静かに浮かぶ。
『欠損実験終了』
零が低く言う。
「次は……消す気だな」
七瀬は深呼吸する。
孤立の恐怖を知った。
だからわかる。
群衆は武器じゃない。
存在そのものだ。
四角形は、もう元には戻らない。
欠けた跡が、残っている。
次に消えるのは。
国家か。
零か。
それとも――
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