観測者
世界のすべての画面が、白くなった。
それは一瞬だったのかもしれない。
あるいは、数秒。
もしかすると、もっと長かったのかもしれない。
だが、誰もその時間を正確には覚えていない。
テレビも。
スマートフォンも。
パソコンも。
街の大型モニターも。
すべてが白くなった。
真っ白な光。
音はない。
映像もない。
ただ、白い。
そして――
何事もなかったように、世界は戻った。
街は普通だった。
信号は変わる。
電車は走る。
人は歩く。
ニュース番組は通常通り始まり、
天気予報では明日の雨を伝えている。
誰も騒いでいない。
SNSも、いつも通りだ。
朝ごはんの写真。
猫の動画。
仕事の愚痴。
あの配信の話題は、どこにもない。
ダンジョンの空洞。
そこも静かだった。
水滴の音。
ポタ……
ポタ……
石の椅子。
その上に、俺は座っていた。
背中に重みを感じる。
石は冷たい。
体が、動かない。
腕も。
足も。
首も。
ただ、目だけが動く。
視界の端に、カメラが見える。
床に置かれたまま。
黒い画面。
配信は止まっている。
……はずだった。
画面が光る。
小さく。
ゆっくり。
数字が浮かぶ。
視聴者数 1
俺は瞬きをする。
影の俺が横に立っていた。
いや。
もう影ではない。
ただの人影のように、静かにそこにいる。
そいつが言う。
「座ったな」
俺は答えない。
答えなくても分かっている。
そいつが言う。
「これで」
「世界は安定する」
「観測が続く」
俺はゆっくり聞く。
「ずっとか」
そいつは肩をすくめる。
「さあな」
「誰かが来るまで」
水滴の音。
ポタ……
ポタ……
時間が流れる。
どれくらいか分からない。
カメラの画面を見る。
視聴者数。
1
チャットが流れる。
〈見てるよ〉
短い一行。
それだけ。
俺は目を閉じる。
暗闇。
しばらくして、また目を開ける。
数字は変わらない。
1。
たった一人。
だが。
それで十分なのかもしれない。
観測は続いている。
世界は決まっている。
崩れていない。
影の男が言う。
「なあ」
「お前」
「最初に配信したとき」
「何を求めてた?」
俺は少し考える。
昔のことだ。
カメラを初めて回した日。
コメントが一つも来なかった夜。
それでも配信を続けた日々。
俺は小さく答える。
「見てほしかった」
影の男は笑う。
「今は?」
俺はカメラを見る。
視聴者数。
1
チャット。
〈見てるよ〉
俺は言う。
「今も同じだ」
影の男は何も言わない。
空洞は静かだ。
ポタ……
ポタ……
遠くで、風の音がする。
そして。
長い時間のあと。
ダンジョンの入口で、石が転がる音がした。
カラン……
誰かが来た。
足音。
ゆっくり。
近づいてくる。
人影が現れる。
若い男。
息を切らしている。
ダンジョン配信者だろう。
最近増えた。
機材を抱えている。
カメラ。
ライト。
バックパック。
男は空洞に入る。
そして。
椅子を見る。
俺を見る。
動かない俺を。
石の椅子に座る俺を。
男は眉をひそめる。
「……なんだこれ」
俺は何も言えない。
声は出ない。
男は近づく。
カメラを構える。
レンズがこちらを向く。
男が言う。
「これ」
「配信したら」
「バズるな」
カメラの赤いランプが点灯する。
配信開始。
その瞬間。
床のカメラの画面。
視聴者数。
2
数字が増えた。
影の男が静かに笑う。
「ほらな」
「観測は」
「終わらない」
ダンジョンの奥で。
石の椅子の上で。
俺はただ、世界を見続ける。
そして。
カメラの向こうから。
誰かの声が聞こえる。
「聞こえてますか?」
「配信、始まりました」
(終)




