14 朗報と凶報 3
「おい、店主!また値段あがってるじゃねぇか!この前値上げしたところだろ!」
一日の仕事が終わり、一杯引っかける為にカフェに寄った男は店の張り紙を見て思わず声をあげた。
パリ郊外の鉄工所で働くこの男は典型的なフランス人労働者であった。
フランス人労働者にとって、仕事後のカフェでのひと時は欠かせないものである。
今日のような週末の夜はカフェに繰り出し、酒と飯を楽しむのはまさに生きがいといったところだ。
だが、そんなフランス人の生きがいの場にもフランスを取り巻く厳しい経済状況は押し寄せてきていた。
「しかたねぇだろ!小麦もワインも値段があがってんだ!むしろ張り紙までしてやってるこっちの心意気をくんでもらいたいもんだね!」
そう店主は男に言い返す。
実際この店主はいい店主である。
地元の憩いの店となっているこのカフェは一々メニューなどおいていない。
会計時に『いやぁ、実は値上げしてて』なんていう店も珍しくない中で、この店主はわざわざ店の中に値上げの張り紙をしているのだ。
実に良心的といえる。
だが、そんな良心的な店主でも立て続けの値上げを迫られるほどフランス国内の物価高は進行していた。
「んな事は分かってるけどよぅ」
店主に正論で言い返された男はトーンダウンせざるを得なかった。
男はしがない労働者でしかないが、そんな男でも最近フランスのあらゆるものの値段が上がっている事は知っている。
入店して開口一番にあぁは言ってしまったが、別に男も特段クレーマーだったりする訳ではない。
むしろ、馴染みの店の馴染の店主に愚痴ってしまったというのが実態である。
『たく、これなら労働時間が長かったころの方がマシかもしれねぇじゃねぇか』と、思わず男は思ってしまうほどだ。
昨今フランスは週40時間労働制を採用した。
40時間を超える労働が即違法となる画期的なものだ。
これが採用されたときは『労働者の勝利だ!』と労働者は皆喜んだものだ。
男もその一人であった。
だが、この週の労働時間を40時間に限るという制度はフランス産業界の競争力・生産性を大きく損なう結果となった。
労働時間が減った分、各企業の生産量は減少した。
需要に対して生産量が少なくなると物の価格は当然上昇する。
労働時間の上限規制の制定と共に、最低賃金の大幅上昇も図られたが、賃金の上昇を物価高が帳消しにした形だ。
むしろ、労働時間が減った分実際の収入が減ったような気すらする始末だ。
勿論、しがない肉体労働者にすぎぬ男はマクロ経済のことなど分かるはずもなかったが、『なんか最近貧乏になったよな』という事だけは実感として感じていた。
「まぁ、なんだ。最初の一杯は奢ってやるからよ。元気だせよ」
そう言って、店主はワインを一杯と男がいつも読んでいる新聞を持ってきてやった。
実に良心的な店主である。
「あぁ、すまねえな。ありがとう」
そう言って男は新聞を広げる。
「け、ジャガイモ野郎どもはえらく景気がいいらしいな」
男は目に飛び込んできた胸糞悪いニュースに思わず毒づいてしまう。
新聞の一面には忌々しい隣国ドイツが新型巡洋艦を就役させた記事と、それに対抗するべく我が国も海軍を更に拡大すべきという社説が載っていた。
「まったく、奴らはどこから金を引っ張ってきてんだろうな?」
『なんか道路とかもバンバンつくってんだろう?』と店主に思わず愚痴ってしまう。
隣りの芝は青いとはよくいうが、どう考えてもあまりうまくいっていないフランス政府の経済運営と隣国ドイツの経済運営を男は思わず比べてしまうのだった。
「それなんだがよ、奴らスペインから金を盗んだらしいぜ」
店主は声を潜めて言う。
ドイツの諜報部も暇ではない。
しがない郊外のしがないカフェの店主をマークなどしているはずもないのだが、店主の声は自然と小声になっていた。
店主が語るところによるとこうだった。
店主も客の一人が友人から聞いた話だそうだが、ドイツは義勇軍をスペイン内戦に送っていたがそのどさくさに紛れて共和政府の金を強奪したらしい。
『むしろ義勇軍というの自体が金を奪う為のカモフラージュだって話しだ』と店主は声を潜める。
スペイン王家がたんまりとため込んでいた金だ。
そんな金を奪ったからこそ、ドイツは軍備の増強や道路建設といった事業をできているのだ。
しかも、その金はフランスに来る予定だった金という事も店主は男にささやく。
別にその金はフランスの中央銀行に預かって貰うために移送されるだけなのだが、そんな小難しい事は男にとってどうでもいい話だった。
「なんて奴らだ!そんな金があるならちゃんと賠償金を支払えってんだ!」
「あぁ、まったくだ。もう一回奴らに立場をわからせる必要がある」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ライヒの諜報員がフランスで調査したところによると、だいたい今年の初めからこんな感じの会話が至る所のバルやカフェテリアで繰り広げられているいるらしい。
ライヒの諜報部はそこそこ優秀である。
謀略の本場である、3枚舌英国人やロシア人と比べるとやや劣るかもしれないが、軍・外務省・ちょび髭党がそれぞれの諜報組織をもっており、競争しながら情報を集めている。
だが、そんなライヒのどの諜報組織をもってしてもこれが自然発生的なものか、フランス政府の謀略なのかはついぞハッキリしない。
だが、一つハッキリとしているのはこれがフランス国内では止めようがない程の、それも右派・左派問わずの大きな民意となっているのだけは間違いない。
『戦争に勝った自分たちが苦しいのに、敗戦国のドイツが景気いいのはおかしい』という意識と、『自分の国に来るはずだった金を奪われた』という安直な現状理解。
そんな民意に便乗する形でフランス政府は前大戦の賠償金の支払いを強硬に要求してきたのだ。
毎年の支払いに直すと、GDPの1割以上に達する額である。
そんな条件を呑むとどうなるか?
経済のスペシャリストではない俺も、シャハト大臣に尋ねるまでもなく分かる。
案の定シャハト大臣の返事は厳しいものだった。
「フランスの要求を呑んだ場合、ライヒ経済は後退を避けられませんな。これまでの数年間が全て無駄になるでしょうな」
淡々とシャハト大臣はそう語った。
そりゃそうだ。
GDPの1割の賠償金を支払うということは、単純に考えると全ての国民に1割増税するようなものだ。
可処分所得が減った国民は消費を抑えるようになる。
それも急速に。
そうなれば大幅な景気後退は避けされず、企業は雇用調整を行い街にはまた失業者があふれることになるだろう。
「だろうな・・・。ノイラート大臣。実際のところどうなのだ?フランスは本気なのか?」
とても飲める要求ではない。
であるからこそ、2ヶ月ほど前にフランス当局より要求が伝えられてから水面下で交渉を続けてきた。
表面上は俺も『そんなもん聞けるかボケ!』とばかりの姿勢を保っていたが、どうにか事態を軟着陸出来ないか調整していたのだが。
「・・・分かりません。ですが、今回彼らはかなり本気の様子です。まだある程度交渉の幅はあるかもしれませんが、ゼロ回答は受け入れない可能性が高いですな」
ノイラート大臣が苦々しい顔でそう答える。
外交畑が長いノイラート大臣にとっても、今回のフランスの要求は強硬に映るのだろう。
(やれやれ・・・引かば押せ、ということなのか)
別に金強奪がばれたこと自体は想定範疇だ。
あれだけの量の金を奪ってばれない訳がない。
そもそもスペイン共和派はあの金をフランスかソビエトに持っていこうとしていたのだ。
バレない方がおかしいというものだ。
だからそれは問題ではない。
問題は『強硬に賠償金を返せ』といってきたことだ。
軍の動員をチラつかせてくるほどの強引さだ。
これはどうもライヒの外交政策の修正が原因の一つらしい。
口ごもりながら外務省の役人が説明をしたところによれば、ミュンヘン会談以降の軟化したライヒの外交政策と俺が進めたユダヤ人対応の軟化政策がどうもフランス人に勘違いを与えているらしいのだ。
『ライヒはハト化した』と。
そんなハト化したライヒなら賠償金の支払いを強く求めれば応じるとフランス政府は考えたようだ。
「・・・随分ライヒも舐められたものだな。」
俺は息を吐き出しながらノイラート大臣に話しかけた。
「閣下のお気持ちはわかります。我々外務省としても彼らの要求は蹴るつもりでした。」
軍部やちょび髭党の面々の視線を感じつつノイラート大臣は口をひらく。
「ですが一方で彼らは英国やポーランドなどに働きかけを強めているのはまた事実。このままでは我々は何らかしらの交渉のテーブルにつく必要が出てくる可能性が高いというのが率直な外務省としての見解ですな」
少しまわりくどいが『ライヒが譲歩する必要がある』と言外に滲ませつつノイラート大臣がそう言う。
(まぁ、でしょうね)
相手が素直に従ってくれないからといって『支払ってくれないとは、誠に遺憾である』などと意味が分かるような分からんような曖昧な事を言って済ますほど、フランス政府もボケてはいない。
そもそもこんな要求をこのタイミングでライヒにしてきたこと自体、経済政策に失敗し国内批判を逸らすためといった目的もあるのは間違いないだろう。
ここで『はい、そうですか』と引き下がってしまってはフランス世論がいよいよ沸騰してしまうこと間違いない。
とはいえ、多少マイルドになったがちょび髭党はバリバリの右派である。
ライヒこそ『分かりました、賠償金の支払いを再開させてもらいます』など言える訳がない。
(もう一歩でだったのにほんと要らん事をしてくれたものだ)
俺は皆の視線を感じながらも暫しの間目を閉じた。
前世の悲惨な大戦の記録が脳裏をよぎる一方で、あと一歩まで来たライヒの経済情勢と、フランスに負けず劣らず沸騰する国内世論が頭に浮かぶ。
暫し考え込んだのち、俺は皆を見まわした。
外務、経済、陸海空軍を初め皆が揃っている。
そして皆が独裁者である俺の決断を待っている。
(ここが分水嶺・・・か。)
ライヒは、ちょび髭党は俺の独裁下にある。
金の強奪や、石油・農業分野などの功績で史実よりもその度合いが強まっているほどだ。
俺の今この瞬間の決断がライヒの、世界の行く末を決定づける事を襟首が締まるような感覚と共に改めて実感する。
スゥゥハァァァァ、ゴクリ
一息深呼吸をし、目の前のコップの水で口を湿らせてから俺は口を開いた。
「ではこれからのライヒの国家方針を告げる。これは議論の余地はない。決定事項だ。」




