第3話「監視報告 第二十八号:対象の図像一点の正規の取引(買主名は記録しない)に関する件」
「聖歌隊、二枚。厨房、一枚。文書院——一枚」
朝の工房棟で、あたしは帳面を読み上げた。
声に出すと景気がいい。注文は、耳で聞くと倍うれしい。読み上げる相手はいないが、商売繁盛に立会人は要らない。
板は昨日のうちに切って、膠も引いてある。聖歌隊と厨房のぶんは型の立ち姿を三枚、揃いで上げればいい。写しは御家芸だ。昼までに終わる。
終わらなかった。
一枚目はまっとうに上がった。二枚目で、手が裾の流れを少し直した。三枚目では目隠しの結びの影が一本増えて、立ち姿が半歩ぶん、生きた。
「揃えろっての……」
他人の物なら、点ひとつ違えず写せる。証文でも割符でも、なんなら蝋の垂れ癖まで写せる。なのに自分の絵だけは駄目だ。写すたび、手が勝手に手直しを入れてくる。うちの手があたしの言うことを聞かないのは、知ってた。知ってたけども。
並べると、三枚目がいちばんいい。まずい。同じ型を買った客の間で出来に差が出ると、あとで必ず揉める。信用ってのは、こういう細かいところから漏れていく。
結局、三枚目に合わせて前の二枚を引き直した。都合五枚描いて、売り物は三枚。
「儲けって、こうやって減るんだなあ……」
いい勉強になった。なりたくなかった。
さて、最後の一枚。文書院の、例の注文だ。
立ち止まってるところのを。北の回廊の、柱の手前の。
型がない。あるわけがない。一度しか起きてないことに、型なんかあるか。言い値は銀貨三枚にした。新型の一点ものだから。言伝てで返したら、受け渡しの段取りだけが言伝てで返ってきた。値切りなし。話が早い。いい客だ。
描くには、思い出すしかない。
目を閉じて、呼んだ。よく晴れた昼前。誰もいない回廊。十歩先で途切れる足音。三つ数えるあいだの、あの静けさ。
出てきた。鮮明に。困るくらい鮮明に。
起きてるあたしの全力で描いて、半刻で上げた。出来は、悪くない。
悪くない、は、二番って意味だ。寝ぼけて描いた方には届かなかった。起きてる方が負ける仕組みについては、いつか誰かに説明してほしい。
◇◇◇
昼すぎ、隣の祭服工房の子が来た。聖歌隊の二枚は、この子がまとめて運ぶ段取りだ。すっかり取次の顔になってる。
布を開けて、検品——じゃなくて、拝んだ。二枚いっぺんに。拝み方に年季が入ってきた。慣れって怖い。
「あのね、ミニアさん。聖歌隊のお姉さまがたが言ってました。朝のお勤めの前に御絵にご挨拶すると、出だしの音がぴたっと揃うんですって」
「へえ」
「御利益ですよね」
「効能は描いてないよ」
描いてないが、否定もしない。売れ筋に水を差すのは商売人のやることじゃない。歌が揃うのは毎朝そろって稽古してるからで、絵は関係ない。関係ないが、銀貨には関係がある。
「それと、もうひとつ。『立ち止まりの聖人さま』っていう新しい御絵があるって、お姉さまがたが聞いたそうで。あれはどこの場所なんですか、って。お祈りに行きたいって」
筆を置いた。
来たか。
「売らない」
「えっ」
「絵は売る。何枚でも描く。けど、場所は売らない。あれは一点もの。型も起こさない。終わり」
「ど、どうしてですか」
「場所に人が集まると、規則が増える。規則が増えると、まずあたしの商売が死ぬ。お姉さまがたには、そう伝えて」
嘘じゃない。嘘じゃないが、ぜんぶでもない。ぜんぶが何かは、考えないことにしてる。次。
「それと、あんた。言伝て係、ようやってくれてるね。礼に、蔓草を一筆入れたげる。葉っぱ三枚、おまけ」
「ほんとですか」
「そのかわり、場所の話は忘れな。誰に聞かれても『知らない』。いいね」
子は蔓草の一筆に目を輝かせて、はい、忘れました、と忘れてない顔で言った。まあ及第点だ。
口止めは、脅すより得させるほうが安くつく。前科の知恵、その三だ。得した口は、自分から守りに入る。
◇◇◇
厨房への納品は、難航した。
入口で「絵のご注文の方」と声を上げたら、手が三本挙がった。
注文は一枚のはずだ。帳面にもそう書いてある。なのに三本。しかも三人とも、注文した顔をしてる。
「ご注文、お一人って伺ってますけど」
「あたしだよ」
「あたしだね」
「あたしもだよ」
埒が明かない。どれが最初の注文主か、ついにわからずじまいだった。わかったのは、注文が二枚増えたことだけだ。商売は、こういうふうに増える。文句はない。
絵は、いちばん威勢のいいおばさんが代表で受け取った。代金の銀貨二枚に、なぜか焼き立てのパンが一個ついてきた。
「焼き損じだから」
どこもへこんでない、いい焼き色のパンだった。
どこの帳面にも、書かないことの一つや二つはある。あたしは黙ってパンを受け取った。同業の挨拶みたいなもんだ。
◇◇◇
残るは、文書院の一枚。
受け渡しは言伝てで指定されてた。布で包んで、修繕あがりの帳面として、文書院の受付に預ける。宛名は庶務。日のあるうちに。
包みながら、ちょっと感心した。修繕あがりの帳面なら、文書院に出入りして当たり前の荷物だ。誰も二度見しない。包みの寸法まで帳面に合わせろときた。素人の指定じゃない。あたしが採点する側なら満点をつける。
偽装納品の出来を採点されてどうする、とは思うが。
文書院への道は二本ある。近い方を選んだはずが、気づいたら北の回廊沿いを歩いてた。足ってのは正直だ。
回廊は空だった。昼前の通り道も、昼を過ぎれば、ただの石の廊下だ。白い影もない。
柱の陰には、今日も柱が一本多かった。よく見ると帳面を構えてる。仕事熱心なことで。声はかけない。三歩以内に近づくと、規則に触れるんでね。
文書院の受付で、包みを差し出した。
「修繕あがりの帳面です。庶務宛て」
「伺ってます」
受付の修道女は包みを受け取って、かわりに奥から小さな包みを出してきた。手間賃の預かりだという。先払い。用意がいい。
外に出てから開けたら、銀貨が四枚入ってた。
言い値は三枚だ。数え違いかと思ったら、小さな紙が一枚添えてある。曰く、申告額は審査の結果、当該図像の価額として過小につき、訂正した——とのこと。
値切られたことなら、掃いて捨てるほどある。査定で上げられたのは、贋作師人生で初めてだ。
押収されてた頃より、よっぽど扱いが丁寧だ。戦争はいつの間にか、取引に化けてた。けっこうなことだ。
帰り道、包みの布の畳み目が目に入った。角が、定規でも当てたみたいに揃ってた。
几帳面な客だ。
それだけにしておく。
◇◇◇
夜。工房で帳面をつけた。
本日の売上、銀貨十枚とパン一個。追加注文、厨房二枚。客名の欄は今日も半分が空きだが、銀貨は全員、耳を揃えて払う。名前なんて、商売にはもともと要らないのかもしれない。
報告書は三行で済んだ。済んでしまった。書くことがない。そりゃそうだ、あたしは今日一日、あの人の絵を描いて、売って、届けてただけだ。
帳面を閉じて、それで気づいた。
帳面はあの人の注文でいっぱいで、報告書は三行で——当のあの人を、あたしは何日見てない?
絵は今日も四枚売れた。どれもよく似てる。よく似てるかどうか、本物を見ないで言ってる。写しばっかり捌いて本物を見ないのは、職人として、腕が鈍る。それは営業に差し支える。うん。営業に。
明日は持ち場を回ろう。監視は監視で、こっちが本業だ。商売は抜きだ。
……写生はするかもしれないが、写生は商売じゃない。資料だ。




