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141・運命の分かれ道

サンドラ視点の記憶です。

「おかえり、サンドラ。外が冷えてきたのね、ほっぺが冷たいわ」


 サンドラの母は娘の頬を両手で包み込み、聖母のような優しい微笑みを向けた。


「ただいま……」

「どうしたの? 元気が無いわね」

「……みんなが私の見た目を揶揄うの。母さんにも父さんにも似てないって。お前はすぐそこの橋の下に捨てられてたんだって。子供のいなかった父さんと母さんが拾ってきたんだって……!」

「まあ! 誰がそんなひどい事を言ったの? あなたは私達の可愛い娘よ」

「……本当?」


 サンドラの母は悲し気に眉を寄せ、そっと娘を抱きしめた。抱きしめられた事でサンドラの視線は自然と奥のダイニングテーブルに向けられる。

 そこには仕事から帰ったばかりの父親が居て、温かい飲み物を飲んでいた。彼は黙って立ち上がると、すぐ横のキッチンで何かを始めた。

 

「あなたの目は父さんに似ているし、髪は私にそっくりでしょう? それに女の子は年頃になれば誰だって可愛くなるものなの。もう他の子の言う事なんて気にしちゃダメよ。わかったわね?」

「私も母さんみたいな美人になれる?」

「ええ、きっと母さんより美人になるわ」


 体の小さなサンドラはそのまま母親に抱きあげられ、先ほどまで父親が座っていたダイニングのベンチに降ろされた。

 すると目の前に湯気の立つカップがコトンと置かれ、向かい側の席に父親が座る。

 カップの中身はおそらくホットミルクだろう。白い液体から湯気が立ち上り、薄っすら膜が張っている。父親はそれほど口数の多いタイプではないのか、娘のいじめに口を出す事は無かった。


 ある日、いつもと同じように外へ遊びに出たサンドラは、またお馴染みのメンバーからいじわるを言われ、パッと耳を塞いで逃げるように人気のない所へ移動した。

 彼女の住む地域は細い路地が入り組んでいて、王都を取り囲む壁がすぐ側にある。その為太陽の位置によっては日中でも薄暗く、見るからに治安が悪そうな雰囲気だった。

 壁に沿ってどこかに向かっていると、不思議な光がサンドラの視界に入った。その光は彼女の目に留まるよう空中で浮遊して、近付いては離れを繰り返す。

 まるでこっちへおいでと誘っているみたいに。


「何だろう……光る虫? ピカピカしてきれい……」


 サンドラはこの時何を思ったのか、フラフラとその光について行った。

 掴めそうで掴めない絶妙な距離感で飛ぶそれを夢中で追いかけるうちに、彼女は誰ともすれ違う事なく酒場などが立ち並ぶエリアの裏通りに辿り着いた。

 店の裏口には酒の空き瓶の入った木箱が積み上げられており、その上にはトンボの様な羽の生えた小さな猿の妖精がちょこんと座っていた。

 サンドラはそれを見て、じりじりと後ずさりする。珍しい光る虫だと思っていたものが、そうではなかった事に驚いたのだろう。

 猿の妖精は、積み上げられた木箱によって影がさらに濃くなっている部分を指さして、しきりに何かを訴えていた。


「わっ……あそこにも何かいる」


 視線の先には、闇にうごめく黒い虫の群れの様な何かと、その中に鈍く光る小さな赤い点が見え、サンドラはさらに後退した。  

 すると闇の中から、黒くてクルミほどの大きさの赤い目をした何かが現れた。体は丸く、全身から黒い煙か湯気のようなものを出している。虫の群れに見えたのはこれだった。

 サンドラは警戒したのか逃げ道を確認するが、何かわからないそれはヨタヨタと覚束ない足取りで前に出て来ると、パタッと倒れた。


「……もしかしてこの子弱ってるの? 助けてほしいの?」


 猿の妖精はキキッキキッと鳴きながら身振り手振りで助けてと訴えている。サンドラは躊躇いがちに黒いそれに近付き、手ですくって持ち上げた。


「じゃあ私のところにおいで。お金が無いから何もしてあげられないけど……ここに居るよりずっと良いよ。おまえ、名前は?」


 問いかけたところでそれが答えるはずもなく、サンドラはとりあえず適当な名前をつけて呼んだ。


「うーん、じゃあ黒いからクロね。ねえ、おまえも家に来る?」


 視線を上に向けると、先ほどまで木箱の上に居た猿の妖精はいつの間にか消えていた。サンドラは大事そうにクロを胸に抱き、家路についた。

 しかし彼女の家はペットを飼えるほど裕福ではない。なので親に隠れて犬や猫を飼う子供のように、彼女も両親には報告せず、こっそりクロを家に入れた。

 そしてベッドの下に居場所をみつけたクロは、数日でクルミ大の大きさから大人のこぶしほどの大きさまで成長していた。

 クロと名付けられたそれは、名を取り上げられて存在を保てなくなっているはずの元妖精である。人から放たれる強い負のエネルギーを吸い取って細々と生きながらえてきたが、サンドラと出会った日にはそれももう限界に近付いていた。

 他の妖精からの余計な手助けさえ無ければこうしてサンドラに会う事も無く、あの酒場の裏でひっそりと消えていた事だろう。

 本当ならそれで良かったというのに、何も知らないサンドラは、まだ未熟な聖女の魂を持って新しい名を与え、妖精を半分復活させてしまったのだ。生存するために大量の陰の気を吸い取ってきた妖精がまともな訳も無く、彼女はここから不幸な道を進むことになる。


 まず初めに異変が現れたのはサンドラである。相変わらず外へ遊びに出れば揶揄いの対象にされていたサンドラは、妖精の影響を受けて徐々に母親を恨むようになる。

 そしてある時、いつもと同じ慰めを言う母に苛立った彼女は、言ってはならない言葉を口にしてしまったのだ。


「母さんはズルい! 私だって母さんみたいに綺麗に生まれたかった! いつも年頃になればって言うけど、そんなのいつなのかわかんない! 私は今すぐ母さんに似た可愛い女の子になりたいの!」

  

 この一言で闇に隠れていたクロはサンドラの中に入り込み、我慢する事も他者を思いやる事も知っていたはずの彼女は自制心を失う。 

 そしてこの時初めてサンドラの中から黒い霧が出て、母親が最初の犠牲者となったのだ。

 これはサンドラが六歳の誕生日を迎えた頃の事である。


 その後母親が亡くなると、サンドラは希望通りの容姿を手に入れたが、それが何を犠牲にして手に入れたものなのかも知らず、彼女はウキウキしながら母の手鏡で毎日自分の顔を眺めていた。

 しかし母親が亡くなったことで家庭環境は一変する。

 それから一年も経たず、父親は突然再婚相手を家に連れて来てサンドラをその女性に任せてしまう。新しい母親を受け入れたくないサンドラは、義母を無視して反抗的な態度を続けていた。

 頼りの父親は二人が上手くいっていなくても構わない様子で、仕事から帰ってきても黙ってそこに居るだけ。未だに亡き妻を想って塞ぎ込んでいた。 

 義母に子供ができたのはそれから何年か経ってからの事だった。生まれた子供は双子の男の子。

 サンドラにとって初めてできた姉弟である。双子のトムとサムはサンドラの癒しになっていたが、義母はなつかない娘を子守として扱うようになっていた。

 

 サンドラの行動から考えるに、タキとシンの家族を羨ましいと思い始めたのはこの頃だと思われる。

 たまたまいつもと違う路地に入って家路につこうとした彼女は、自分より断然綺麗な男の子を目撃する。

 彼らはサンドラが住む地域より裕福な層が暮らす辺りに住まいがあって、女の子のように綺麗なタキはいつ見かけても地域の大人たちに可愛がられていた。

 見るからに優しそうな母親とたくましい父親、そして仲の良い兄弟。幸せそうな彼らはサンドラにとって理想の家族だったのかもしれない。


 その後タキは第二の被害者となり、タキから盗み取った美貌でサンドラは益々輝いた。

 自分の美への欲求は尽きる事はなく、綺麗になればなるほどそこに囚われていく。しかし思い通りになっているはずなのに、なぜか彼女の中の黒いモヤは大きく膨らんでいった。


 消えるはずだった妖精との出会いと、優しさから連れ帰ってしまった彼女の行動は、取り返しのつかない事態を引き起こした。本人は気づいていないが、それが彼女の運命を大きく変える分かれ道だったのだ。

 


 


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