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99・シンとウィルフレッド

 ズボンのポケットに手を突っ込み、気だるげにドアに寄りかかる様にして立っていたシンは、私達が視界に入るなり、スッとポケットから手を出して姿勢を正した。

 そして私の教育の成果が出たのか、一緒に帰って来たフレッド様に対して頭を下げ、きちんと挨拶をしてくれた。


「フレッド様、おかえりなさいませ。オーナー、おかえり」

「ただいま、シン」


 私はシンの顔を見るなり、なんだかホッとして笑顔がこぼれた。自分の居場所に帰ってきたという安心感と、彼への信頼が自然とそうさせた。

 シンもまた、私の笑顔につられて優しく微笑み返してくれた。

 しかし彼は、明かりの側まで来た私を見て様子がおかしい事にすぐに気付き、心配そうに顔を覗きこんだ。


「おい、また顔色が悪くなってるじゃないか」

「え? そお? ……でも、大丈夫よ。お腹が空いてるだけ」


 シンには、今夜出かけたことがきっかけで、思いがけず心の蓋が無くなった事を後で話すつもりでいるけれど、原因となった場所や関係者が王宮や王子であったが為に、どこまで話して良いのかという線引きが難しい。

 今夜私がどんなお手伝いをしに行ったのかという事も話せていないのだから、嘘は吐きたくないけれど、なるべく事実は伏せて話さなければならないだろう。

 とりあえず、うしろに居るフレッド様に聞かれても当たり障りの無い返事を考え、ランチを取ってから、何も食べていなくて空腹だと言っておく事にした。


「ハァ……飯、作ってあるから一緒に食おう」

「シン……お休みなのだから、今日はいつでも食べる事ができたのに、まだ済ませていなかったの?」

「悪いかよ……」


 シンは照れてふてくされた様に視線を逸らし、ドアを開けて、お客様であるフレッド様を先に中へ通した。その後、私の背中に手を添えて一緒に中に入り、私を部屋に向かわせた。

 フレッド様はスタスタと食堂に繋がるドアに向かって歩いていってしまったので、私は慌てておやすみと声をかけた。


「フレッド様、おやすみなさいませ」

「……ああ、おやすみ。ところで……女将、本当に食事を取っていないのか?」

「ええ、そんな時間はありませんでしたから。でも仕方ありませんわ」

「それは……悪い事をした」


 私は申し訳無さそうな顔をするフレッド様に微笑んで、軽くお辞儀をしてから部屋に入った。

 私は違うけれど、普通の貴族令嬢は、コルセットでギュウギュウに締め付けたドレスを着る為に、少しでも細くあろうとパーティーや夜会の直前はあまり食べない。

 だから私は、きっと夕食を食べる機会は無いと思い、できるだけ遅めのランチを済ませてから出たのだけど、メイド達は初めから食べないものだと思っていただろうし、こちらから言い出す事でもなかったのだから、仕方のない事だわ。


「オーナー、飯、温め直して運んでくるから、部屋で休んでろ」

「ありがとう、シン」


 私の返事を聞き、パタンとドアを閉めたシンは、その後廊下でフレッド様と何か話をしているようだった。ドア越しに低く響くシンの声が聞こえたけれど、立ち聞きするのは良くないと思い、シンが戻ってくるまでにお湯を沸かして、お茶の準備をする事にした。




「フレッド様、お待ちください」


 シンは、すでに食堂へ繋がるドアに手をかけていたフレッドに声をかけ、立ち止まらせた。食堂に客は居なくても、フロントではチヨがまだ仕事をしているからだ。

 

「なんだ?」


 フレッドは少し不機嫌そうに振り返り、シンを見据えた。シンは適度な距離を保ってフレッドに近付くと、ラナが「お手伝い」から帰ってくる間に考えていた事を、真剣な目で訴えた。


「オーナーはお客様である貴方には言わなかったかもしれませんが、つい最近、過労で倒れたばかりです。本人が引き受けた事なので今回は見守る事にしましたが、帰ってきてみればあんな状態です。今ここで何をさせたのか聞いても答えてはくれないでしょうが、彼女はただでさえ多忙なんです。お願いします。特権階級の方にやれと言われれば、我々には、それを断る事は難しいのです。貴方がどのような立場の方かは存じませんが、人のいい彼女を、自分達の都合で利用するような事だけはしないでください……! っ……失礼しました。話は……それだけです」


 シンは感情を抑えてこの言葉を伝えるつもりでいたが、最後の一言で語尾が強くなり、それは失敗に終わった。

 しかしそれにより、フレッドにはその言葉が深く突き刺さった。


「なに? 過労でか……? すまない、それは知らなかった……」


 ラナが過労で倒れたばかりだという話を聞き、フレッドは青ざめた。

 夜会の場では、物怖じせずにダリアを演じきったラナにそんな素振りは無かったのだから、それを知る由も無かった。

 それに自分達の都合で利用したというのは事実だ。

 正体がバレてしまったのは自分達の落ち度だというのに、それを棚に挙げ、リアムが第一王子の協力者になれと迫り、選択肢も与えず一度は血の誓約までさせてしまった。

 そして今回は、人のいいラナが改めて協力者になると言ってくれた事に甘えた。

 誰にも口外せずに、自分達に宿を提供する事。

 それだけがラナと約束した市井での協力者としての役割だったはずなのに、かなり行き過ぎた依頼をした事はフレッドもリアムも分かっていた。

 冷静になって考えれば、きちんとそれ相応の訓練も受けさせてもいない一般人に、他国の大貴族の令嬢の振りをさせて、貴族や王族の大勢集まる正式な夜会の場に放り込み、ダリアの代わりに見世物にしたようなものだ。

 その上、もう一人の王子に絡まれるというハプニングまで起きた。

 ラナに対し、自分には想像もつかないようなストレスを与えてしまったのだとフレッドは思っていた。


「後日改めてお礼をさせてもらうつもりだ。もう今回のような依頼をする事は無いと約束する」


 シンはそれを聞いて頭を下げ、フレッドは溜息を吐いてドアを開けた。


「わっ……」

「ん? チヨ! お前、また盗み聞きしてたのか?」


 ドアをあけるとチヨが立っていた。チヨは困った顔をして胸の前で両方の手の平を見せてふるふると振り、違う違うとしきりに訴えた。確かに、いつものチヨならドアに耳を着けて聞いているが、今回は一メートルほど離れた場所に居た。


「じゃあ、そこで何してた?」

「シンの声が聞こえたから、ラナさんが帰ってきたと思って、お菓子を……」


 チヨはカウンターの上を指差した。するとそこには、チーズタルトで有名な店のロゴの入った箱が置かれていた。それは月に一度来る客が、毎回差し入れてくれるものだった。


「またあの爺さんか?」

「はい、変な時間に来たんで、どうしたのかと思ったんですけど、これだけ置いて帰っちゃいました。あ、フレッド様、お帰りなさいませ。リアム様がお部屋に居ますから、鍵は必要ありませんよ」

「ああ、わかった」


 厨房へラナの夕食の準備をしに行くシンを横目に見ながら、チヨは階段に向かうフレッドの後をなぜか付いて行き、コソッと話しかけた。


「あの……シンはラナさんの事が心配だっただけなので、強めにものを言った事、許してあげてください。その代わりと言ってはなんですが、私から良い情報をお教えします。ラナさんへお礼を考えてるなら、ずっと冷蔵庫を欲しがってます。一応、参考までに。くふふ」

「な……! お前、やはり聞いていたのか。まったく……分かった。参考までに、聞いておく」


 チヨはニコリと笑ってカウンターに戻ると、菓子箱から自分が食べたい分だけ取り分けて、それを食べながら仕事を再開した。


「何だよ、チヨ。オーナーのところに持って行くんじゃなかったのか?」


 シンは意外な行動をするチヨを見て、声をかけた。


「だって、またお邪魔虫になりたくありませんから。どうせ、シンは今からラナさんとご飯を食べるんですよね? その時に一緒に持って行けばいいじゃないですか。私が部屋に行けば、ラナさんは一緒にお菓子を食べようって言いますよ?」

「馬鹿が、変な気の使い方すんな。それ終わったら、もう休めよ?」

「はーい。今日はもうラナさんの部屋には行きませんから、ごゆっくりどうぞ。ぐふふ」


 シンはラナの部屋に行く前に、チヨに容赦ないチョップをお見舞いした。


 そしてラナの部屋に料理を運び込むと、顔を洗ったすっぴんのラナが、ちょこんと椅子に座って待っていた。シンはその様子を見て、自分がラナのすべてを守りたいと、心の底からそう思った。

 

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