東郷ターン
露天艦橋に上がると、潮風が体を押し戻すいきおいで吹き付けてきた。
しかしすでに集結していた長官、各参謀、三笠艦長をはじめとした士官たちは、まるで動じるところがない。
緋影とともに、邪魔にならぬよう艦長の後ろに並んだ。
「やあやあ大矢くん♪ 艦橋っていうのは、特等席じゃないか」
芙蓉もひょっこり顔を出す。
「そりゃあね、見晴らしの悪い艦橋だったら、勝てるものも勝てなくなるからね」
芙蓉の背後には輝夜が。
いまにも人を斬りそうな眼差しでたたずんでいた。
瑠璃は定位置となった第一砲塔の上に、いつものようにきちんと正座。
いつものようにお茶をすすっている。
さすが瑠璃、まったくブレたところが無い。
ブレたところが無いと言えば、咲夜もまた緋影に寄り添っている。
「いざとなったら、私が盾になって緋影さまを守るけぇね」
なんとも鼻息が荒い。
「お兄さま、天宮緋影と使鬼四名。戦闘配置完了です」
緋影もまた祈祷をするつもりだ。
すでに船の精霊が、露天艦橋一杯に集まっている。
祝詞が始まった。
精霊たちはその声に聞き惚れていた。
長官たち御歴々は双眼鏡をのぞいて黒く悪しき陰と、煙突より現れし黒龍のたなびきを追っていた。
が、俺と緋影は芙蓉の神通力により、艦橋に立つオロシヤ人の顔を区別できるくらい、はっきり見て取ることができる。
「距離は?」
長官が艦長に訊いた。
様々な経路を経て、測距員が「一八,〇〇〇」と答える。
まだ遠い。
それは俺にもわかる。
しかし長官は、いつどのタイミングで、バルチック艦隊の頭を押さえにかかるのか?
これは海軍少尉としては、非常に参考になる場面だ。
「お?」
声をあげたのは参謀長だ。
「長官、バルチック艦隊はダンゴ状態で迫ってきます」
「んむ?」
長官はふたたび双眼鏡をのぞいた。
「………お兄さま、どういうことでしょう?」
「緋影の祈祷が効いた証拠さ」
芙蓉のおかげで、バルチック艦隊の様子が、手に取るように見える。
機関の故障かほかのアクシデントか、バルチック艦隊の先頭が速度を落とし、後続が両サイドに逃れたため、ダンゴ状態になってしまったのだ。
「なにやっとんじゃろね? オロシヤは………」
「咲夜、まだ陣の接触は無いのだ。油断はするな」
「陣の接触ったって、こっちを見つけた途端うろたえる連中なんじゃろ? 油断もへったくれも無かろうて」
「その気構えがために、緋影さまを失ったらどうする?」
「あ………ゴメン………」
バルチック艦隊と向き合わせで、咲夜は緋影をかばう位置に立った。
「咲夜? それでは私が艦隊戦を観ることができません」
「だって、緋影さま!」
「瑠璃がいて輝夜がいて、咲夜がいる。私は全然心配なんてしてませんよ? だって咲夜、万が一の時は貴女が守ってくれるんですよね?」
「緋影さま………も、もちろんじゃよ! 近衛咲夜、命にかえても緋影さまをお守りするけんね!」
咲夜………お前、苗字があったのかよ?
「では輝夜? 貴女にとって生き甲斐とも言える咲夜を、失わないためにはどうすればいいでしょう?」
「三笠に降り注ぐ砲弾は、すべて斬り落とします」
「でしたら天宮緋影は、安泰ですね」
春の日差し、浴びる野の花のような笑顔を、緋影は見せてくれた。
これから砲弾のやり取りをする。
あっという間もなく命を落とすかもしれない。
そんな危機感の中でこの笑みを見せられるのは、緋影の頭がおかしいからに違いない。
「距離は?」
長官の、ちょっと苛立ったような口調。
「九,四〇〇!」
いやいや、まだだろう。しかしさっきから長官、我彼の距離をずいぶん気にしてるな。
「長官! どの距離で仕掛けますか?」
「………………………………」
黙して語らず。
ただ双眼鏡をのぞくのみなり。
「バルチック艦隊、なおも接近!」
「距離は?」
「八,九〇〇!」
「まだ待てぃ!」
そのうち、バルチック艦隊の砲撃が始まった。
至近弾! 至近弾! 至近弾!
輝夜の殺気があふれている。
敵弾はいよいよ三笠に迫っているのだ。
そして距離、八,〇〇〇。
長官は振り向き、さっと右手を降り下ろした。
取り舵一杯。
降りしきる砲弾のもと、連合艦隊がついに仕掛けたのだ。




