開戦
今日この日にこのサブタイトルって、どうなんでしょ?
イセからクレ、さらにはサセボと、緋影の祝詞旅行は続いた。
現地では美食を楽しみ、和気あいあい。総じて楽しい旅行と言えた。仕事だけど。
そしてヨコハマへ帰還。すると中将が意外なことを教えてくれた。
「お前たちが逮捕に協力した島津治な、あれが実は中央でマークされてたなかなかの大物で………」
晩酌の席のこと。
中将は盃を傾けた。
「親露嫌和の作家先生だったそうだ。おかげて海軍部では、このヨコハマ学校の評判も上々よ」
「それはよかったです。あのような手合いが幅を効かせていたら、戦争に出掛ける方々に失礼ですからね」
緋影にとってもあの男、島津治の存在は好ましくなかったようだ。
「あのように軽薄で、自己中心的な人間。考えただけでオゾ気が走ります」
中将は笑った。
「心配するな、緋影。島津の奴はしばらく出てこられんさ」
「と、言いますと?」
俺が訊くと、中将は腕を組んで答える。
「憲兵隊で取り調べしたところによると、お前たちが与えたスポンサーや背後組織に関する情報、あれがみんな黒でな。じっくりと問いただしているらしい」
問いただしているとは言っているが、実際にはスポンサーや背後組織には、すでに捜査のメスが入っていることだろう。
つまり何がじっくりかというと、検挙した人間があまりに多すぎて、なおかつ大物すぎて、島津の取り調べが後回しになるほどである、ということだろう。
まあ俺は帰路、駅売りの新聞で、「アコウ物産に反和の容疑、憲兵隊乗り込む」という記事を読んでいたので、それとなく知ってはいた。
しかし個人的には、国内指折りのアコウ物産が、反和に傾いていたことが驚きだった。
「で、こっからが本題だ」
中将の目が据わった。その厳しい眼差しが俺だけでなく、緋影にも向けられる。
「間もなく我が国とオロシヤは、国交を断絶する」
「いつ頃ですか?」
「五日以内。報道機関には規制を敷いている」
それならば、もう準備に入っているはずだ。
「我が国はマイヅル・サセボから陸軍を派遣するのだが、これには障害がある」
「リョジュンに停泊する、オロシヤの艦隊ですね?」
そう、オロシヤがマンシュウに陸軍を、リョジュンに艦隊を残しているせいで、両国の関係がもつれたのだ。
「その通り、だからこちらもサセボとマイヅルの艦隊を護衛………というかリョジュンに突っ込ませる訳なんだがな。トンボ返りで悪いんだが、明後日マイヅルへ飛んでくれ。そこでマイヅル艦隊と陸軍を、祝福してもらいたい」
いよいよ開戦。
俺は一人、部屋で荷物を整理していた。
旅のためではない。身辺整理という奴だ。
ヨコハマ学校所属とはいえ、いつ召集がかかるかわからない。
その時になって慌てなくていいように、実家へ送るものと必要なものを分けているのだ。
戦争となれば、軍人は生きて還らない。
その覚悟は士官学校で、嫌になるくらい叩き込まれている。それ故の身辺整理だった。
しかし俺には、覚悟しきれないところがある。
緋影だ。
彼女は民間人であって、軍人ではない。死なせるわけにはいかないのだ。
いや、もちろん軍人だからといって犬死にムダ死に、駒扱いをしてはならない。最後の突撃の号令まで、損耗は最小限でなければならない。
話を戻そう。
緋影を死なせたくないというのが、俺の覚悟しきれない部分だ。
彼女に、生か死の二つにひとつしかない突撃命令は、俺には下せない。
だが俺たちは、場合によっては戦場に立たなければならない。
緋影のこの能力だ。
不利な戦況を覆すべく、陣営の祝福や戦場へ祝詞を、などという具合に使われるのかもしれない。
もしかしたら、重ね上げられた屍に安らぎを与えるため、祈りを捧げるのかもしれない。
あるいは戦鬼護鬼を使役するという、大胆な戦闘の駆り出しかたをされるかもしれない。
そんな状況に、俺は耐えられるだろうか?
士官学校首席という成績に対して与えられた、恩賜の短刀を手にする。
まずは頭上に掲げて一礼。
その上で鞘から抜く。
ギラリと冷たく、刃が輝いた。
いよいよ合戦という緊張感に、肛門まで引き締まる。
「お兄さま、よろしいですか?」
緋影の声だ。
「入りなさい」
短刀を鞘に納めて、それから答えた。
緋影が入ってくる。
「お出かけ準備の最中でしたか?」
「いや、かまわんよ」
部屋の中まで入ってきて、勝手に座布団に座る。
「お兄さま、いよいよ開戦ですね」
「あぁ、軍の都合に緋影を巻き込んでしまって、済まないね」
緋影は頭を振った。
「天宮の者ですから、国難に駆り出されるのは当然のことです」
「なんだ、緋影を戦争に巻き込んでしまったなんて、悔やんでいたのは俺だけか?」
「あ、悔やんでらっしゃるなら、プリンをごちそうして下さいな。遠慮はいりませんよ、お兄さま」
「考えてみれば、悔やんでなんかいないかな?」
二人で顔を見合わせる。思わず吹き出してしまった。
「じゃあ、明日にでも出掛けようか?」
「そうですね、帰ってからプリンを食べようとか言ったら、なにか生きて還れない気がします」
俗に言う、フラグという奴か。
緋影もそのようなものは、感じているのだろう。
「やあやあ、ひ~ちゃん! そうなるとお姉さんとしては、なんとか実体化できないかと、訴えたくなるなぁ。私もプリンとかいう甘味、是非ともいただいてみたいんだけど」
「芙蓉、はしたないですよ?」
「左様でござろうか?」
輝夜が深刻そうな面持ちで現れた。こいつもプリンを食べたいらしい。
「ほら輝夜、緋影さまが困っとるじゃろ」
「しかし咲夜も、一度プリンを賞味してみたいと………」
「言うとらん! 言うとらんよ、緋影さま!」
戦さも間近というのに、緋影の鬼たちは相変わらずであった。
「だがみんな、実体化しなくても、シュウマイみたいに食べることはできるんじゃないのか?」
「それはそうじゃけど」
「二人でお店に入って六人前のプリンを注文して、そのプリンがひとりでに消えていくなんて、騒ぎにならないかな?」
なるほど確かに、芙蓉が人前で酒を飲んだときは、徳利が宙に浮いていると子供が騒いでいた。
「それならば大丈夫だろう。三条茶房の葵では、座敷席があった。あそこなら問題はない」




