第十五章 新世界より
フォースは思い出していた。
失われている記憶ではない。タイタンとやり合った時のことをだ。
あの経験は不快ではなかった。組み合って流した汗も、気を抜けない緊張感も、身体中の血が彷彿として、むしろ清々しかった。これこそ自分の世界だと、フォースの肉体が叫んでいた。
タイタンの中剣を手にした時の感触が忘れられない。剣先から柄を通って掌に精気が上がってくる。剣と腕とが一体化したかのようなあの感覚…。毎日感じていたに違いないと思えるあの爽快感。
あれから剣を手にしたくて仕方がないのだ。力が有り余っている。放出させたがっている。毎日していたことをさぼっていたような罪悪感にも似たもどかしさが、焦りとなってフォースの身体を急かしている。
剣の型をさらいたい。ウエイトトレーニングをし、精神修養の時間をとる。それらのことを欠かさず行っていたはずだ。タイタンと戦った時、身体が鈍っていると感じたのがその証だ。
そう。フォースはあの時こんなはずではない、と思っていた。
自分の力はこんなものではない。たかが一海主の護衛ごときに遅れをとり、互角に近いまでの取り組みになり、あまつさえ隙を作って不意を突かれた。持ち前の敏捷さで何とか切り抜けたが、自分の実力はあんなものではない。もっと優れた相手、もっとおそろしい相手と幾度も相対した。記憶はなくとも身体がそう告げる。
(オレは…軍人だったのか!?)
そういう技倆と性を持った己の身が客観的に見えてくるとそう言った結論に辿り着く。もしやとサンドラが言った武道家などではない。お飾りや象徴ではなく。この身体中の傷跡がそう示している。
(ではどこの?どこの国の軍人だ?)
自分の生国と思える日本ではない。
不思議とフォースは日本のことだけは思い出せるのだ。
呑気で平和なあの国に軍隊はない。現在の自衛隊に必要なのは剣術ではなかった。
オクタリアでもない。
サンドラに言わせると、オクタリアの軍人は平時でも身体のどこかに徽章を付けているという。そんなものはフォースの身に付けていた服のどこにもついていなかったし、軍装でもない。
(では、どこの国だ?)
隣のヘキサリアか?ジーか?モノリスか?
―トリトニアの重鎮にそういう奴がいる―
タイタンがそう言った時。何か心がこそばゆかった。トリトニアには自分のような傷だらけの奴が多いということは考えられないだろうか?
(オレはトリトニアの人間なのか?)
あの時―。
襲われたとわかった時、狙われるのなら、と想定した相手は人ではなかった。
―レレスクか?ガラリアか?―
二つの国名を、自分は口にした。
(なぜだ?)
恨みを持たれるのなら『誰か』であるのが順当だ。それなのに自分がそういう相手として思い描いたのは『どこか』だった。正確には『どこの国か』だ。
だが国とは言えそれを動かすのは人。即ち国の有力者、実権を握る者だ。
そういう人間に自分は命を狙われてもおかしくないのだということになる。あの発言は。
(まかさ…)
お笑いだ、と自分の考えを一蹴しようとしたが、フォースにはできなかった。わけもなく、そうすることは神に対する冒涜だという気がしてくる。
(何なんだ…!?…)
自分がオクタリアの軍人でないことだけは確かなようである。レレスクやガラリアの人間でもなさそうだ。
いや、そこのお尋ね者であったりすればその限りではないが、自分が何かとんでもない悪事をしでかした身であるとは、当然の事ながら思えない。
この国の者でないのなら、ここに留まっているのは無意味なような気もしてくる。
わずかでも手掛かりがあるのなら、いや、なかったにしても、もっと行動範囲を広げて情報を得なくては。何もせず向こうから情報がやってくるのを待つだけではチャンスは掴めない。何事も行動あるのみ。
あの時だって、何の手掛かりもないままに自分は旅立ったのだ。
(あの時?)
自分の考えに、フォースは疑問を投げ掛ける。
旅立ったことは覚えている。具体的にではない。旅立った時の気持ち、雰囲気を思い出せるだけだ。だが、ひどく重要なことだ、それは。自分の人生の根幹を成す出来事だったのだと、フォースの心が叫んでいる。
(何だ、それは?…なぜだ?…)
わからないのがもどかしい。思い出せないのが苛立たしい。知りたいことが沢山ある。断片的な記憶を整理して仮定を導き出さねば。その仮定の元に、一歩でも二歩でも踏み出さねば。新たなるステージに踏み出さなければ。
新世界よりフォースを手招く声がする。
その声に応えるべく、フォースはサンドラに告げることにした。自分の決意を。
「旅に…出ようと思う」
「えっ!?」
何の前触れもなくそう言われて、サンドラは思わず魚を捌く手を止めた。この頃には珍しく、サンドラが料理刀を握っていた。
「あなたには世話になった。どこの誰とも知れぬこんなオレに手を差し伸べてくれて、何と礼を言えばよいかわからぬくらいだ」
「お礼だなんて。急に何を言うの。あたしの方こそ、強引にあんな真似までして。迷惑を掛けた上に力になってもらったのよ。そんなこと気にしないでいつまででもいてちょうだい」
思い出すだに赤面するようなことだが、怒りも責めもせず自分の芝居に合わせてくれたことは本当にありがたかった。その上でしつこい求婚者を反平和的に追い払ってくれたのだ。心からサンドラは感謝していた。
だが、男は首を振る。
「そうはゆかぬ。あなたは女性だ。それもまだ若い。オレのような得体の知れない者が居座っていては快くない噂を広める者もあろう。あんなことを自分で口にしておいてなんだが、そのような迷惑は掛けられない」
「かまやしないわ。とっくに傷ものなんだもの。今更何を言われようと、あたしは気にしないわ」
「サンドラが気にせずとも、オレが嫌なのだ。どうやらオレは不当な評価を許しておけぬ質らしい」
自分のことを他人事のように言うので微笑ましく、サンドラは眉尻を下げた。
「いい性格だわ。人柄がよければ氏素性なんて問題じゃないじゃないの」
「それなんだが…」
フォースは真面目な顔をして言う。
「オレは自分が誰だか知りたい。何者なのか。何をしていたのか。これから何をしようとしていたのか、するべきなのか。知らずにこのままのんべんだらりと過ごしてゆくのはよくないと思うのだ。ここにいても思い出せるのかもしれないし、旅に出ても思い出すことはできないのかも知れない。だが何の努力もせずじっとしているのは嫌なんだ。一歩でも外に出れば、知識や情報は増えるはずだし、その中に何か手掛かりがあるかもしれない。オレを知っている人間に出会うことだって可能性としては皆無じゃない」
「フォース…」
「この名は、忘れないよ。名無しのオレに、せっかく付けてくれた名前だ。爽やかな中にも強そうで、オレは気に入っている」
「……」
「だが、本当の名前じゃない。魂の奥底で、符号が合わないと、オレの中の何かが否定するんだ」
「…ごめんなさい…」
「あなたが謝ることじゃない。オレ自身は何の迷惑も被っていない。呼び名がないのは不便だろうこともよくわかる。感謝している」
「………」
感謝の言葉より他に、サンドラには欲しいものがある。それに彼女はもう気づいていた。沸々と身の裡から湧き出てくる感情に太刀打ちできず、涙が溢れ出してきた。
「あなたには幸せになってもらいたい。いつか、恩返しができればいいと思う。そのためにも、オレはここで埋もれていてはいけないんだ」
―恩返しなどいらない。幸せになれと言うのなら、あなたがここにいて―
サンドラはそう思った。
「ありがとう、サンドラ。そして、お元気で」
―いや!!―
別れの言葉を耳にした途端、サンドラの中で何かの線が切れた。
サンドラは料理刀を放り出してフォースに抱きついていた。
「あなたがどこの誰でも構わない。あたしはあなたが好き!!」
「サンドラ…」
フォースは戸惑う。女性に特有の甘やかな匂いが鼻腔をくすぐる。
「ずっとここにいて!どこへも行かないで!!」
―どこへも行っちゃだめだよ。○○○を置いて行かないでよ―
脳裏にあの声が蘇った。
(まただ…)
フォースの心が揺れる。
サンドラが言い募る。
「噂ならもう立ってるわ。あたしが自ら流したようなものよ。知っているでしょう?あなたはあたしの許嫁ということになっているのよ。あなたがいなくなったら、あたしはまた恋人に逃げられた女というレッテルを貼られるわ。あたしの幸せを考えてくれるのなら、ここで一緒に暮らしてちょうだい」
「サンドラ…」
「ねえ、だめ!?あたしではだめ?人からは美人だと言われるわ。女として一通りのこともこなせるわ。いい奥さんになる自信もあるわ。夜のお世話だって…あなたが望むならどんなことでもしてあげるわ」
少々口ごもりながらも、そんなことまで言ってのけた。
口先で言っただけでは信じてもらえないかもしれないと、興奮しているサンドラは思った。思って、実際の行動に移した。一旦フォースから身を離し、着ている服をはだけてから再び抱きつき直した。
まさかの事態に呆然とし、フォースはそんなサンドラを止めることもできずにいた。
「…抱いて…」
意を決し、サンドラは望みを口にする。
「あたしのことを好きでなくてもいいわ。愛してくれなんて言わないわ。そばにいてくれるだけでいいの。あなたの吐け口でもいいの」
「吐け口…」
その言葉が引っ掛かった。似たようなことを言われたことがある、とフォースは思った。
―私を○○○だと思って抱いておしまいなさい―
誰だ!?そう言ったのは?
『誰』だと思って、と言ったのだ?




