続く異変 ― 気づかないふりの限界
朝、珠希は目覚ましが鳴る前に目を開けた。
眠った気がしなかった。
頭が少し重い。
けれど、
起きられないほどではない。
“問題なし。”
そう判断して、
布団から出る。
鏡の前。
顔色は、昨日より少し悪い。
でも、
隠せる。
頬を軽く叩く。
深呼吸をする。
口角を上げる。
「……大丈夫。」
その言葉は、
もう習慣になりつつあった。
朝食。
「おはよう。」
珠希はいつも通り言う。
茜は少しだけ目を細める。
「……ちゃんと寝れた?」
ほんの一言。
珠希は、迷わず答える。
「うん。」
即答。
それが、
考えないための反応だった。
悠真も、
それ以上は聞かなかった。
“聞かないほうがいい。”
その判断が、
自然に共有されていた。
学校。
午前の授業。
黒板を見ていると、
また視界が揺れる。
昨日と同じ。
でも、
少し長い。
文字が、
一瞬だけ読めなくなる。
珠希は、
机を軽く握る。
呼吸を整える。
戻る。
“繰り返してる。”
その事実に、
少しだけ不安がよぎる。
でも、
すぐに打ち消す。
“疲れてるだけ。”
二限目の終わり。
立ち上がるとき、
また足が遅れる。
今度は、
少しはっきり分かるほどに。
机に手をつく。
隣の席の子が、
ちらっと見る。
珠希はすぐに笑う。
「ちょっと、ふらっとしただけ。」
相手は頷く。
それで終わる。
“説明できた。”
それでいい。
昼休み。
珠希はトイレの鏡の前に立っていた。
顔色が、
少し白い。
目の奥が、
ぼんやりしている。
「……大丈夫。」
もう一度、言う。
声は、
少しだけ弱かった。
午後。
授業中、
先生が黒板に書いている間、
珠希の視界が、
ゆっくりと暗くなった。
完全ではない。
ただ、
周囲が少し遠くなる。
音も、
少しだけ遅れる。
“だめ。”
珠希はペンを強く握る。
呼吸を整える。
数秒。
戻る。
だが、
そのあとも、
違和感は消えなかった。
放課後。
今日は音楽準備室に入らなかった。
ドアの前で立ち止まり、
そのまま通り過ぎる。
“ここに入ったら、
戻れなくなる気がする。”
理由は分からない。
でも、
そう感じた。
帰り道。
歩いていると、
また少しだけ視界が揺れる。
今度は、
立ち止まる。
周囲を見渡す。
人はいる。
車も動いている。
“ちゃんと見えてる。”
そう確認して、
また歩き出す。
家。
「ただいま。」
声は、少しだけ小さかった。
茜は振り返る。
その瞬間、
わずかな違和感を感じる。
顔色。
声のトーン。
だが――
「おかえり。」
それ以上は言わなかった。
“今は聞かない。”
その選択が、
すでに癖になっていた。
悠真も、
同じだった。
「遅くないな。」
時間だけを見る。
状態は見ない。
夜。
珠希は机に向かうが、
文字が少しぼやける。
ペンを置く。
目を閉じる。
“……今日は、ちょっと変。”
初めて、
そう思った。
布団の中。
胸の奥に、
小さな不安が残る。
昨日と同じではない。
確実に、少し違う。
でも、
誰にも言わない。
言えば、
大きくなる。
大きくなれば、
止められなくなる。
この日、
“たまたま”だった異変は、
繰り返されるものになった。
それでも、
家族はまだ、
それを
“問題”として扱わなかった。




