【メェナードさんは永遠に】
カールはオジサンだから途中でへばってしまう。
そうなるとこのオートバイにメェナードさんを乗せていかなければならない。
一応負傷したメェナードさんを連れて戻るための、運搬用の組み立て式ソリも用意しているが、まさかケモノ道をバイクで走ることがこれほど大変だとは思ってもいなかったのでおそらく使用することはできない。
この道をオートバイで進むためには相当な訓練が必要で、とても訓練を受けていない私には無理であり、私がこの道を進み尚且つメェナードさんを安全に搬送するためにはアメリカのM2ブラッドレー歩兵戦闘車かドイツのプーマ装甲歩兵戦闘車が必要だった。
結局このハイテク化の時代にあっても、各国の軍隊からあの武骨で旧世代の象徴とも思える戦車や装軌式装甲車がなくならないのも運用可能な範囲の広さが重要なのだろう。
装輪式装甲車は路上での乗り心地や移動性能は優れているが、不整地や塹壕それに登坂能力などの路外走行性能は装軌式車両には劣るし、ましてこのような森の中で木を薙ぎ倒しながら前に進む事なんてできるはずもない。
エンジンのかかったバイクに引っ張られながら進んでいた私のほうが値を上げそうだったのに、カールは一度も休憩することなく森を抜けた。
私はすぐに医療班に連絡すると、彼らは既に近くで待機していて連絡してからものの30秒足らずで到着し、メェナードさんを乗せた。
ここにはすぐに警察や消防が来るだろうから、車を移動させながらメェナードさんを手術台に乗せた。
一応緊急救命用に開発したエアベストを着ている状態では、心拍数、血圧、血中酸素飽和濃度も正常値に近いほどには保たれているが、問題はこのエアベストを外したときにその状態を少しでも保たれるかどうか……。
まずエアベストを外す前にMRIで患部の撮影をして医師たちは手術プランを相談し、その間に看護師たちが各種計測器や点滴と輸血などの準備を施した。
そして準備が整ってからエアベストを外す作業に入った。
私は祈るような気持ちでその様子を見ていた。
エアベストを外したとき自力で心臓が動いていてくれれば、かなりの確率で助かる見込みが高い。
エアベストを外したとき、それまでエアベストの圧力で塞がれていた傷口から大量の血液が漏れ出した。
それでもメェナードさんの心臓は動いていてくれた。
“助かった!”
そう思ったのも束の間、すぐにアラームが鳴り出し看護師が「VF」だと言い、もう一人の看護師がQRS波の消失を伝えた。
つまり心電図の強い鼓動を示すP波が途絶えたことを意味する。
残っているのは心臓の震えを閉めすf波のみ。
医師たちは、その報告の対応はせずに、傷口の縫合作業を急いでいた。
理由は分かる。
縫合していない限り血液は流れ続け、その状態では血圧は維持できなくなり壊死が始まってしまう。
サテンスキーなどを使って一時的に血流を止めて縫合することもできるが、心臓に近い血管だとそうすることは難しい。
心臓が止まっている今がチャンスなのだ。
さすがに私が目を付けて雇っただけあって、医師たちは神業に近いスピードで血管の縫合とチューブの装着をやってのけ、そこから一気に心臓の蘇生に取りかかった。
私のとなりで手術室の中の様子を見ていたカールが手を合わせていた。
彼の故郷であるポーランドは人口の9割前後がローマ・カトリック教の信者と言われる。
私はいままで宗教など信じてはいなかったし、これからも信じるつもりは毛頭もない。
両親が死んで、まだ幼かった私は、運命に抗えるほど強くはなかった。
苦境に立たされたとき親が祈っていたことを思い出しては何度もお祈りをしてみたが、何も変わらなかった。
だから、自分を変えた。
弱いままでは生きてはいけない。
信じるのは神ではなく、自分自身。
頼りにするのも神ではなく、自分自身。
だがメェナードさんの場合は違った。
私がいくら完璧な設備と人材をそろえても、いったん死んでしまった命を戻すことは今の人類の科学では難しい。
何しろ命や魂というところは、現代の最先端科学をもってしても未知数の領域なのだから。
だから私もカールに見習って、見よう見まねでお祈りをした。
キリストでもアラーでもブッタでもアマテラスでも誰でもいい。
叶うなら、私の願いを叶えて欲しい。
あなたたちが本当の神なら、できるはず。
そう思って、私は手を合わせて祈った。




