第一話
スイッチが入ったように不意に目が開く。
熱い砂の上を引きずられた感覚は記憶となり、今は柔らかな二枚の布団が青年——テッド・ブランデルの体を包み込んでいた。
過労による気絶の寸前、感覚のほぼは途切れていた。おかげで自らを包むものに触覚が反応しても他の感覚はまるで役に立たない。
何も聞こえないが、本当に何も鳴っていないのか。
何も匂わないが、本当に何も芳しくはないのか。
何も見えない、ただただ白く眩しい——光があるのか。
その光に目蓋を閉められそうになりながらも抵抗していくうちに陰も見とれるようになり、次第に色も付き始めた。
見知らぬ木目の天井。視界の左隅にはガラス窓、そこから覗く青い空と白い雲、そして陽の光。彼の目蓋を閉じさせようとしたのはそれだった。
一度、鼻から吸って口で吐く。深呼吸。
自分の吐息が鼓膜を震わせ、何となくだが今生きていることを実感した。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
誰かが用意したものなのかテーブルの上に盛られていたパンを有り難くいただいてから、テッドは外に出た。
やはり。と言ったところで扉を開けば見えるのは、石畳で舗装された道路。そして、それに沿って煉瓦造りの家々が肩を寄せあうように並ぶ住宅街。
もちろん、彼が今の今まで眠っていた家も例外ではない。ここは立派な街だ。
が、それは違った。歩くほどに彼はこの街の異様さに気付き、実感する。
街の様相を呈してはいるが、街にはなくてはならない——人が、いないのだ。
大きな通りのど真ん中を歩いても、入り組んだ路地裏を彷徨っても、出店が立ち並ぶ商店街に足を運んでも、住宅に不法侵入しても。
いくら散策しても変わらない。
ただその形を成したものが小綺麗に存在しているだけで、人の気配は全くしない。
人はいないが立派な街。という違和感が鬱蒼とした不安感となって、彼の心を締め付ける。
苦しめ続ける。
——一時間ほどこの無人の街を散策して分かったことがある。この街の形態についてだ。
まず、この街は巨大な黒い外壁に囲まれた中に存在した城郭都市である。
外壁の高さはおおよそ二〇メートルと高く、外からのあらゆるを絶っているのが見て取れる。
次に、この外壁を伝う限りこの街は円形。
否、外壁が円であった。
散策した際にちらほらと見かけた壁と一体化し、本来の姿の一部分を壁の外へと失った建築物が幾つか見られた。恐らくこの街は本来、今よりも多少は広く、途中から作られた壁の外になった部分だけは切り離されたのだろう。
これが街が円なのではなく、壁が円であると語る理由だ。
と勝手に結論付けるが、土台無茶苦茶な話であるとテッドもそう思っていた。
一体この巨大な外壁はどのようにして作られたのか。
その目的はなんなのか。
守るためというのであれば対象は何か。
外に出さないためというのであればそれは何か。
そもそも何故自分がどうしてどのように壁の内側に入れられているのか。
「まあ、考えてても分かんないよな」
そして、テッド・ブランデルは現在、街を囲む壁とは言わばその逆方向、街の中心部に到着していた。
見上げるのは黒い巨塔。
外壁と同じと思しき材質で構築されており、街の景観とはかけ離れた技術の差を見せつけるそれに入り口と思しきものはなく、来訪者である彼には一切の関心を示していないようにただここに在った。
唖然、と見上げ続けた。
外壁もそうだが、なににも染まることのない黒の威圧感とは巨大であればあるほど増していくものだ。
昼の陽光すらも寄せ付けず、それだけで完成された造形に暫し目を奪われ続けた。
——背後に迫る。その影に気付くまでは。