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第十一話

「あ、あ……ああああ……!」


 日記を読み終え、黒い装丁がぐしゃぐしゃになるほど握り締めながら、一号は涙を流し始めた。

 最早、その姿は年相応の少女のそれと変わらない。


 ——これでよかったのか……?


 その思いがテッドの心に引っかかった。後悔——とは違う。

 彼は彼なりにテッド・ブランデルの正義で彼女にこのことを明かしたのだ。

 その行為は四百年間背負い続け、歩んできたその経緯を今の彼女を否定すると同義だった。

 少女が隠してきた忘れていた人の心を震わせ、いっそ壊れてしまってもおかしくはないのかもしれない。

 しかし、それでも、


「お前にまだ先があるというなら、俺は続けさせたいと思う」


 一号はへたり込み、緩んだ両手から日記が涙とともに零れ落ちた。

 地を見つ目ながら啜り泣き、視界はぐにゃくにゃだ。そして

 ——バヂンッ! と甲高い音が耳をつんざき、一号の意識は途切れた。


「あーあーあ、ダメだよテッド君? 女の子を泣かすなんて紳士失格だよ?」

「四号……やっぱりお前か」


 突如として現れたのは四号だった。あいも変わらず白いカラス頭の下でせせら笑っていそうな雰囲気を醸し出し、倒れる一号が地面に伏す直前で腹部に腕を回して支える。


「やっぱりってなに? 何のことかな?」

「龍だよ。どうせお前が誘き寄せたんだろ」


 その発言に四号は白衣をはためかせながら大袈裟にリアクションを取る。


「お! 流石テッド君。気づいちゃった? いや、苦労したよ。まさか九〇〇〇番台を二十体も投入した旅団規模で攻めたのに七割がたやられちゃってさー、誘導するのもこれまた苦労苦労で」

「一ヶ月も何をしているかと思えば……」


 呆れた風にテッドはため息を吐いた。

 その様子を見てもやはり四号はカラス頭の下でニヤニヤと笑い続けているようだ。


「さて、団体一名様到着までもうすぐだ。エレベーターに乗りたまえ」


 言いながら、四号は一号を肩に担ぎエレベーターの中へ入り、眠る少女を壁に寄りかからせて座らせる。


「四号……その……お前はいいのか?」


 しゃがみこみ、白衣の裾を引きずりながら眠る少女を見つめ、応える。


「シャングリラ・システムを目の当たりにしても、アレを人じゃないとは言わなかった君のことだ。うちの小さな女王様のこともただの機械だなんて言い捨てはしないだろう?」


 思いに耽るようにカラス頭は言う。


「それは……そうだが」


 自信なさげな言葉ばかりのテッドに向けて踵を返し、真正面に四号は立ちはだかる。ちょうど、エレベーターとテッドの間だ。


「正解かなんて君も僕たちもスーパーコンピューターだって分からない。君に真実を教えたのは僕たちだが、君は誰かに強要されて一号に真実を話したんじゃない。そうだろう?」


 その言葉を話す四号のカラス頭では表情は分からない。ただ、あいも変わらずそのようだった。


「君はその責任を取るべきだ。なに、そう大層なことじゃないさ。これから先、僕たちの代わりに彼女の隣にいてあげてほしい。ただそれだけ」


 約束だよ。と言い残し、テッドの肩をポンと叩いてから街の方へと歩を進めた。


「ありがとな……ドクター」

「どういたしまして、三人目の主人(テッド・ブランデル)


 二人は各々の感情と表情を持ち合わせながら、含みのあるように笑った。

 テッドも進み、エレベーターの中に入って振り返る。

 徐々に狭まっていく扉の隙間の奥から、ディスプレイの空が割れていくのが見える。

 そして、割れた空から滝のように流れ落ちてくる砂粒。幾千ものロボット。そして、龍のものと思われる巨影。

 その下でもなお、四号はせせら笑っていた。


「その子、見た目に反して結構重いから、立たせる時はちゃんと自分で立てるようにしてあげてね」

「……分かってるさ」


 扉は閉まり、エレベーターは動き出す。



 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



「……ん」


 ゆっくりと自然に瞼が開き、瞳孔が光を受け入れる。

 今いるのは灰色の立方体の箱型の部屋。そして、それがエレベーターの中であると彼女は瞬時に悟った。


「目、覚めたか」


 右の耳が反応したのを感じて、微睡みの最中で目線だけをそちらに向ける。一メートル弱離れた距離でテッドが壁にもたれ、腰を落ち着けていた。


「私は一体……」

「四号がお前を気絶させてエレベーターの中まで運んだ」

「それは分かりますよ。そうではありません」


 分かるものなのか。

 首を左右に振った後、彼女は不器用な笑みを作った。


「私は一体何者なのでしょう。私は機械ではないと言われました。ですが、この身は最早人とは呼べない」

「サイボーグと言うらしい」


 テッドは簡潔に答えを述べた。


「機械の体に改造された人間ですか……確かに分類上はそうなるでしょう。ですが残念、それでもありません」


 座りながら両足をたたみ、両手でそれを抱え込んだ体勢になって、再度彼女は首を振った。


「人間だった私はヴィオラ・エルドレッドでした。機械であった私はEVE一号でした。なら——」

「人であり機械であり、人でもなく機械でもない、今のお前は何になれるか?」

「……そう言うことです」


 膝の間に顔を潜り込ませながら少女は肯定する。


「私は…………私が、生きていて良いのでしょうか……」

「ったく」


 ドスッ、と頭の後ろの方で鈍い音が響いた。

 隣にいたテッドが彼女の頭部に向け手刀を作り軽くチョップを食らわせた音だったのだが、


「〜〜〜〜〜〜!!」


 左手を押さえて静かに悶絶するテッド。機械の肉体にものの見事に返り討ちにあっていた。

 流石に伏せていた顔も上げる。


「あ、あの大丈夫ですか?」

「ま、まあな……」

「本当ですか?」

「ああ、それだよ」


 ニヤリ、と笑いながら人差し指を向ける。


「どうせ、この先も生きるつもりなら生きていて良いのかなんて塞ぎ込んでるより、少しでも笑ってる方が断然良い」


 沈黙が流れるとともに咄嗟に口元に手を当て、自分が今、笑ったのかと確認をする。そんな動作を意識せずにしたことなどなかったはずだ。


「わ、私がこの先も生きるかなんて……」

「それを望んでるやつがいる。お前の両親とお前の仲間が」

「それは、そうですが」


 彼女は未だに自身を肯定できないでいた。

 母に守られ、父に生かされ、機械に支えられてきたこの四百年。

 もちろん、その行為を無下にするような薄情な心は持ち合わせていない。しかし、


「それでも、お前が立つにはまだ足りないってか?」


 こくり、と頷く。彼女は生きることを望まれている。それに応えることは容易だ。

 足りないのは、彼女自身の意思。

 生きる上での意味も目標もなかった。それが心に一つの大きな空洞を作っていた。


「なら、一人追加だ。俺がお前を望む」


 テッドは立ち上がり、二人は角度をつけて目線が交差した。


「なんの偶然か、どうやらお互い足りないものは一緒らしい。……俺もお前も生きる意味を望んでいる」

「生きる意味……」

「これは俺からお前へのお願いだ。俺の生きる意味になってくれ。だから、その……お前は俺を望んで生きろ!」

「………!」


 機械の身体の内側から何か、正確には認識できない領域、うまく言い表せないどこかが満たされる。

 そんな感覚を彼女は覚えた。それを温もりと呼べばいいのか。

 テッドは顔を背けながら手を差し出した。

 僅かに見える頬が赤みを帯びてきているのがちらりと見えて、自然と笑みがこぼれた。


「……名前」


 ふと、思い出したように彼女は呟いた。


「は?」

「名前が欲しいです」

「いや、名前なんて……えと、一号? いや、ヴィオラなのか? それともイヴ……?」

「ええ、私にはいくつか名前がありました。でも、今はないんです。ヴィオラ・エルドレッドは四百年前に死にました。EVE一号はシステムの停止に伴い消えました。ですから、新しい名前が私が生きるための名前をあなたにつけて欲しい……!」


 差し出されていた手を、両手で包み込んで返した。テッドは動揺し、一瞬離そうとするも力では振りほどけず、すぐに諦めた。

 そして、残った右手で後頭部をポリポリと掻く。


「名前……か」

「はい! あなたがつけてくださった名前で、私はあなたに呼ばれたい!」


 その今までにない押しに圧倒され、たじろぐ。

 彼もそれなりに小っ恥ずかしいことを言い放ったつもりではあったのだが、上には上がいるものである。


「いや待て待て待て、いきなり言われても、そんな急にいい名前は……」

「難しく考えなくても大丈夫ですよ。私はどんな名前であろうと……」

「そんな気持ちを軽くするようで重圧をかけてくる常套句は結構だ。名前は重要! それをつける責任は重大! 軽い気持ちでは……」


 テッドは瞬間的に脳の活動を今までにないほどに早く、広く回していく。

 名前などつけたことがない。が、目の前にいる少女がこれから何年何十年はたまた何百年と自分がつけた名を名乗っていくのだ。もし、変なものをつけようものならそれは一生ものの恥である。

 慎重に——難しすぎないで——彼女らしさを残すような——そう、関連性があるといい。前の名前を使ってみるとか、彼女はヴィオラでEVE一号だった。

 EVEの一号(No.One)からそう、例えば頭文字を取って、


「——ENO(エノ)?」

「エノ……? それが私の名前ですか!?」

「え? あ」


 張り巡らせた思考の一部分がふと口から漏れ出した。

 すかさずそれを聞きつけ、興奮した様子でテッドの左手を包む両手に一層力を入れ込んだ。

 ぐしゃっと潰される痛みが左手から伝わる。


「あいっでででで!!」

「あ! も、申し訳ありません! でも……」


 すぐに手を緩めた、しかし、離すまでには至っていない。そして、その手に包み込んだ左手を見つめながら微笑んだ少女の顔は、今までになく満ち足りていて、人らしい。


「気に入ったのか?」

「はい!」


 そう答えて、今一度目を閉じ微笑む。まるで天か神に感謝でもしているかのように。


「よし、じゃあ決まりだ。お前の名前はエノだ」


 スクッと立ち上がり、少女は胸に手を当てて穏やかに宣言する。


「はい、私の名前はエノ。テッド様、あなたとともに生きる——エノです」


 二人は大体同じ高さで目線を合わせ、笑いあった。

 ガクンと一瞬の浮遊感が発生した。エレベーターは無事地上に到着したようだ。

 ——扉がゆっくり開く。


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