第十二話(最終)
エレベーターから先は階段が続き、それを上った先の天井のハッチを開ければ地上に出られた。
見渡す限りの砂と砂山と砂丘、要するに砂漠が全面に渡って広がっていた。
シャングリラ・システムを守るため、都市は地下に隠したと聞いて漫然とそれを理解していたが、こうして改めて見ると、やはりとんでもない技術力なのであると感心する。
砂つぶ混じりの風がそっと頰を撫でる。
「この景色も久しぶりだな」
「既にシェルターは閉まっているので、隠蔽は完璧です。この下でEVEの全勢力と龍が交戦しています」
感嘆するテッドを尻目にエノ(元一号)は現状を伝えた。
抑揚の少ないその声を聞く限り、調子は戻ってきたらしい。
中では激しい戦いが続いているのだろうが、高度な隠蔽技術の為か振動も音も何も感じない。
実感し難い事実を把握して、次の行動に移ろうと指示を仰ぐ。
「よし、車があるって言ってたな? どこだ?」
「あ、そうでしたね。本来でしたら都市側から操作して地上に運ぶのですが……」
「……まさか、持ってこれないとかじゃないだろうな?」
少し焦りの表情を見せたエノを見、恐る恐ると不安混じりに質問したテッドに対して、はっきりと彼女は否定した。
「ご安心を多少手間にはなりますが、エレベーター付近まで戻れば、同様の操作は可能です」
そうか、とほっと胸をなで下ろす。
正直なところ事態が急だっただけにテッドは旅支度が何もできていなかった。
いくら五体満足、体調は万全とはいえ優秀な足か食糧、今から砂漠越えをするのにどちらもないと言われれば絶望せざるを得ない。
踵を返し、エノは片足を階段に下ろす。
「少々お待ちください。起動させてまいりますので」
「ああ、頼んだ」
地下に消えていく少女の背中を見送り、青年は軽く一息ついた。
さて、と正面の砂漠を見据えてこれからどうするべきかを考える。
魔物と龍が跋扈するこの世界で人類に安寧の地はない。少なくともテッドやエノのデータベース上ではそうである。
それを理解した上でどうやって生きていこうか。
お互い半ば共依存のような重い思いな関係を口頭で結んだが、その実それの実現性は非情にも低い。
この砂漠を越えて、人が住む街を見つけることができる確率はいかほどか。
二号に拾われる以前、彼の旅をしていた期間は正直なところとても短い。
そして、その僅かな間とはいえ人っ子一人とは出会わなかった。
当然だ。小さくとも集落を作るならば、衣食住の確保よりも魔物に対応できる戦力を確保する方が優先させる世界だ。
なにせ二十六体の龍により拡散された瘴気のおかげで、世界中どこにいても魔物は湧いて出てくるのだから。
だから、元からある程度の戦力は保持した状態で領土を手に入れて、人が集まらなくてはならない。
発展の仕方としては順序が逆だ。
故に集落ができるのは非常に難しい。
故に世界中放浪しても人とすれ違うことすらない。
だが逆に考えてみれば、もし仮に人が住む都市があるのだとすれば、それは十中八九、大都市と言える。
村落や都市を作るのではなく、五百年前から存在した国から残った都市を龍や魔物から守り、維持し続ける。それは非常に困難であるが、地力が望められれば不可能ではない。
事実、テッドの故郷はそうであった。その陰で崩壊するその時まで龍に襲撃されることがなかった五百年の豪運が大きな要因であることは否めないが。
——もし、龍に襲われても対抗できるほどの地力を持った都市が五百年以上存続し続けているならば?
それが一つの希望であった。龍が現れて五百年。
それに耐え続けるほどの力を持った都市。ならば、必然と各地から人は集まり増えていくだろう。
夢のような話だとは分かっていた。しかし、この足元の下にあった機械たちの都市を見て、存外あり得ない話ではないとも考えていた。
想像だにし得ない人の力。何かは分からない。が、賭けて見たくなった。
一つの楽しみができた。
「テッド様。準備が整いました」
いつの間にやら戻って来ていたエノが背後から呼びかける。
振り向けば、地面が割れて、その先の暗闇に砂が滴り落ちていく様が見えた。次に壁も天井もない土台だけのエレベーターに運ばれて見慣れない白い箱型の乗り物が現れる。
それを自動車であるというのは四号から知識として聞いていたが、彼の常識では人が乗る車は馬が引いていた。
ここで鉄の馬だ。とかいうのは古いのだろうか。
「こ、これが車……なんかこう、いいなこれ」
未知であるはずのそれにそこはかとない少年心を踊らせる青年を白い目(物理的な意味とは別に)で見ながらエノは話を進める。
そのロマン、少女には分からないらしい。
「中には半月分の食糧が積んであります。それと、太陽電池車ですので燃料は少なくても日の登っている内は走行可能です」
また、新たに知らない単語が出て来た気がするが聞き流す。
「とにかく、こいつで砂漠を超えられるんだな?」
「はい、本来ならばもっと食料を確保して置きたいのですが、車で砂漠を越えるためにはあまり重量を増やしてはいけないので……」
まあ大丈夫だろ。とテッドは楽観的に返事をした。
——ワンッ! ワンッ!
唐突に犬の鳴き声が響いた。
二人は同時に振り返る。
褐色の毛並みの大型犬が二号が砂の上にお座りしていた。
「二号!」
半ば叫ぶように呼んで、砂丘を駆けてエノは身を乗り出し抱きつく。その毛並みが柔らかく彼女を抱擁する。
二号は——ウィルは、エルドレッド家で飼われていたシェパードだ。
エルドレッド博士がシャングリラ・システムの開発を行う際にその補助を目的としてヴィオラに続いて、彼もサイボーグ犬として改造され以降、一号となった彼女とともにEVE二号となってこの街を守り続けていた。
だが、推測するに彼には別の目的があったのだろう。
博士の手記曰く、彼には記憶が残っていたらしい。恐らく、彼は家族を守るという役目を自らに課していた。
だから、彼はテッドを助け、四号と共謀して真実をそれとなく伝えていき、残った唯一の家族が幸せになれるように尽力した。
四号曰く、一号は女王。
ならば、この二号は忠犬と呼ぶに相応しい見事な忠誠を見せた。
エノは抱きしめていた腕を緩めて、涙目で二号と向き合う。鼻を近づけ、頰を舐めて、彼女はそれをくすぐったいというが、無論嫌がっているように見えない。
くすり、と笑いながらテッドは歩み寄る。
膝に手を置いて中腰になる。
「二号、お前も来るか?」
その問いかけに対し、二号は自らの行動を一通り終えて、じっとテッドだけを見つめた。
静謐な砂の空間で僅かな風の音と砂丘から砂が溢れる音だけが煩くなった。
「……お前」
「……二号?」
彼女は少し身を引いて、全身が見えるように二号を見た。
完全な静止。そこからは断固としてここを動かないという意思が垣間見える。
テッドはその姿を憂うように笑った。
彼の役目は——ここまでだ。
「分かった。お前が望まないようにはしない」
言いながら、膝を伸ばし背筋をしゃんとして立つ。
「テッド様、一体どういう……」
「こいつはここまでってことだな。……別れの言葉があるなら言っておけ」
踵を返して、背を向けた。
多分、二号はEVEの代表だ。
我らが女王が選ぶ全てを受け止めて、受け入れて、その旅立ちを見届けるのだ。
今一度、エノはその代表と向き合った。
白金の瞳から涙が零れ落ちて、口元は震えて、顔はくしゃくしゃ、まったく四百年間ロボットを名乗ってたとは考えられない。百面相でもしてるのかと思う。
そして、一瞬。ほんの一瞬だけ、表情が定まった。
エノは笑う。
飛び出すようにもう一度抱きついた。
褐色の毛並みがもう一度彼女を抱擁する。
人より少し高めの体温が伝わった。
「……ありがとう」
その言葉を受け止め受け入れ、するりと二号は腕から脱する。
その足が目指した先はテッドだ。
「どうした?」
僅かに目が腫れてると思われるかもしれないが、それはただの気のせいである。
振り向き、足元に座る褐色の犬はまたこっちを見た。
よく見れば、その首輪に何か紙のようなものが挟み込まれていた。
それに手を伸ばしても特に反応を示さないので、そのまま取って広げる。
少々大きめのその紙は地図だ。そして、そこに書き込まれていた赤い印と青い印。
赤い印は自ずと分かる。砂漠地帯の中に打ち込まれるようなものといえば、ここに他ならない。
そして、赤い印がそうであるならば、草原地帯と思われる場所にあるこの青い印は、
「お前ら……ここまで」
感嘆の後、しっかりと笑って応える。
差し出されたその頭を撫でて、テッドは懐から別の紙を二枚取り出した。
一つは古びた写真、もう一つは同じくらい古びた四つ折りの紙。
それをテッドは重ねて、首輪に挟み込んだ。
「これはお前らに返しておく、男の約束に証拠なんて必要ないからな」
目を細くし、口角を上げ、歯を見せながら、もう一度頭を撫でた。
暫くして、エノが落ち着いてから二人は車に乗り込む。
二号は変わらず見守り続けている。
さて、とテッドが呟く。
「あいつらからの贈り物だ」
そう言って、二号から託された地図を見せた。
「これは、パライゾの座標と……青い印に何があるかは私には分かりませんね……」
「大方、お前には秘密裏に世界中を回っていたんだろう。こういう時のために」
「そんな……皆、私のために」
再びエノの目から洪水が起こる。
「ああもう! 泣くな泣くな! 砂漠越えられなくなるぞ!」
その反応にくすり、と笑いながら袖でぐしぐしと瞼を拭う。
真実を伝えてからと言うもの、彼女の感情表現は異様に豊かになった。
真実を伝えたことによって機械の意思が壊れて、四百年間ひた隠してきた人の心を取り戻し、生きる為の意味を与えて、自分を認識するための名前も与えて、そして、過去と別れを告げた。
彼女を人として構成する為の重要な要素だったとはいえ、結果はこれだ。
まあ、良くはなっているのだろう。テッドはそう思いたい。
「まったく、本当に同一人物なのか? どっかで入れ替わったりしてないだろうな?」
「そうですね。だって私はもう一号ではありませんもの」
苦笑し、違いない。と返した。
「さて、これどうやって動くんだ? 少なくとも俺には無理だぞ」
「ご安心ください。私がネットワークに接続すれば、命令を下すだけで自動で走ります」
言いながら、手のひらをハンドルに向けた。
パチンッ、と静電気のような音がした後、車内が細かく振動し始める。
「発進します」
久しぶりに聞いたような無機質な号令に伴い、テッドは椅子に体を押し付けるような感覚を覚える。それが慣性だとは、もう少ししてから気づいた。
「お、おお、おお〜」
箱から見える景色が動き出した。砂漠だから動いても大差ないとかそう言った野暮はない。
とにかく、自動車と言うものはどうにも車輪より、少年心を動かすのだ。
「目標はこの青い印です。少々、揺れますのでシートベルトの着用をお願いしますね」
はいはい、と片手間に返事をしてシートベルトを締める。これは義務だと確か四号が口酸っぱく言っていた。
ふと、後ろを見やる。
変わらず、二号がそこに佇んで……否、こちらに向かって吠えているようだった。
別れの挨拶。と受け取って彼に見えるように車内でできる範囲で手を振った。
それに気がついたのか、二号も吠えるのをやめ、再びお座りをしてこちらをじっと見守っていた。
やがて、砂丘を降るようになり、彼は見えなくなった。
その頃になってようやく二人は正面に向き直す。
砂の地平線が見える。砂漠はまだまだ続いているようだ。
ほぼ同時にもたれかかって、じっとそこを見つめた。
「この先、何があるのでしょうね?」
「何でもいいさ、その先にもお前が居てくれるようならそれで」
「あの……テッド様ってその、結構恥ずかしいことを仰いますよね……」
「はっ!? お前に言われたくないぞ!?」
二つの笑い声が車内で木霊した。




