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「―――ごめんなさい!!」
学校では捕まえられなかったので家に帰ってすぐみーちゃんの部屋を訪れた。おずおずと開かれた扉に向かい、潔く頭を下げた私にみーちゃんが文字通り固まったのがわかった。
酷いこと言ってごめんなさい。身勝手なのは私の方だった。自分の気持ちばかりを押しつけて、みーちゃんを困らせた。自分の尺度で勝手に測って彼にも失礼なことをした。みーちゃんの気持ちはみーちゃんだけのものだってこともわかった。今凄く反省してる。好きな人悪く言ったりしてごめんね。傷つけて、哀しい気持ちにさせて本当にごめんなさい。もうしません。
精一杯の誠意を込めて一気に告げた私にみーちゃんからの言葉はなかった。
立ちつくした様子のみーちゃんに心が逸り、再度呼びかける。散々迷ったことだけど、私が拘っていた理由も話そう。前世の記憶も話してしまおう。巻き込まれ被害を被ったみーちゃんには知る権利がある。
「あのねみーちゃん、私」
「果歩ー、帰ってるなら夕飯手伝ってー」
意を決して顔を挙げたちょうどその時、キッチンから母の暢気な声がした。出鼻を挫かれた私が振り返ろうとした刹那、金縛りが解けたらしいみーちゃんが私の横をすり抜けた。
「え、みーちゃん?!」
「……よ、用事!用事思い出したから、ちょっと出掛けてくる!」
引き留める手も間に合わず、脱兎の如く掛けていくみーちゃんを私は茫然と見送った。
部屋着のまま財布も何も持たずに出ていくみーちゃんが私を避けたことは明らかだ。
私が突然態度を翻したから驚いただけ?それとも、謝罪を受け入れる気がないっていうこと?
顔を挙げた隙に一瞬垣間見えた泣きだしそうな顔を思い出して胸が苦しくなる。
伸ばした手の行き先がどこにも見つけられなくて、私の方こそ泣きたくなった。
バーベキュー当日の土曜日は、朝から気持ちいいくらいに澄み渡った空が広がった。
前日までに生鮮食品を買い足しや事前の仕込みを全て終わらせ臨んだ当日、心配していた天気は文句なしに晴れてくれた。ただし日差しが強すぎるので今度は熱射病の心配がありそうだ。縁側に扇風機も用意して欲しいと夏目君にお願いする。
「これ絶対暑くなるよね。日除け用のパラソル古いのもあわせて全部出しちゃおうか」
「あ、じゃあ僕とってきますよ」
「ってアッキー、おにぎりまだ終わってないでしょ。そっちは祐成に伝えておけば十分だから、君はさくさく握っちゃってください」
「秋山、焼おにぎり用だから少し固めにした方がいいぞ。力入れ過ぎて潰さない程度にな」
「ううう」
思った以上に覚束ないな手つきで項垂れる秋山君に突っ込みを入れる冬木先輩の脇を私はこっそりつついた。うまくいっていないって判っている時に責めるような物言いをするのは逆効果だ。プレッシャーになって益々手つきが危うくなる可能性がある。私と目を合わせ意図をくみ取ってくれたらしい先輩が頷いた。
最近まで知らなかったのだけど、秋山君は割と不器用な性質だったらしい。単におにぎり一つ握るだけの作業時間がえらく長い。野菜を切るどころか包丁を持つ手が危うくて見ているのが怖い。朝起きて学校に行くまでの動作は非常に要領よく素早いから思いもよらなかったけど、勝手がわからないものの前では手が止まってしまうようだ。驚いたものの、とりあえず数をこなせばそのうち慣れるだろうと割り切って任せることにした。免除するのは簡単だけどさすがにおにぎりくらいは作れるようになってもらわないと色々な意味で心配だ。朝勉強を終わらせたという世話焼き冬木先輩が傍にいるのでコツを教えてもらえるだろうし。最悪、約束の時間までに終わらなくても招待客に手伝ってもらってもいいし。むしろその方が一体感を感じられて良いかもしれない。
いつ頃ノルマ達成できるかな……ああ、今度は力入れ過ぎて潰してる。ぼろぼろとこぼして慌てる秋山君は愛らしい顔立ちも相俟って洗いものが苦手なラスカルみたいだ。申し訳ないけどちょっと面白い。本当ならみーちゃんとも眺めを共有したい。
不意にわいた気持ちに押されて目をあげる。
ぱちっと音がしそうな勢いでみーちゃんと目があった。
祐成と一緒に炭を並べていたみーちゃんがびくりと肩を揺らして目を逸らした。まるで、私に怯えているみたいな反応にぎゅっと胸が締め付けられる。
あれから何度もみーちゃんにトライしたのだけれど、毎回逃げられてとうとう今日を迎えてしまった。
朝早く出掛けられ、学校でも避けられて、帰ると部屋に籠られて、食事時は目が合わない。徹底的に避けられ続けると日々果敢に声をかけるための気力が削られる。ついでにちょっと前まで自分がしていたことそのままだってことにも気が滅入る。
特攻ばかりじゃ芸がないと思うのだけど、他に方法がみつからない。だけど追いかけ続けるのは追いつめるみたいで嫌だ。どうにも攻めあぐねて、このところ私は溜息ばかりついている。
「果歩っち、まだ美空ちゃんと喧嘩してんの?」
結局一人寂しく仕込みをしていた時に声をかけてきたのは夏目君だった。
バーベキューは当日こそメインなので事前の準備は左程多くないから母の申し出は私の方で断った。一人で問題ない量だし苦だとは思わないけれど、一度はみーちゃんと一緒にやろうと約束しただけに現状が少し切ない。だけどそのうちみーちゃんが通りかかったら一人の方が誘いやすい。夏目君が問いかけたのは、私が強かな打算を胸に秘めつつ箸休めのひとつであるピンチョスを用意していた時だ。私は咄嗟に背を伸ばして首を振った。
「してたくない。けどたぶん、まだ気持ちの整理ができてないんだと思う」
「ふーん?前は果歩っちの方が避けてたけど、今は美空ちゃんの方だよね」
「それはその、悪いのは私だから。……心配かけてごめん、ちゃんと謝る」
夏目君の指摘にどきりとし、あくまで悪いのは私の方だと念押しした。
ごめんねっていうのは私の理屈で、みーちゃんの都合じゃない。失敗した私はきちんと反省してみーちゃんの許しを殊勝に待つべき立場にある。それを、謝ったけど受け入れてもらえなかった、なんて言ったら途端にみーちゃんが悪者だ。謝ったんだからいいでしょ、というのは開き直りであって、本当の意味での謝罪じゃない。加害者が被害者面するなんて言語道断だと思う。
「まあ、仲直りする気になってよかったねー。いつもの果歩っちなら爆発して終わりなのにそうじゃないとか、絶対引き際わかんなくなってんだろうなって思ったし」
許してもらえるように頑張れよー、と夏目君が私の頭をポンポンたたいた。
見透かされた上不意打ちでもらった優しい言葉が突き刺さり私は口元を引き締める。最近涙腺が弱い気がして怖い。
私とみーちゃんの喧嘩の最中、両親も住人もこれといって言葉で介入してくることはなかった。私が聞く耳持たなかっただけかもしれないけど、基本放置だっただけに皆の視線を感じる度に罪悪感を煽られて緊張していたことを思い出す。
本人がどんな選択をしたとしても、ただずっと傍にいる。誰かさんの言葉を思い出して少し悔しくなって、少し口元が緩んだ。
そのままリビングに留まることにしたらしい夏目君がテレビを付けた時冬木先輩が帰ってきた。
ただいまの声にお帰りなさいと返したら、動きを止めた先輩が真顔で告げた言葉に首を傾げた。
「相原、知ってたか?俺は受験生なんだ」
「は?」
意図がわからずぽかんとする私と真剣な顔つきの先輩との対比が凄いことになった。
「知ってますけど…どうしたんですか。模試が嫌になったんですか」
「そうじゃない。受験生は受験にまっしぐらにならなきゃいけないんだ。そのために下宿させてもらったんだから尚更だ」
「はあ」
「わかってないな……お前が喧嘩なんてして落ち込んでると俺の勉強がはかどらなくて困るんだ。迷惑だから早く解決して欲しいと言っている」
「は……い?!」
なんだその台詞。単に傲慢と言っていいのかぶっきらぼうな優しさなのかどっちなのそれ。驚きすぎた私はバラバラとぶちまけたピックを片付ける手を止め無駄に口を開いては閉じてを繰り返した。ぶふっと噴き出した夏目君の声が聞こえてきた。
いや、わかってるんだ。冬木先輩に他意はないって。兄貴分として見過ごせないだけなんだって。わかってるけどその言い方は一歩間違うと誤解を生むでしょ。
「家の空気は大事だろ」
「……ええそうですね!」
ぬおおお……!
当然のことを指摘し同意を得て満足したとばかりの表情の先輩に唸りたくなる気持ちをギリギリ堪えた。
元は私が悪いんだ。先輩は心配していることを遠まわしに伝えてくれただけなんだ。私がしなきゃいけないことは変わらない。どうやら腹を抱えているらしい引き笑いの夏目君を横目に先輩に宣言した。
「ちゃんと仲直りできるように頑張ります」
「そうか。がんばれ」
ぽん、と背中を押してくれた先輩に私は素直に頭を下げた。
翌日、夏目君に聞いたらしい春さんから携帯にメッセージをもらった。
がんばれ。
携帯に届いたたったひとつの言葉に勇気づけられたのに驚いた。
その日の夜、お礼を返した私に優しい眼差しをくれた春さんが幼い子にするみたいに頭を撫でてくれた。
いつもおいしいご飯をありがとう。明日のバーベキュー楽しみにしてるから。果歩ちゃんが気を配ってくれたから、安心して彼女を連れてこられるよ。迷惑掛けると思うけど、よろしくしてやって欲しい。
そう言って笑う春さんの眼差しに急に胸が高鳴って、私は大きく頷いた。
「……大丈夫、大船に乗った気でいて!」
「うん。任せた」
春さんから手渡された信頼が、びっくりするほど嬉しかった。
私は、応援ってもっと無責任なものだと思っていた。
何故なら私が病院でみーちゃんに何度もかけた言葉はいつも自分への不甲斐なさとセットだったから。
頑張れって言葉は、それでなくても頑張ってる人を更に追いつめる言葉なんじゃないかと思ってた。
頑張る人とは遠いところでただ声をあげるだけの無責任な代物で、それしかできない自分を認めさせようとする傍若無人な行為だと思っていた。
だけどそれだけじゃないのかもしれない。
その言葉は、使い手次第で、相手を肯定する言葉にもなるのかもしれない。
だって、今の私の傍には皆の心が傍にある。日々色んな人から手渡された言葉が私の中に降り積もり、怖気づく心を奮い立たせる勇気をくれる。ここにいるから、全力を出しておいでと言われているような気持ちになる。
心のこもった応援は人を元気づけるんだ。初めて知った事実に私の胸が熱くなる。
―――もう、逃げるのは嫌だな。
倉からパラソルをとってくると言いながら離れていくみーちゃんの後ろ姿をぼんやり眺めながら思う。
悪いのは私だから、避けられても自業自得だってわかってる。それでも今日だけは楽しく過ごしたい。私だけじゃなく、みーちゃんにも、楽しく過ごしてもらいたい。
出来れば朝のうちにもう一度伝えたかったけど、またしても逃げられてこの時間になってしまった。
今は道具は出し終わってるし食材の準備も目処がついた。もう殆ど準備は終わっているけど、もう一度追いかけていいだろうか。更に空気が悪くなったりしないかな。たぶん時間的には彼女さんを迎えにいった春さんが最初に合流しそうな頃だろう。止めた方がいいかなあ。
つい弱気がもたげ、もうそこまできてるんじゃないかと目で探しそうになった私の横から秋山君の遠慮がちな声がした。
「……バーベキューを楽しく過ごすためには二人の仲直りは必須だと僕も思います」
私の視線を追った秋山君が、目線で頷く。
同じくみーちゃんの背中を見送った祐成が指をさす。
いけ。追いかけろ。
わん! 大きな声でチロが鳴く。
夏目君と冬木先輩が同じタイミングで頷いたのを横に見て、私の心臓が強く鼓動した。
手渡された皆の想いをぎゅっと拳を握りこみ、私はみーちゃんの元へと駆け出した。
あの日一方的に謝っただけの私はまだみーちゃん自身の気持ちを聞いていない。
自分の中で想像して、自分勝手に結論付けて、それじゃ全然意味がない。
同じように、私の気持ちだって伝えようとしなきゃ伝わらない。
例え同じ気持ちじゃなくたって、伝えなくちゃ意味がない。
駆け寄ってきた私に気付いたみーちゃんが固まった。
目を逸らし逃げようとする手を先に掴んで庭の木陰に誘導する。
半泣きの状態で必死に逃げ場を探す、みーちゃんに申し訳ないと謝りながら、少しだけ話がしたいと懇願した。
私が嫌いになったのかもしれない。ただ傷ついてるだけかもしれない。悪い想像は留まるところを知らないけれど、本当のところは聞いてみなくちゃわからない。
私は聞きたいんだ、みーちゃんが私から逃げる理由は何なのか。
許したくないとか許せないとか、そういう言葉でも構わない。一度でも私が放った言葉は消せないし、いくら口で変わったと言っても一度失った信頼を直ぐに戻せるとも思っていない。これから態度で示していく他ないからそれでいい。
だけどみーちゃんとこのまま気まずいままでいるなんて嫌だ。
全てを受け止める覚悟で臨んだ私の眼差しに何を見たのか、私の表情を間近に見たみーちゃんが息を飲んだ。
口を開いた私の声を―――……遮り、先んじてみーちゃんが声をあげた。
「―――謝らないで!」
「え……」
予想外の言葉と勢いに私は少し気圧された。
戸惑う私に向かってひとつ息を吐き、みーちゃんが迷いながら言葉を紡ぐ。
「あ、謝らないで欲しいの。果歩ちゃんに謝られたくない」
「……私はもう謝らせてももらえない?」
「……そうじゃなくて。悪いのは、私、だから」
「みーちゃん悪くないよ。悪いのは酷い事言った私」
「そうじゃなくて……そのことについては、もう謝ってもらった」
要領を得ないみーちゃんの真意がわからず困惑する。
つまりこの間の言い過ぎの件に関する謝罪は受け取り済ということ?逃げ出してごめんなさい、と呟くみーちゃんに首を振るも、みーちゃんの泣きそうな表情は変わらない。みーちゃんが言いたいことがどうしてもわからなくてもどかしい。
「……みーちゃん?どうしたの」
出来るだけ落ち着いた声を心がけて問いかけると、みーちゃんが唇を噛みしめた。
「……我儘いってごめんなさい」
「何が?」
「この家に引っ越してきて、ごめんなさい」
「は?」
駄目だ、話の筋が見えない。このままじゃ埒が明かない。私は率直に訊ねることにした。
「意味がわからないよ、突然どうしたの。なんでそんなこというの?ちゃんと説明して」
語尾が強くなったからだろうか、みーちゃんがびくっと肩を震わせた。
私はみーちゃんを怖がらせたいわけじゃない。
だから思い切ってみーちゃんを両手で抱きしめることにした。
「果歩ちゃ……っ!」
「黙って。暑いのはわかってるけど、落ち着くまで我慢して」
ぎゅーっと両手に力を入れて久々のみーちゃんを堪能する。
柔らい髪が頬をくすぐり、仄かに甘いにおいが鼻を刺激し、少しだけ熱い体温が安心感を呼び寄せる。
やがて強張っていたみーちゃんの体から力が抜けるまで、私はずっとみーちゃんを抱きしめ続けた。
この時の私は極上の心地よさを味わいながら漸く手にした温もりに安堵していたのだけれど、傍から見るとあれは混乱した恋人を慰める優男の手腕に等しかったらしい。後で揶揄された時、キスしたわけじゃあるまいしと言ったら、何人かが笑いだし、何人かが絶句していた。