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こちらメリヴェール王立探偵事務所7 ~死者は迷宮の底で嗤う~  作者: 恵良陸引
Chapter 8

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 感覚的な話でしかないが、このとき、まさに時間が止まっていた。


 誰もが口をつぐみ、階下に立つ男を信じられない表情で見つめるだけだった。


 男は、――ルーベン・マドラスは、まるで彼らを待っていたかのように立っていた。今にも、「やぁ」と手をあげてあいさつをするような、そんな雰囲気さえ漂わせて。もし、この男が生きているのだったら、それは自然なことだろう。そう、『生きている』のだったら……。


 ルーベンの顔色は血色がなく、青白いものだった。ランタンの明かりは薄暗いものの、赤い色なので顔色が青いのは明かりのせいではない。胴をぱっくりと開いた大きな傷跡からは血が一滴も流れておらず、赤黒く変色していた。それだけでも、ルーベンが当たり前の状態でないことは見て取れる。


 この、ひと目見ただけのわずかな時間で、この場の全員が理解した。この男は、――ルーベンだった存在は、死骸者コープスであるのだと。


 「ルーベン……」リューゼがぽつりとつぶやいた。


 それが聞こえたのか、ルーベンの頭が動いた。生気のない目が階段に並ぶ面々に向けられる。ルーベンの目がリューゼの目と合った。


 ルーベンの口もとがわずかに動く。ルーベンはリューゼに笑いかけたのだ。そして、ルーベンは唐突に姿を消した。階段下の脇道に入っていったのだ。


 「お、追え!」デレクの声が飛ぶと、ドットが巨体を躍らせて階下へ飛び降りた。どん、と地面が揺れそうな大きな音が響き渡った。


 「あれが死骸者か……」

 リュートが蒼ざめた表情でつぶやいた。「屍霊グールだったら、襲ってきてるはずだ……」


 「ぐずぐずするな、ドットに続け!」

 デレクは剣を抜きながら階段を駆け下りる。つられるようにアンリも剣を抜いて駆け出した。


 階下に降りると、ドットが戦斧を手に身構えていた。かなり大きなもので、メルルでは持ち上げることもできないと思わせるほどのものだ。


 「目標の姿はない」

 ドットはルーベンのことを『目標』と表現した。「すでに奥の分かれ道に逃げ込んだようだ」


 「死者が逃げる、か……」

 デレクはドットに並ぶと、自分の髪をくしゃくしゃとかき回した。デレクの考えるポーズらしい。

 「これが死骸者っていうものか」


 アンデッド系のモンスターとしては屍霊しか知らない者にしてみれば、死骸者の行動は意外なものだ。屍霊は見境なしにこちらへ襲ってくるものだからだ。想定外の行動だけにやりづらいものを感じているようだ。だからこそ、ドットも姿が見えない時点で後を追わず、仲間の合流を待ったのだ。


 「あの水跡は、やはりご子息様のものだったんだ」

 オリヴァーが納得したような声で言う。メルルも同意見だ。ルーベンは水道を通って5層に現れ、そして、さっきの階段から6層へ降りていったのだ。


 まるで、自分たちをここへ引き込むように……。


 メルルは少し寒気を感じていた。明確ではないが、このことに死者の意図を感じたせいだ。本来、アンデッド系に思考はない。彼らにあるのは、生者を死の世界に引き込もうとする殺意だけだ。それも本能的なものでしかないから、『意図』と呼べるほど思考をともなっていないのだ。それが、この世界での『常識』だ。


 ルーベンが見せた行動は、その『常識』を否定している。それが、メルルに寒気を感じさせ、ほかの者たちの足を止めるものになっていた。


 デレクもドットに追いついたが、一緒に跡を追おうとしない。明かりが届かず、真っ暗になった通路の先を無言で見つめるだけだ。さすがの『悪狼』も、むやみに奥へ踏み込めないと判断したようだ。


 「フォーメーションを整える。それから前進だ。分かれ道では後衛と神官さんを残して進む。いや、オリヴァーも残ってくれ。もし、ご子息様に襲われたら、オリヴァーで攻撃を防ぎつつ、後衛で仕留める、あるいはオリヴァーの支援。神官さんは魔法でご子息様を浄化してくれ」


 「ルーベンの遺体を持ち帰らないのか?」

 アンリが訊くと、デレクはくるりと顔を向けた。

 「ご友人としちゃ残念だろうがな。もし、ご子息様が屍霊になった場合、こうしてほしいとマドラス伯から頼まれている。さすがに首をはねてほしいと頼む親なんていねぇ。そうだろ?」

 「そ、それはそうだ……」

 アンリはそう答えると、ちらりとレトに視線を送った。探偵ではないアンリでも、遺体が事件捜査の手がかりであることは承知していたらしい。その消滅は事実上、今回の捜査を打ち切るしかないことを暗示していた。

 しかし、今はまだルーベンの肉体は残っている。場合によっては、もしかすると……。


 メルルはレトがどう返すか様子を見たが、レトは無言のままだった。


 一行が奥へ進むと、すぐ突き当りに着いた。通路は左右に分かれている。そこで、さっきデレクが指示したようにパーティーをふたつに分け、ロズウェルやオリヴァーたちがその場でもう一方の通路の警戒にあたることになった。


 「左に進む」デレクの指示は短いものだったが、意図は明確だった。左手に進む通路には、わずかだが水滴が見られたのだ。ルーベンはここを通っている……。そう考えられた。


 「次、また分かれ道に出会ったらどうするんです? またパーティーを分けるんですか?」

 メルルはグリュックに尋ねた。フォーメーションで一緒なのだ。

 「そのときは残した後衛の方がたに合流してもらいます。ダンジョンの攻略は、こうした地道な行程が必要だったりするものなんです」

 グリュックは丁寧に教えてくれた。「ここではうかつな行動が死に直結する。危険と隣り合わせの場所ですから」


 メルルは『勉強になる』と思った。不謹慎かもしれないが、メルルにとって新鮮な体験なのだ。


 グリュックが説明した『地道な行程』の機会はすぐ訪れた。分かれ道に出会ったのだ。ここも左右に通路が分かれている。


 「右だよな」

 デレクは通路を見つめながら言った。ルーベンが通ったらしい水滴の跡が右側の通路に続いていたのだ。

 「後衛を呼んで来い」デレクはグリュックに命じた。グリュックは無言でうなずくと元来た道を引き返していく。

 間もなく、グリュックは後衛を連れて戻ってきた。


 「跡をたどれるのに、どうして全員で進まないんですか?」

 メルルはグリュックに尋ねた。


 「私たちは今、水滴を頼りに後を追っています。ですが、この水滴が罠である可能性を排除できません。背後から不意をつかれる危険もあるのです。今回、大勢で進んでいますが、これも唯一の正しい方法ではありません。少数の斥候を送って、安全を確認しながら進む。できるなら、軍隊の進行と同じように進むのが一番なのです」

 グリュックの説明だと、デレクのやり方も多少省略化した進み方ということになる。それでも、ダンジョン攻略とは、こうもまどろっこしいものなのかとメルルは思った。慎重に慎重を重ねた進み方のせいで、狭いはずのダンジョンを進むのに、かなりの時間がかかっているのだ。

 思えば、『マドラス団』が5層まで進むのにかなり時間をかけていた。それは、これと同じように安全を確認しながら進んでいたからだろう。5層まで自由に歩き回れたのは、彼らが事前に調べていたからだったのだと、メルルは初めて理解した。


 理解したことのほかに、初めて知ったこともある。

 ダンジョン攻略には『マッピング』の作業が必要だ。これもかなり地道な作業で、メルルでも簡単にできるとは思えない。

 この、メルルには辛いと思える作業を、グリュックは黙々とこなしていた。別れた仲間を呼びに行ったり、ダンジョンのなかで一番活躍しているのは彼かもしれない。しかし、ダンジョン攻略で評価されるのは、剣を振るい、ダンジョンのボスを討った人物である。グリュックのような者が名を上げることはないのだ。メルルは、そこにも世の矛盾を感じずにはいられなかった。


 「グリュックさんは、どうして冒険者の付き人みたいなことをしてるんです? あなたみたいに有能な方でしたら、ほかの仕事でも評価されるでしょうに」

 メルルは思わずそんな質問をぶつけてしまった。さすがに、グリュックの立場や扱いがひどすぎると思ったのだ。

 メルルの、あまりにも率直すぎる質問に、グリュックは一瞬驚いた表情を浮かべた。が、すぐに笑顔を見せた。

 「夢があるのです」


 「夢?」


 「正規の教育を受けたわけではありませんが、私は歴史研究家なのです。ただし、ホッタイト族の歴史研究専門のね。ホッタイト族はかつては王国を築いていた民族なのです。私たちをホッタイト族と呼ぶのは、もともと王国名から来ています。これまで話題になっていた小王朝乱立時代のころですが。手先の器用さを活かし、魔法と自動からくりを組み合わせた魔法道具や武具の生産と交易で繁栄していたそうです。

 ですが、武力に劣るホッタイト王国は周辺国からの侵攻によって国を失い、さらに王家が断絶すると、私たちの祖先は流浪の民となって散り散りになってしまいました。現在の我々は、どこかの国の少数民族として、集落で細々と暮らしているだけの存在です。ですが、かつては国を持ち、そのことに誇りをもって生きてきたのです。

 私は、この世の歴史に埋もれ、忘れ去られた私たちの歴史を蘇らせたい。民族としての誇りを失って生きている同胞に誇りを取り戻してあげたい。

 多くのダンジョンは遺跡です。冒険者がダンジョン攻略として遺跡に踏み込み、財宝として遺物が持ち去られ、調査として遺跡が壊されることがあります。それはこの世のことわりとして防げないことかもしれません。ホッタイト王国の遺跡もすでに破壊しつくされて、この世に残っていないかもしれません。ですが、私は賭けてみたいのです。この世に、まだホッタイト王国の遺跡が眠っていることを。ダンジョン攻略で名のある冒険者に同行していれば、いつかたどり着けるかもしれない。私が『銀狼団』に身を寄せているのは、そういうわけなのです」


 グリュックが、デレクからの辱めに耐えてでも『銀狼団』で働いているのは、生活のためではなく、同胞に希望を残したいためなのか。現在の境遇を思えば、この夢、いや、決意は悲壮感すらある。だが、それでも、グリュックには誇りがある。不条理に耐えて前を向くだけの高潔な魂がある。メルルはグリュックのことを初めて理解できたように思った。


 「……見つかると、いいですね」メルルは本心から言った。


 「ひょっとすると、ここがそうかもしれませんよ」

 グリュックは冗談めかして言いながら笑った。


 でも、本当にそうであったら……!


 グリュックが『銀狼団』と決別できるのだ。

 メルルは嘘でもいいからそうであってほしいと願った。

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