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6層への階段に戻ると、アンリたちが剣を抜いて切っ先を検めているところだった。どうやら、下層へ降りる段取りをつけたらしい。
「リューゼさん」
メルルは抜いた剣を見つめているリューゼのかたわらへ歩み寄った。「これ、お渡しします」
「え?」
リューゼは反射的に手を出して、メルルが差し出したものを受け取った。手に載せられた指輪を見ると、その目が大きく見開かれた。「これ……、どこに?」
「聖布のなかからです」
メルルは答えた。「偶然、床に落ちたのを拾いました」
リューゼは少し考え込んでいたが、やがて、「きっと、ルーベンを聖布にくるんだときに抜け落ちたのね」とつぶやいた。そして、メルルに顔を向けると、「ありがとう。見つけてくれて」と笑顔を見せた。
「これがリューゼの指輪だとよくわかったな」
リュートがのぞきこみながら言った。
「指輪の内側に名前が彫ってあったからです」
メルルはそう答えながらリュートの顔を見た。
「リュートさん。あなたも女性に指輪を贈ったことがないんですね?」
「も?」リュートが首をかしげると、メルルは背後に目をやった。
「レトさんもわかっていませんでしたから」
「そうする機会がなかったので」
レトは無表情でつぶやいた。
「それ……、婚約指輪じゃないの……?」
レティーシャがリューゼの背後から言った。
「王都で有名な彫金細工師の作品よね、それ」
レティーシャは急に険しい表情になった。「ルーベンから貰ったのね?」
「一応、婚約になるのかな?」
リューゼは笑った。「側室として迎えられる予定だったんだけど」
「側室?」レティーシャは驚いたようだった。「あなた、それを受け入れたの?」
「迷っていたわよ」リューゼは笑みを浮かべたまま顔をそむけた。「でも、その悩みは終わったわ」
リューゼはそむけた顔をレティーシャに向けた。「でしょ?」
「……そうね」今度はレティーシャが顔をそむけた。
メルルはそっとその場から離れたが、目のはしでリューゼが指輪をポケットに仕舞うのを見ていた。
……自分の指には戻さないんだ……。
メルルは暗い気持ちで思った。指輪を見つけたとき、レトが「これはファルナーさんにもルーベン氏の死を望む気持ちがある、という手がかりかも」と言っていたのだ。
あのとき、「そんなことってあるのですか?」と聞いたのだが、「このダンジョンに踏み込んでから、ファルナーさんに指輪を捜そうという『そぶり』が見られなかったからね。その指輪に、言い換えればルーベン氏への想いに執着する気持ちがなくなった表われじゃないかな」と言われて何も言い返せなくなった。指輪を返す役割を申し出たのは、心のどこかでレトの見立てが外れることを期待したのかもしれない。結果的には、たとえ程度は少なくても、リューゼにもルーベンの死を望む感情があったかもしれない。メルルもそれを認めざるを得なくなった。
――つまり……。
『マドラス団』の誰にも、ルーベンの死を望む……殺したい理由がある。動機面から容疑者を絞り込むのは難しいようだ。
この事件の解明には、やはり……ルーベンを見つけなければならない。死骸者になったかもしれない人物を。
今回は神官職のロズウェルが同行してくれているが、彼の力を借りるわけにいかない。ロズウェルの『浄化』の力は、死骸者や屍霊を清浄な灰へと変えてしまう。捜査に必要な致命傷の痕跡が消えてしまうのだ。ロズウェルには申し訳ないが、彼には出番を控えてもらおう。
メルルがロズウェルの姿を探すと、ロズウェルは神官が手にする聖杖を握りしめて、6層へ降りる階段の底を見つめていた。ランタンの赤い明かりでもわかるぐらい蒼ざめて、額から汗がにじんでいる。
「神官様」
メルルはロズウェルに話しかけた。ロズウェルはびくっと身体を震わせると、怯えた表情をメルルに向けた。
「あ、ああ。あなたでしたか……」
声だけはほっとしたようだが、表情はぎこちないままだ。
「おかげんが悪いんじゃないですか?」
メルルが尋ねると、ロズウェルは苦笑いを浮かべた。
「か、身体に問題はございません。問題なのは、私の心です」
ロズウェルはふたたび階下に目を向けた。階段の下はランタンの明かりが届かず真っ暗だ。これから、この真っ暗な世界へ向かうのだと思えば、メルルの背にも戦慄が走る。
「危険だとわかる場所へ向かうときは、いつもこうなのです」
ロズウェルの声には自虐的な響きを感じた。
「足がすくむ。両手がブルブル震える。背筋がこわばる。のどの奥に何か詰め込まれた感覚になる……」
それは、もう老齢にかかった人物の口から漏れる、恐怖の思いだった。人生の終わりに近づいてもなお抱く、死のイメージに対する本能的な恐怖。人間は年齢を重ねてもなお、死の恐怖にここまで怯えるものなのか。メルルはそれを意外だと思った。メルルには老人とは、どこか死に対して達観的な見方をするようになるものだと思い込んでいたからだ。
「情けないとお思いでしょうね。私は臆病なのです。だから、私は神職についたにもかかわらず、もっとも神からは遠い……。いや、だからこそ、私は職を追われることになった……」
ロズウェルのあごの先から汗がひとしずく、床に落ちた。
「私は神職にあるまじき罪を犯しました。欲望に抗えず、禁忌を犯したのです。今でも格好だけ神職の姿ですが、私は神官ではないのです。ですから、メルルさん。私のことはロズウェルとお呼びください」
ロズウェルの笑顔は苦しそうなものだった。
「神官長様は、今の状況を自分に対する罰だとお考えなのですか?」
背後から声が聞こえ、ふたりが振り返ると、そこにレトが立っていた。
「自分は裁かれるべき存在だ。だから、自分には向かない神官職の冒険者を務めていると」
レトはロズウェルの隣に立つと、一緒に階下を見下ろした。ロズウェルはゆっくりとうなずく。
「たしかに、私に神官職の冒険者は向いていません。あの戦争でも、私は後方の安全な場所で震えているだけでした。教会にいたときは、私は自分の弱さに気づかず、傲慢だった。『勇者の団』に入ったときも、私は自分の実力が認められれば、教会への復帰など簡単に叶うなどと思いあがっていました。
ですが、いざ、戦場を前にすると、私は自分の弱さを、愚かさを思い知らされるだけでした。なんて私はちっぽけな存在なのだろう。私の力は戦場で輝くどころか、まぶしいばかりのあなた方の前にかすむだけでした。私は今でも自分のことが恥ずかしい。あなたを見ると、いたたまれなくなってきます」
「僕だって戦場ではただの小石でしたよ」
レトはつぶやいた。
「あそこで宝石のように輝いていたのは団長をはじめとして、死を恐れず戦い抜いた仲間たちでした」
ロズウェルはふたたびうなずいた。「たしかに、あの方は『別』でした。ですが、あの方はただまぶしいだけでなく……」
ロズウェルの口もとから笑みが消えた。「まぶしさから生まれる影もまた強いものでした……」
ロズウェルはレトの横顔に視線を向けた。「あなたもご存知なのでしょう?」
「どうでしょう。僕は団長とは、それほど親しくなかったので」
今度はレトが苦笑を浮かべた。
「これからフォーメーションを伝える」
デレクの大声が聞こえ、3人は振り返った。
「先頭はドットと『マドラス団』副隊長で左右を警戒しながら進む。
前衛支援に俺、オリヴァー。中衛に『マドラス団』の女2人と探偵。
中衛補佐に探偵助手見習い、神官さんに荷物持ち。
後衛に『マドラス団』の魔法使い、クラリス。このフォーメーションだ。文句は受付ねぇ。いいな?」
あいかわらず一方的だが、適性を考えればこのフォーメーションが一番妥当だ。文句はない。ただ、メルルは『言い方!』とだけ思った。
反対の声が出ないことにデレクは気を良くしたようだった。上機嫌の笑顔で、「よし、出発だ!」と大声をあげた。
一行はデレクの指示したフォーメーション通りに階段を降り始めた。
すると、いくらも進まないうちに「少し止まってください」とレトが声をあげた。
メルルが身体を傾けてレトの姿を探すと、レトは階段にしゃがみこんで、ある段をランタンで照らしている。そこには血の跡がついているようだった。
「勝手に列を止めるんじゃねぇ」
デレクは不機嫌そうな顔つきになって言ったが、レトが調べていることは気になるようだ。「何だ。何が見つかった?」と低い声で尋ねた。
「血の跡ですが、それ自体は大して問題じゃありません」
レトは立ち上がりながら答えた。「おそらく人間のものでなく、大トカゲの血だと思いますので」
「大トカゲの血だと? どうしてそうだとわかる? 大トカゲの血も赤いだろうが」
デレクは苦々しい表情だ。
「僕がそう考えたわけは……」
レトはなおも説明しようとランタンを持ち上げたが、そこでレトの動きが止まった。
どうしたのだろうとメルルが思っていると、階下から「お、おい、デレク」と、ドットの声が聞こえた。
「今度は何だ?」デレクは不機嫌な表情のまま振り返ったが、彼もまた、レトと同じように動きが止まった。自分の目に映ったものをただ凝視している。
レトがランタンを高く掲げたことで、階下の遠いところまで明かりが届いていた。
一番下の踊り場も薄明るく照らし出されて、そこにひとりの男が浮かびあがっていた。
その男は、高級そうな鋼鉄の胸当てを身に着け、ランタンの明かりを受けて光り輝いていた。
若々しい顔で、その口もとには笑みが浮かんでいる。
「ル、ルーベン……!」
アンリからうめき声に近い声が漏れた。




