33
壁に身体を打ちつけたとき、同時に後頭部もぶつけたようだ。
レトは頭をなでながら起き上がった。そして、自分がルーベンが寝かされていた石造りの台に寝かされていたのに気づいた。どうやら意識がもうろうとしていたらしい。自分がここまで運ばれていたことを認識していなかったのだ。
「レトさん、具合はどうですか?」
メルルがレトの頭に手を添えるようにして尋ねる。レトは首を振った。
「悪くない。君が手当てしてくれたんだね? ありがとう」
メルルも首を振る。
「今回はリュートさんです。こういうのはリュートさんのほうが得意だというので」
メルルは自分の後ろを振り返った。そこには杖を手にしたリュートが立っている。レトはリュートに向けて頭を下げた。「ありがとうございます」
リュートは手をひらひら振った。
「いいよ、礼なんて。頭部のダメージは油断できないからな。俺なんかで役に立てたのなら、それで良かった」
部屋にはレトとメルルのほかにリュートしかいなかった。ほかの者たちはあの階段の前にいるのだろうか。それとも……。
「ほかのひとたちは階段前で今後のことを話しています」
レトの考えに気づいたのか、メルルが言った。
「そうか。それなら今はいい。僕たちも合流しようか」
レトはそう言いながら寝台代わりの台から降りようと身体をずらした。
「いいって……。それだけですか、レトさん」
メルルは沈んだ声で言った。
「それだけって?」
「あのデレクってひとをそのままにするつもりなんですか?」
メルルの声は怒りで震えていた。
「あのひとはむちゃくちゃです。まともじゃないです。あのひとのおかげでまともなことが何もできないじゃないですか!」
「たしかに捜査には支障をきたしているね」
「今の言い方。何か軽いです」メルルはぶすっとして言った。「レトさんは平気なんですか?」
「何ごとにも負けていいというのはないよ」
レトは答えた。
「でも、死なない程度のことなら、こんなケンカじみたことに執着はしないさ」
「レトさんは大人なんですね」
そう言うメルルはふくれ面だ。一番の被害者であるレトがケロリとしてるので、あの場で怒っていた自分は何だったのだろうと思ったからだ。
レトはメルルのふくれ面を見ると苦笑した。
「すまないが、ここはこらえてくれ。僕には僕なりのけじめのつけ方がある」
そう言いながら、メルルの肩を優しく叩いた。
「あの、いいか?」
リュートが杖をぐりぐり握りながら話しかけてきた。視線はふたりに向けられず、どこかの壁を見ているようだ。
「何です?」
レトは両足を台からぶら下げた姿勢で聞き返した。台の上に座った格好だ。
「あんた、少し前に言ってたよな。俺たちには隠していることがあるって……」
リュートは視線をそらしたままだ。その様子がいかにも言いにくそうなことを話そうとしているように見えた。
「ええ」レトは小さくうなずいた。
「あんたたちに、ルーベンの死に際の言葉をしゃべったのは誰だ? アンリか? リューゼか?」
「どうしてふたりのどちらかだと聞くのですか?」
「俺はあんたたちにしゃべっていない。それに、レティーシャにそのことをぶつけて反応を見ようとしていたから、レティーシャでもない。残るはふたりだけだ。ま、まぁ、俺はアンリがしゃべったんじゃないかって思うんだがな」
「それを確かめてどうするんです?」
「ど、どうもしない。た、ただな、あんたたちにコッソリしゃべってる奴らのせいで、俺が不利になることだけは避けたいんだ」
「それで、自分がどの位置にあるか情報が欲しいと」
「お、俺は疑われているのか?」
「話せないですね、そんなことは」
「だ、だよな……」リュートは顔をそむけたままうなずいた。
「リュートさんは私たちに何か隠していることがあるんですよね?」
メルルはリュートの顔をまっすぐ見つめながら尋ねた。
「な、なぜ……?」
「それを言うまいかどうか悩んでるんじゃないですか? もし、今話さないと、のちのち、それが自分への疑惑につながるのを恐れて」
メルルに核心を突かれて、リュートは目をうろうろさせた。「い、いや、それは……」
「良かったら聞かせてください」
メルルは優しく語りかけた。「お互いのために」
「ま、まぁ、そちらが助かるってのなら……」
リュートは顔をそむけたまま頬をかいた。
「もし、だ。ここから無事出られたら、マドラス伯から俺の安全を保障してほしいんだ」
「安全?」
メルルは首をかしげた。
「お、俺は、別にマドラス伯と敵対するつもりもないし、これまでもしてこなかった。だ、だが、ルーベンが……、あいつが調べていた内容を親父さんが知っちまったら、俺の身が危ういんだ」
「ルーベン氏が何を調べていたんですか?」
レトが尋ねると、リュートはふたりに向き直った。
「俺の家系のこと。つまり、俺が、ラウル伯の縁戚にあたるってことをさ……」
********************
「ルーベン。レティーシャから聞いたんだけどさ。ベネディアン卿との結婚を許さないなんて言ったんだって?」
マドラス伯の談話室。バーカウンターでルーベンの隣で酒を酌み交わしながら、リュートは尋ねた。「レティーシャ、泣いていたぞ」
「彼女には悪いと思っている」
ルーベンは口ではそう言いながらグラスを軽く飲み干した。その横顔には、後悔も後ろめたさも感じられない。いたって平静の表情だ。
「本当かぁ?」リュートは疑わしげな声を出した。
「何だ。ずいぶん気にするじゃないか。しょせん、他人の結婚話じゃないか。君にとって重要なことか?」
「そ、そりゃあ他人事ではあるがよ……。い、いや、そうじゃない。仲間の話じゃないか。仲間を不幸にする話だ、これは」
「仲間、か……」
ルーベンは空になったグラスを片手でもてあそびながらつぶやいた。
「君にとって仲間って何だ?」
「俺か?」
リュートはグラスを傾けながら少し考えた。
「まぁ、俺にとって仲間って、一緒にいたい関係のものかな」
そう言いながらグラスをカウンターの上に置く。
「こうやって誰かと酒を飲んでいたいようにね」
「そんなものか」
ルーベンは含み笑いを浮かべた。それを見てリュートは顔をしかめる。「変かよ?」
「いいや。それが君の仲間という認識だとわかった。それだけさ」
「何か含んでいるような言い方だな。どうしたんだ?」
「いや、ね。僕にとって仲間とは、決して裏切らない関係だと思ってるんだ」
ルーベンはくるりと顔をリュートに向けた。さきほどまで浮かんでいた笑みが消え、真顔でリュートを見つめる。リュートは居心地が悪くなってきた。
「な、何だよ?」
「今朝、僕はあるところへ手紙を送った」
「手紙?」
「あるところへ、ある人物の調査を依頼したんだ。その人物の正しい出自を調べるように、ってね」
リュートの顔に緊張の色が走った。「誰かの出自?」
「リュート。君はたしかにカーライフの人間なんだよね?」
ルーベンの声を聞いて、リュートはますます緊張した。これまでに聞いたことのない、暗く、重苦しいものだったからだ。
「な、何言ってるんだ、まったく。俺はカーライフ家の人間だよ。生まれたときからずっとな」
「この間、変な話を聞いた」
ルーベンはリュートから顔をそむけると、ふたたびグラスを手にとり、もてあそびながら眺めだした。
「名のある男爵家、カーライフ家の分家のひとつが断絶していたと。しかし、その家名を金で買った者がいると」
それを聞いてリュートの身体が慄いた。ルーベンは知っている――!
「その人物は、ハイネン・ラウル。我が宿敵、ラウル伯の縁者にあたる人物だ。その人物はカーライフの家名を買って、自らをハイネン・カーライフと名乗るようになった」
――やめてくれ。それ以上、何も言わないでくれ。リュートはわきの下にじっとりとしたものを感じながら願った。しかし、その願いは天に届かなかった。
「たしか、君の父上のお名前はハイネンだったじゃないか? 以前そう聞いた覚えがある。今回、僕が聞いたうわさ話の人物と偶然、同じ名前だ」
「き、聞き間違いじゃないか? そ、それに、俺たちの故郷じゃ、ハイネンなんて名前は珍しくない。き、君だってルーベンじゃないか。この界隈でルーベンなんて名前、けっこうあるじゃないか」
「たしかにそうだね。ハイネンも、ルーベンも、珍しくない名前だ」ルーベンはうなずいた。
「だから、きちんと確かめることにしたのさ。しかるべき機関に正式に依頼してね。金でカーライフの家名を買ったハイネン・ラウルが何者で、その人物に息子がいるかどうか。そして、息子がいるのなら、その息子の名前は何か、ってね」
ルーベンはふたたびリュートに顔を向けた。
「たしかに聞き間違いだってある。だから、ちゃんと調べることにしたんだ」
「そ、そうか……」今度はリュートが顔をそむけた。
「こういう調査には多少時間がかかるそうだが、それでも大してかからない。今度の『ツヴァイ迷宮』探索から戻ったら、その報告書は届いているんじゃないかな。その報告書の内容次第だけど……」
リュートは空になったグラスをリュートの眼前に突きつけた。
「君とは長い話し合いをしなけりゃならないかもな」
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「おそらく今ごろは、ルーベンの元にその報告書が届いているはずなんだ。ただ、本人が見ることができないだけで。でも、親父さんが息子あての書類に目を通すことがあったら……。ルーベンが疑っていたことが親父さんにも知られてしまう」
「リュートさんは本当にラウル家の方なんですか?」
メルルは尋ねた。
「『元』だよ、『元』ラウル家! 一族とか、同族とか、そういうのが一枚岩なんてことは決してない。一族の長が誰かだとか、領地の狭い広いとか、一族同士の揉めごとなんていくらでもあるもんさ。親父がラウル家から離反したのなんて、ずいぶん前の話だが、その事情もまぁ、さっき話したようなものさ。
それに家名を金で買ったなんて話は嘘だ。家名を金で買えるわけがない。ただ、跡継ぎがいなくて断絶寸前だったカーライフ家に養子で入って、カーライフ家を継いだのは事実だ。そのとき、親父が資金面も支援したので、世間には家名を金で買ったように見えたんだろうよ」
リュートの説明を聞けば、つじつまは合っているように思えるし、事実なのだろう。しかし、それをリュートが気にしているのが引っかかる。
「リュートさん。マドラス家って、そんなにラウル家と仲が悪いんですか? リュートさんの出自が問題になるぐらい」
メルルは理解できなくて尋ねた。
「まぁ、お嬢ちゃんには想像つかないわな。実際、マドラス家とラウル家の抗争は、壮絶なものだったらしいぜ。絶え間ない戦争、繰り返された暗殺。自国の領主同士の争いを見かねた当時の国王陛下が、両家に私兵を持つことを禁じるようになった。軍事力を失ったことで、表向きには争いごとがなくなった。しかし、血塗られた歴史ってのは簡単に収まるものじゃない。今度はことあるごとに裁判が行われるようになったんだ。それも収まったのは本当に最近のことさ。穏健で知られるベネディアン卿がラウル伯を継いでからだ。ベネディアン卿は争いごとを嫌い、領地の問題を穏便にすませたいと願っていた。ベネディアン卿とは俺たちが学生時分に考古学の学会で会っていたからね。その人格は知っていた。ルーベンもベネディアン卿とは争いたくないって考えていたから、両家の和解は近いだろうって俺は思っていたんだ。
それなのに……」
「廃嫡をちらつかされたルーベン氏が心変わりした、というところですか」
レトが代わるように言った。リュートはそれを聞いて深くうなずく。
「俺もそうだと思う。ルーベンがマドラス伯と言い争ってるのを聞いたのはそれから間もなくのことだ。あのいさかいを聞いて、俺のなかでは話がつながったと思ったよ。同時に、俺の立場の危うさもね。思いもかけないが、勝手にマドラス家対ラウル家の構図に組み込まれてしまったんだ。だが、俺自身は誰も裏切っちゃいない。マドラス家に敵対することも、ルーベンを裏切るようなことも何もしちゃいないんだ。そもそも、現在、ラウル家とは何のつながりもないんだ。信じてほしい。俺は本当に無関係なんだ」
信じてあげたい気持ちはあるが、この迷宮のなか、証言の裏をとることができない今の状況では、簡単に信じてあげるわけにいかない。
メルルは反応に困ってレトの顔を見つめた。
レトの態度はすましたものだった。「今の話、覚えておきましょう」
それだけだった。
ただ、それだけで安心できたらしい。リュートは大きく息を吐いた。このときまでずっと緊張していたらしい。
「ありがとう。話を聞いてもらえてほっとしている。じゃあ、身の安全を守ってもらえる件、しっかり頼んだよ」
リュートを先に行かせて、部屋にはふたりだけが残った。
「さっきの話、レトさんは信じてるんですか?」
「裏がとれる話についてはね。つまり、彼の父親がカーライフ家を継いだ事情については、だ」
「そのほかは信じていない?」
「さっきの話からすると、彼はルーベン氏にそのことを打ち明けていない。だから、ルーベン氏は調査の依頼を引っ込めていないんだ。本当のことを打ち明けなかった理由に、彼に背信の気持ちがなかったかどうか、さっきの話だけではわからない」
「ですよね」
「ケガを直してもらった相手を疑いたくないけど、こればかりは仕方がない。僕たちは、捜査に関しては私情を捨てなければいけないんだ」
レトがそんなことを言ったので、メルルは少しびっくりした。レトのことを恩知らずとは思わないが、そういったことに私情を挟まない人物だと思っていたからだ。自分が考えていたより、レトは理性で情を抑えてきたのかもしれない。
「……何か、人間関係って嫌なこと多いですよね。いろんな思惑が入り混じってて、それも他人を傷つけるようなのがけっこうあって……」
メルルは悲しい気持ちになりながら言葉を吐き出した。今回は、どうも人間の負の面ばかりを見せつけられている気がする。心が殺伐としてくるのだ。
「『マドラス団』でルーベン氏を殺害する動機があるのか不明なのはファルナーさんだけだが、こんな様子だと彼女にも何か事情があるかもしれない。こうなるともう、動機の有無で容疑者を絞るわけにはいかなくなってきた」
「リューゼさんにもルーベンさんを殺したいと思う理由があるかもと?」
「以前ならどうかわからないが、ここ最近のルーベン氏の態度には、仲間に対する不信感から悪意ある行動が目立っている。おかげでルーベン氏の仲間たちは彼を疎んじ、あるいは憎んでいるかもしれない。彼らの証言を聞くかぎり、ファルナーさんだけ扱いが例外だったとは考えにくいからね」
そうかもしれない。メルルは暗い表情で思った。『そうかもしれない』と考える自分に、何か嫌な気分になったのだ。
「まぁ、ここでこんなことをいくら話しても仕方がない。僕たちも6層の入り口へ戻るとしよう。そろそろ6層へ行く段取りもついてるんじゃないかな」
レトは台からすとんと降り立った。同時に、床に小さなものが落ちる、コツンという音が聞こえた。
「レトさん、何か落ちました」
メルルは床に小さく光る物を見つけた。
「ああ。台にあった聖布にあたった拍子に何か落ちたようだ」
レトは身をかがめると、その小さく光る物を取り上げた。
『それ』はランタンの明かりを受けて、金色に輝いた。メルルはよく見ようと顔を近づけてみる。
それは細かな意匠が見事な、小さな指輪だった。




