三話
小高い丘の上に、馬に跨る一人の男の姿があった。
艶やかな葦毛の馬は、少し馬に詳しいものが見れば、一目で良馬と分かるだろう。そして、このような良い馬に乗れるのはどのような人物なのかと考える。
視線を上げ、馬の背に主の姿を見て納得する。
ああ、聖騎士様であったのか。
その騎士の来訪は村にちょっとした騒ぎを起こした。
村の規模は決して小さくはない。むしろこのような辺境では珍しいほどの住人がいる。
それは近くの森で良質の薬草や毛皮が手に入るからだった。
その森は不思議な森だった。
昔は普通の森であった。
鳥がさえずり、夜になれば遠吠えが聞こえる。
近くで灰銀狼の鳴き声が聞こえれば、家畜が襲われないかとひやひやしたものだ。
それが気づけば、動物たちの鳴き声が聞こえなくなっていた。
しかしそれで何が困ったわけでもない。
猟師は足跡や糞を頼りに罠を仕掛けるし、薬草は変わらず取れる。
しかも鳴き声が聞こえなくなってから灰銀狼の被害がなくなったのだ。
何ら被害もなかったものだから、誰も領主にこの異変を届けようなどと思いもつかない。
村は昔と変わらず平穏な日々を送っていた。
そんな普通の静かな村に、聖騎士が現れた。
知らせは瞬く間に村中に広がり、騎士を一目見ようと大勢の村人が詰めかけた。
「すごいわ! 本物の聖騎士様よ! 街の祭りに行ったときに見て以来だわ!」
「やっぱり素敵な方ばかりなのね」
「聖騎士様が手を振ってくださったわよ」
特に若い女の騒ぎようは凄まじかった。
耳を塞がねばならないほどだ。
「お一人だな? 乙女はおられんのか」
反対に男たちは肩を落とした。
聖騎士が現れたと聞いて、清らかな乙女の姿が拝めるに違いないと多くの者が思ったのだ。
「何はともあれ、村長に連絡せにゃ」
気の利く男が駆け出す。
「わ、私、村長の家までご案内するわ!」
「ずるい! 私も!」
「私だって」
女たちは押し合いへし合いの騒ぎになる。
結局収拾がつかなくなり、村の世話役の男が騎士の案内役になった。
「騒がしくて申し訳ありやせん。辺鄙なところにある村なんで、聖騎士様なんてめったにお目にかかれないもんで」
村人たちは聖騎士の行く手を空けながらもずっと後をついてくる。
聖騎士は皆見目がいい。しかしその中でもこの騎士は群を抜いていた。
この辺りではまず見かけない金の髪に、初めて見る紫の目。
黒を基調とした騎士服は、まるでこの騎士のためにデザインされたのではないかと考えてしまうほど似合っている
微笑んだだけで、村の娘たちから耳をつんざくような悲鳴混じりの声があがる。
「いえ、お気になさらず。むしろ歓迎されて嬉しいですよ」
しかも、人柄もいいときた。
村人から見たら殿上人のお偉い騎士様なのだ。その地位を鼻にかけそうなもんだが、世話役相手にも腰が低い。
人柄も重視されるってのは本当だったんだなあ、と世話役は感心した。
※※※※※
(本気で辺鄙な場所にあるな)
村の世話役だという男に案内されながら、イーライは村を見渡した。
辺鄙な場所なわりには若い女が多い。
村を出て行く者がいないのだろう。豊かな村なのだとわかる。
マインツ男爵領の神殿では、中央の神殿長から聞いた話以上の収穫はなかった。
月の乙女が、小鳥に誘われ小川に遊びに行き、森の異変に気づいたらしい。
小鳥は森を住処にはしておらず、何も知らない。
乙女は怖くなってすぐに神殿に帰った。
イーライは月の乙女の様子を思い出す。
「恐ろしい思いをされたのですね」
と慰めると、頰を染めていた。
背後に立つ騎士の射殺さんばかりの視線もまた心地よい。
さりとて醜聞を起こしたいわけではないので、さっさと神殿をあとにした。
馬車が一台通るのがやっとのでこぼこの悪路を進み、ついたのがつい先ほど。
休息のない旅に疲れを感じていたが、それも女性たちの歓待の声で吹き飛んだ。
とはいえ空は茜色に染まっている。
(馳走を振舞われるだろうから、食べて休むか)
思った通り村長に盛大なもてなしを受け、汁の滴る肉を食べ、村を訪れた理由を話した。
「異変は、十数年前からあったんですね」
おいおい、気づいてたんなら届けろよ。と思ったが、仕方がないかと諦める。
よっぽどの困りごとでもなければ、領主にわざわざ話をしたりはしないのだろう。
この村はやはり豊かだ。目の前に並ぶ料理からもわかる。
「他に何かお気づきのことは?」
「へえ、灰銀狼がでなくなりました」
灰銀狼はユクシにしか生息しない大型の狼だ。
イーライは見たことがなかったが、その名の通り銀色の美しい毛並みを持つと聞いたことがある。
「それは、森が静かになったのと時期を同じくしてですか?」
「そうです。遠吠えが聞こえなくなったと思ったら、家畜の被害がぱったりと」
イーライは頷いた。
(単に群が移動した可能性もあるか)
頭の片隅にとどめおく。
「他には?」
「いや、あとはこれとって。騎士様は明日森に入られるんで?」
「ええ、そのつもりです。ご面倒をおかけしますが森に詳しい方に案内をお願いしたいのですが」
森にしろ、美味いものにしろ、美人のいる店にしろ、地元の人間が一番知っている。
「お安い御用です。猟師に案内させましょう。明日の朝までに手配しておきますんで、今日はこちらにお泊りください」
そう言うと村長は深々と頭を下げて部屋を出ていく。
長々と居座りそうなら、どう言って追い払おうかと思ったが杞憂だった。
イーライは明日に備え早めに休むことにした。




