十三話
「アンネリーエ!」
伯爵の手から剣が離れる。イーライはすかさずそれを拾い上げ護衛に渡した。
「そこの執事を縛っておいていただけますか。逃げられては困るでしょう」
いくら主人の命がないと動けないからといって、仕事しなさすぎだろ……。そう毒づきたいのを我慢して忠告する。
伯爵は大粒の涙を零していた。鼻水も垂れている。見兼ねた村長がそっと布を差し出す。
「お父様……。私、知っていたのです」
布で顔をぬぐっていた伯爵はアンネリーエの言葉に顔を上げた。
「知っていた? どういうことだ」
「こちらで私の果実酒だけ温めていただいたでしょう? ライモンドが受け取りにいって……。丁度、私が席を立った時でした。彼が廊下でグラスに何かを入れたのを見たのです」
執事の男――ライモンドは目を見開いてアンネリーエを見つめていた。
「殺鼠剤が入っているのを知っていて飲んだと言うのか……」
信じられないと首を振る伯爵にアンネリーエは横になったまま頷く。
「なぜだ。なぜそんなことを!?」
「愛していたからです。ライモンドを」
「ライモンド! 貴様、身分もわきまえずに……!」
アンネリーエの告白を聞いた伯爵の新たな怒りがライモンドに向けられる。
ライモンドは身じろぎもせず、後ろ手に縛られて格好でアンネリーエを食い入る様に見つめていた。
「お父様! どうか、話を最後まで聞いてください」
大きな声を出したのがいけなかったのだろう。アンネリーエがむせる。
伯爵は娘を抱き起こすとその背をさすった。
「わかった。聞こう。だから無理をするな」
アンネリーエは胸元に手をやり、息を整えながら話し始めた。
「私はライモンドがずっと好きでした。駄目だと自分に言い聞かせても、気づけばずっと姿を追ってしまっていた。それで、ある時気づいたんです。彼も同じ気持ちだと。でもそれだけです。何もありません」
アンネリーエの瞳から透明な涙が一筋流れる。
「身分の違いはわかっています。彼に嫁ぐのは無理だと。でも、せめて他の誰にも嫁ぎたくなかった。今日お父様にお願いして、この村に連れて来ていただいたのはイーライ様にお断りするためです」
アンネリーエの真実の涙に苦しい心の内を思い感じ入っていたイーライは真顔になった。
(なんだ、その俺が振られるみたいな流れ)
「ですが、ライモンドが私を殺したいほど愛してくれていると知って、私はそれに従いたかったのです。ライモンドはきっとすぐに来てくれる。来世で幸せになる夢を見てしまいました」
涙が次から次へと溢れては流れた。アンネリーエの気持ちは本物だろう。苦労知らずな令嬢ゆえの夢見がちなものではあるが……しかし――
イーライはちらりとライモンドを見た。
言い訳するあたり、この男に後を追う気持ちがあったのか疑問だ。
ライモンドは最早アンネリーエを見ていなかった。力なく項垂れている。
心中する気であったなら、共に毒を呷ればよかったのだ。アンネリーエがイーライに靡くのではないかという、つまらない独占欲がライモンドを凶行に駆り立てた。イーライはそう感じたが、わざわざそれを口にするほど親切ではない。
(それよりも……)
ミアのこの不自然なまでの能動的な行動が気にかかる。
(殺鼠剤をわざわざ両方のポケットに入れるやつがどこにいる)
殺鼠剤が見つかったとき、ライモンドは心底驚いている様に見えた。
サフィルーアの宝石が出て来た時と同じ絡繰なのではないか。無感動な目でアンネリーエとカッセル伯爵を眺めているミアを見下ろす。その視線に気づいたのかミアが顔を上げた。
「無事解決してよかったですね」
(俺に疑われていると気づいているだろうに……)
飄々と言われてはイーライは笑顔でこう返すしかなかった。
「ええ、ミアさんのおかげです。素晴らしい活躍でした」
ミアは「そうですね」とうなずいた。
「すまなかった。娘を救ってくれたこと感謝する」
翌朝、アンネリーエを乗せた馬車の前で伯爵が村長に告げる。
村長は言葉に詰まり、しかしすぐに目尻に皺をつくった。
「お嬢さまがご無事でようございました」
アンネリーエは体を起こせるようになったが、これからしばらくは療養生活に入るらしい。
馬車の窓から、ぺこりと頭を下げる姿が見える。
ライモンドは縛られ馬に乗せられていた。
この先彼らがどうなるかは分からない。ここから先は伯爵家の問題だ。
伯爵を乗せて走り出した馬車を見て、イーライはアンネリーエが選択を誤らないことを願った。
朝、起きてみればミアの姿はもうなかった。夜明けと共に村長の家を出て森に戻ったらしい。
森の調査を簡単だと軽く見ていたわけではない。しかし思う様に進んでいないのは事実だ。
(ヴィーシに戻るのはいつになることやら)
赤や黄色の秋の気配を漂わせ始めた森を遠くに眺め、イーライは故郷を懐かしんだ。
カッセル伯爵の宝石 終




