十二話
ぱちぱちと暖炉の火の爆ぜる音がする。
アンネリーエはトマスの家から、村長の家に移された。
部屋には伯爵、村長、執事、イーライとミア、そして村で一番薬草の扱いに長けた老婆が集まっていた。
時折、老婆がアンネリーエの様子を注意深く観察し伯爵に容態を告げる以外、水を打ったような静けさを保っていた。
息苦しい空気の中、アンネリーエの頰にうっすらと赤みがさし始めたのを見て、老婆が安堵の吐息とともに告げる。
「もう大丈夫じゃ」
伯爵はその言葉を噛みしめるように目を瞑る。
「処置が早かったのが功を奏したのう」
素早く対処できたのは、殺鼠剤がこの村を含めた付近一帯で広く使われているもので、過去に子供が誤飲したことがあったらしく、村人が殺鼠剤の対処法を知っていたためだった。
最初に吐瀉したのがミアの前であったことも大きかっただろう。吐瀉物には独特の色と匂いがつくという。彼女がすぐに気づいてトマスの家に運ばなければ、伯爵は娘を馬車に乗せて医師に見せに走ったかもしれない。そうなれば手遅れであってもおかしくはなかった。
「娘を助けるため、その方らが尽力したことは感謝する」
地の底を這うような低い声が伯爵から聞こえた。
伯爵は硬く瞑っていた目を開ける。その顔は、先ほどまではとは一転、怒りに満ちていた。
「だが、娘に殺鼠剤を摂取せしめた者にはそれ相応の償いをしてもらうつもりだ。イーライ殿を待つ間、この村で出された食べ物に携わった者を全て集めてもらおう。村長。よいな?」
恐れていた展開になった。
イーライはミアを隠すように一歩前に進み出た。
「伯爵、お気持ちはわかりますが、せめてアンネリーエ様がお目覚めになるまで待たれてはいかがですか」
アンネリーエが自ら行った行為の結果でない保証はない。
「イーライ殿。娘は貴方に会うのを心待ちしておった。親の私が言うのもなんですが、奥ゆかしい娘でしてな。まだ貴方と直接言葉を交わしていなかった。しかし今日は貴方に会って直接話したいと、そう申しておったのですぞ」
確かに、アンネリーエは伯爵の三歩後ろに隠れるように付き従っていた。顔を合わせれば、ちらちらとイーライに視線を送ってよこしはしたが、話しかけてはこなかった。
「そうだ。きっと娘の美貌に嫉妬し、イーライ殿に横恋慕したこの村の娘がやったに違いない!」
(おいおい……)
殺人未遂の動機の元にされ、イーライは内心でツッコミを入れる。
女性に秋波を送られるのは嫌いではない。イーライを巡って争う女性を見るのも嫌いではない。だが殺人はまっぴらごめんだ。
ひょこりとイーライの後ろからミアが顔をだす。
「村長。アンネリーエ様に出した飲食物に関わった人たちを、理由を伏せて全員この場に呼んではどうですか。その間に家捜しをしましょう。あの殺鼠剤は日にちがたてば苦味が出て効果も落ちます。料理や飲み物に混ぜたら味がおかしいとすぐわかったはず。出来立てじゃないと食べさせるのは無理です。だからきっと作った痕跡が残っているはずです。ついでに身体検査もしましょう。隠し持っていた殺鼠剤をどこかの時点で混入させたのなら服についているかもしれませんから」
(……余計なことを)
人目がなければイーライはミアを睨みつけていただろう。
聖騎士であるイーライの第一の職務は乙女の保護である。今回の目的は森の視察ではあるが聖騎士の存在理由は乙女を守ることだ。イーライが月の乙女であると睨んだミアに出しゃばってもらっては困るのだ。伯爵に目をつけられ、村人からは恨みを買いかねない。
(いや、待てよ)
イーライは考え直す。
(そうなれば、森に居づらくなって神殿の保護下に入る気になるか?)
「それはいい考えですね。時間が経てば証拠を隠されてしまうかもしれません。急ぎましょう」
ミアの提案に「いや……しかし……」と言葉を濁していた村長はイーライの後押しに諦めたように頷いた。
「分かりました。連れてまいります……」
村長が渋っていたわけがわかった。
カッセル伯爵とアンネリーエ、護衛と執事は村についてすぐ、村長の家に案内され、そこでイーライの帰りを待っていたらしい。帰りの遅いイーライを待ちかね、村の外れまで出向くことになったようだが、村長の家以外では飲み食いしていない。となれば当然のことだが、集められた者たちは村長の身内が多かった。
料理を運んだ村長にその細君。料理を作った長男の嫁と娘。あとは切らしていた果実酒を融通したという世話役とその娘。仕留めた鳥の肉を持ってきた猟師の男とその嫁、子供だ。
集められた人々は不安げに互いの顔を見回している。
「身体検査をさせていただきます」
男性は伯爵の護衛とイーライが。女性はミアが受け持ち、殺鼠剤を隠し持てるだろう箇所を探るが、収穫はない。
それから、それらの人々を護衛が見張り、村人など信じられんというカッセル伯爵とイーライ。それから殺鼠剤の作り方を知っているミアで各々の家屋を調べることになった。
結果はすぐに出た。イーライは提案者のミアに思わず嫌味交じりに声をかけた。
「……よく作られるものなんですね」
村長、世話役、猟師。それぞれの家で新しい殺鼠剤が見つかったのだ。
隠すでもなく、材料は保管され、出来たものは食料庫などに仕掛けられている。
ミアはけろりと言う。
「この時期は特にです」
今は実りの季節である。鼠との戦いの最盛期だった。
皆を集めた部屋に戻り殺鼠剤について尋ねると「作りました」とこれまた素直に認める。ただし、もちろん誰もアンネリーエに盛ったりしていないと顔を青くして弁明する。
「振り出しですね」
集められた者たちの態度になんらおかしなところもない。皆、緊張しているのか顔は強張っているが、不審な挙動を見せる者はいなかった。
「ここにいる村人全員が容疑者ではないか」
伯爵は渋面だ。
「村人全員? 他にもいるじゃないですか。アンネリーエ様に殺鼠剤を盛れたものが」
ミアの言葉に伯爵が鋭い視線を向ける。
「まずアンネリーエ様ご自身です。厠にでもいったときに殺鼠剤を見かけて口にされたかもしれません」
「お前……アンネリーエがその辺に落ちている殺鼠剤を口にするとでも思うのか!!」
カッセル伯爵の怒号に、緊張を強いられている猟師の子供達が泣き出した。
「それはアンネリーエ様がお目覚めになられてから聞けばいいと思います」
イーライはミアを無理やりこの場から放り出したくなった。
「あとはカッセル伯爵様。護衛の方、それからそこの執事の方」
「わた、私が……アンネリーエに毒を盛る、だと……」
伯爵の顔は怒りのためか赤を通り越して最早どす黒い。ミアの暴言ともとれる話の内容に思うように言葉も紡げないようだ。射殺さんばかりの視線でミアを睨み、浅い呼吸を繰り返している。
「誰もカッセル伯爵だとは言ってません。でも、機会があった以上するべきですよね。みなさんの身体検査」
言ってミアはカッセル伯爵と護衛、執事を見回し、ひたりと執事に視線を止めた。
「まずは貴方から」
瞬間、びくりと小さく執事の体が震える。
(まさか……)
イーライはさっと扉の前に立った。逃げ道を塞ぐためである。
「わ、私がアンネリーエ様を害するなどありえません!」
男の声は微かに震えている。
年の頃は二十半ば。真面目そうではあるが、いつも静かに伯爵の背後に佇んでいる影の薄い男だった。
男の拒絶をものともせず、ミアはずいと身を乗り出す。
「さあ、まずは上着のポケットから」
そう言って、執事の右ポケットに手を突っ込んだ。
「……あれ。いきなり大当たりですね」
ごそごそと中を弄り、取り出したミアの指先には小さな茶色い欠片があった。鼻先にもってくると臭いをかぐ。そしてにぃと笑った。
「殺鼠剤の欠片です」
「馬鹿な!!」
男の顔に驚愕が浮かぶ。
「お前……まさか。お前が!」
伯爵は憤怒が入り混じった表情で男を睨みつけた。男は必死に首を横に振る。
「違います! 本当です。信じてください! き、きっと、この女が今仕込んだんだ!」
「じゃあ、他も見てみましょうか。片方のポケットに詰め込みすぎて変な膨らみが出来たら困りますもんね。反対側にも入れたかも。そこの護衛の方。お願いできますか」
護衛が伯爵の確認を取るように顔を見た。伯爵が頷くと、執事の前に立ち、左側のポケットの中身を改める。
「ありました」
そう、告げる護衛の顔は驚きに染まっていた。
「そんな! そんなはずはない!」
執事の男はなぜか護衛以上に驚いているようにイーライには見えた。
「な、なぜ、こんなところから……どうして……」
ぶつぶつと呟く男。
伯爵が護衛の腰から剣を抜き放つ。
「貴様、殺してやる」
(しまった)
イーライは焦る。
でっぷりと肥えた伯爵に後れをとるイーライではないが、いかんせん位置が悪い。男の逃亡を防ぐため扉の前に移動したのが裏目にでてしまったのだ。
護衛達には主人である伯爵の行為を止める気がない。
「やめて。お父様」
緊張が走る中、伯爵を止めたのは。か細い声だった。