【第16話】帝国軍駐屯地(前編)
旅の終わりが近付くその時、私は願った。もう少しだけティアヴェラと一緒にいたい、と。その願いは叶った。叶ってしまった。
帝国西部方面軍エデンシア駐屯地。そこは西部方面軍にとっての最前線基地とも言うべき場所だ。その執務室にて、西部方面軍最高司令官ゼーベック総督は険しい顔で部下からの報告を受けていた。
「そうか……ティアヴェラ王女はなおもこちらに向かっていると……」
「はっ! 推定される到着時刻は本日中か、遅くとも明日と思われます」
総督の懐刀でもあるペルチェ軍師が告げた。その報告を耳に入れたゼーベックは腕を組んで考え込む。
「盗賊どもの襲撃を受けてなお歩みを止めぬとはな。まさか罠の可能性に気付かぬはずがあるまいが……」
「勇気か無謀か、いずれにせよ驚嘆に値するものではあります」
「うむ。我々にとっては誠に不都合なことにな」
彼らは帝都から二つの密命を受けていた。一方はともかくとして、肝心なのはもう一方。すなわち、アンダルシア側に戦端を開かせたうえでこれを制圧せよとの命令の方だった。
不可解な命令。それがゼーベックの最初の印象だった。一年の休戦を命じておきながら、半年で再び開戦の命令だ。しかも敵方に戦端を開かせろとの条件まで付いている。帝都に何らかのきな臭い動きを感じずにはいられない。
「しかしよろしいのですか? 本国司令部からの命令とは言え、陛下の御意思には背くことにもなりかねませんよ?」
「……あくまで我々の直接の上官は司令部の面々だ。そうではないかね?」
「違いありませんな」
総督の問いに首肯するペルチェ軍師。その返答に満足したゼーベック総督は配下の将兵を招集し、命令を下した。彼の命令を受け、部下達は足早に持ち場へと向かっていく。再び二人だけになった執務室で、総督はこれまでの数年に舐めさせられた苦汁を思い返していた。
「思い返せば短いようで長い五年間であった……」
ゼーベックは青年時代から秀才と讃えられる軍人だった。そんな彼が帝国西部方面軍の総司令官に任ぜられ、西方諸国の併合を命じられたが五年前。大陸歴九七一年のことになる。
周囲の期待に応えるかのように、初めの二ヶ月で西方三ヶ国を滅亡させたところまでは順調だった。が、快進撃はそこまでだった。名将グレイヴェルを擁するフェンローザ王国の想定を超えた奮戦を前にして、なかなか攻め落とすことができないでいた。
最終的にはグレイヴェル麾下の部隊を主力部隊で足止めしている隙に、別動隊に迂回路を作らせて王都を陥落させることには成功した。が、三年という時間を浪費した上に肝心のグレイヴェルを取り逃がしてしまったのは大きな痛手だった。
「帝都の連中の蔑むような視線……それに苦悩する日々も今日限りだ」
一応は勝利こそしたものの、帝都の高官達の中にはゼーベックの才覚を疑問視する者が現れ始めていた。その汚名を返上すべく彼は残る最後の一国、アンダルシア攻略に総力を挙げた。そうして多大な犠牲を払いつつもサン・リエジュ攻略に成功し、王都攻略に後一歩というところまで来た。が、そこにあの突然の休戦命令だ。
結局のところ、彼は四年の歳月と十二万の兵力をもってしても西方の小国群を落とせぬ凡将の烙印を捺されたのであった。だがその苦悩の日々ももうすぐ終わる。
「連中が何を考えておるのか……気がかりではあるが今はそんなことは重要ではない」
今の彼の望みはたった一つ。自らが負った汚名を返上することだけであった。帝都――恐らくは帝室と司令部――が一枚岩でないのは懸念事項だが、ゼーベックにとってはそのお陰で汚名返上の機会が与えられたとも言える。政争に明け暮れる帝都の貴族や高官連中には忌々しさを感じることも多々あったが、今だけは感謝したい心境であった。
◇
「ふむ、次の丘を越えれば帝国のエデンシア駐屯地が見える頃合いだな」
丘陵地帯の森を進むティアヴェラ一行。先頭を行く騎士団長オルディアスがそう呟いた。
「いよいよですわね」
緊張した様子の筆頭騎士セリーヌ。それはこの場の誰もが同じ心境であった。エレネアは全員の顔を見回し、口を開く。
「最後にもう一度確認しておくわよ。もし帝国が約束を違えた場合、手筈通りに直ちに王都に帰還する。それで良いわね?」
無言で頷くティアヴェラ。それは昨夜、エレネアとセリーヌで熟慮を重ねた末、ティアヴェラに提案した方針だった。全員が頷くのを確認して彼女は続ける
「そして『何らかの理由』でそれも叶わない場合、第三国――ウェストリア公国、もしくは自由都市クアロ――に避難する。クアロはともかく、中立国のウェストリアが受け入れてくれるかは怪しいところだけれど……」
何らかの理由とは要するに最悪のケース――王都への帰還が困難か既に陥落した場合のことだ。その場合は中立国を標榜する西のウェストリア公国か、東の砂漠地帯に位置する自由都市クアロを目指す手筈になっていた。中立を謳う国が争いの火種になりかねない亡国の王女を受け入れるとは考えにくい為、エレネアや他の面々は反対したのだが。
「あなたなら公爵家に伝手があるのよね、セリーヌ?」
「えぇ、お任せあれ! 私の頼みでしたら公爵殿も絶対に断らないはずですわ!」
彼女はドンと自身の胸を叩き、自信たっぷりにそう断言する。エレネアとしては半信半疑だったが、根拠無く言っているようには見えなかった。それに「もっと私を頼りなさい」と言われた手前、断りにくい側面もあった。恐らくは公爵家かその家臣の家の出身だろう、とエレネアは予想する。
やがて丘の頂上に差し掛かり、視界が開けると、彼方に石造りの城壁が姿を現した。城門の両脇には帝国の国章である「剣を抱いた不死鳥」の旗が翻る。
エレネアは懐から望遠鏡を取り出し、駐屯地の方へと向ける。搭載された光の魔石を起動すると屈折率が変わり、望遠鏡に映る像が瞬時に拡大された。城門前や城壁上の歩哨の兵士の姿までもがはっきりと見て取れる。
「あら? 魔石の望遠鏡なんて良いものをお持ちですのね」
「まぁ偵察は戦いの基本だからね。セリーヌ、あなたも見る?」
「自分のを持ってるから平気ですわ」
そう言ってセリーヌも自身の望遠鏡を取り出し、駐屯地とその兵士達を観察する。
「あたしにも見せて~!」
敵陣を観察するエレネアのすぐ傍で、ルネがぴょんぴょん飛び跳ねながら言う。大人の真似をしたがるあたりはまるっきり子供だ。
「どうぞ、ルネ先輩。ただし高かったんですから丁寧に扱ってくださいね!」
「わーい!」
エレネアが望遠鏡を手渡してやると、彼女は大喜びで「偵察」を始める。時折魔石の出力を切り替えては像が拡大縮小されるのを楽しんでいる。偵察というよりは完全に観光気分だった。
遊ぶなら返してください。そう言って望遠鏡を取り返そうとして、エレネアはその手を止めた。明るく元気でマイペースなルネの振る舞いに緊張を解され、和みを覚えている自分に気付いた為だった。
「魔石の魔力にも限りがありますから程々にしてくださいね、先輩」
結局彼女は軽く注意するだけに留め、ルネの自由にさせるのであった。無論、乱雑な扱いをされないように目を光らせてはいるが。
「平気だよ! だってお姫様がいるもん! ねっ?」
「うん! 魔力が尽きたら充填するから、ルネちゃんもエレネアも心配しないでね!」
元気良く答えるルネと、そんな彼女に笑顔で同調するティアヴェラ。
(こんな時間がずっと続けば良かったのにね……)
エレネアは今のこの瞬間を噛み締めるように味わっていた。この旅も、そんな時間ももうすぐ終わりを迎える。そのことに彼女は言いようの無い寂しさを覚えていた。




