第一章 人形姫と赤毛の雪男
薄曇りの朝、古びた屋敷の奥にひっそりと佇む書斎で、ゾルターナは重厚な木製の机から一通の手紙を取り出した。
封蝋は、双頭の鷲が、広げた翼で星を抱き、胸元には十の月を象った円環――パンノニア王家のものであった。
王宮で要職を歴任した後、前国王アーバンレストの反感を買ってガルガロ諸島に左遷させられたゾルターナにとって、この書状は中央政府に返り咲くための希望の切符であった。
ゾルターナの実力をもってすれば、王室の覚えさえ良ければ再び高級官僚まで――あるいは宰相まで――上り詰めるなどわけない事であった。
しかし、既にゾルターナは世俗的な出世欲を持ち合わせておらず、手紙に記された要請、即ち宮廷魔術師へのオファーをどのように扱おうか悩んでいた。
ゾルターナは年の半分を雪と氷に閉ざされたガルガロ諸島での魔術の研究と弟子の育成に没頭する日々を存外気に入っていたのだ。
雪解けの季節が訪れたガルガロ諸島は、決して華やかな場所ではなかった。
しかし、その孤立した静寂と荒涼とした自然は、ゾルターナにとって何よりも心地よかった。
島々を覆う針葉樹の間を歩けば、冷たい潮風が頬を撫で、遠くで波が打ち寄せる音が聞こえる。そのすべてが、宮廷の喧騒を忘れさせてくれる。
書斎の窓から見える景色には、彼女が愛着を抱いている場所の数々が映っていた。日暮れ時に黄金色に輝く崖、古びた灯台のふもとでそっと咲く花々、そして島の北端にある隠れた洞窟――そこは濃い魔素が漂い、ゾルターナの研究を深めるにふさわしい場所だった。
「中央に戻るべきか……否か」ゾルターナは独りごち、葉巻を指先で転がしながら、ガルガロでの生活を思い返した。弟子たちと過ごした数々の日々――魔術の基礎を教え込みながら、彼らの成長を見守る喜び。
最初の弟子は皮肉屋のラウノであった。「あの子がここに来た頃は、ほんの子どもだったけれど、今では私の代役を担えるほどに成長したものだよ」
ゾルターナはいつだってラウノに対して時間を割くことを怠らなかった。天才肌のゾルターナが、優秀だが非才に過ぎないラウノを指導するのは容易いことではなかった。
呼吸の仕方を教えてくれと言われると説明できないように、感覚的にできることを説明するのは存外難しいことなのだ。
それでもゾルターナは根気強く、ラウノとまっすぐに向き合った。
一度教えたことが覚えられないことが理解できなかったゾルターナも、反復が記憶に良いと分かるや否や、特製の問題集を作って毎日ラウノに解かせるのだった。
ラウノは実に多くを学んだ。魔術はもちろん、語学、乗馬に兵法に歴史、あげくテーブルマナーに至るまで。
結果、貴族の子息と遜色のない程度に教養のある大男に育った。――少々、口と食い意地が汚いが、それも愛嬌みたいなものだ。
リベラルアーツと魔術を一通り覚えたところで、ゾルターナは領主としての仕事の一部をラウノに任せることにした。
領民との謁見、予算策定に公共事業の計画立案、決算に徴税……ゾルターナはラウノの実力を正確に見積もり、限界にならない程度に無茶振りをして負担をかけ続けた。
こうして領主代行という大層な肩書を与える程度にラウノは成長した。ゾルターナも若くはなかったため、いずれ後進に道を譲ろうと考えていたが、この辺境の領主をラウノに託すべきか悩んでいたところだった。
ラウノには、より大きな経験を積ませるべきではないか、と。
ゾルターナの目が机上の手紙に戻る。要職への復帰、宮廷魔術師としての栄誉――かつてであれば、何の躊躇もなく飛びついていたであろうその提案は、今では彼女にとって義務以上の意味を持たなかった。むしろ、ガルガロの静寂の中で過ごす日々にこそ、真の自由と充実を感じていた。
窓の外を眺める彼女の視線は、遠くの灯台へと向けられる。その穏やかな灯は、ゾルターナにとって希望でもあり、覚悟を促す象徴でもあった。彼女は机の上の書簡をたたみ、ふかした葉巻の煙が淡く部屋の空気に溶け込むのを見つめながら、静かに決意を固めた。
「宮廷での新たな役割を担うのは、私ではない。それが誰にふさわしいかは、言うまでもないね」
ゾルターナは羽ペンを手に取り、新たな手紙を書き始める。机の脇に積まれたガルガロでの魔術研究の成果――それは彼女にとって、手放したくない新たな生の証であった。
手紙をしたためた後、彼女はラウノとの思い出に浸り、少しだけ微笑んだ。
蝋を垂らし、彼女を象徴する書物と三日月を模した印璽で封筒を閉じると、真鍮の呼び鈴を手に取り、少し乱暴に振って静寂な朝を叩き割る。
隣の部屋で物音がしたかと思うと、わずかの間の後、扉が叩かれる。「お呼びでしょうか、ゾルターナ様」
「ああ、ラウノ君。入ってくれ」そう招き入れると、大男が執務室にぬらりと入ってきた――赤毛の雪男こと、ラウノ・マキである。彼は恭しく右足を引き、右手を体に添え、左手を横方向へ水平に差し出した。
「おはようございます、ゾルターナ様。今度は何です?どんな無理難題を押し付けるおつもりですか?」
「おはよう、ラウノ。相変わらず大きいね。そのうち天井を突き破るんじゃないかとヒヤヒヤしているよ」
「ええ、次の目標はロディナの総督府の天井です。ああ、それくらい大きくなったら、足下には近寄らないでくださいね。踏みつぶしちゃいますから」ゾルターナの冗談に冷淡に返すラウノ。
「冗談じゃないか、そんなに怒らないおくれ」そう言いながら、ゾルターナはラウノが怒っていないことを知っていた。彼の銅色の瞳は、怒りの炎を灯していなかったのだ。
「怒ってませんよ」ラウノは少し遠くを見て言った。「巨人だと呼ばれて泣いていた頃とは違うんです」
ゾルターナは葉巻をもう一度吹かしてから、じっと目を細めてラウノを見た。ラウノはこの土地に先住していたイニスと大きく異なっていた。
イニスたちは、成人でも一・一メートルから一・三メートル程度の小柄で、耳がやや尖っており、茶髪か黒髪が多い。
一方、ラウノは巨体で、耳もあまり尖っているようには見えないし、赤毛は特に目立った。
「そうだな……小さいときはよく虐められて泣いて帰ってきたんだがね」
「止めてください。昔の話です」ラウノは眉を下げる。「今じゃ遠巻きに気味悪がられる程度です」
ラウノの言う通り、今は虐められこそはしていないが、彼は地元住民と円満な関係とは言い難い状況にあった。ゾルターナが彼に領主という立場を任せるか悩んでいた理由の、二つ目である。
ゾルターナは葉巻を灰皿に押し付け、立ち上がるとラウノに向き直った。その銅色の瞳は、彼女の言葉を待つように静かに揺れている。彼女は少し歩み寄り、ラウノの肩に手を置いた。
「ラウノ、彼らが君を怖がる理由は、君が彼らと違うからだ。それは君のせいではないし、彼らのせいでもない。ただ、違いというものは時に人々を不安にさせるものだよ」ゾルターナの声は穏やかだったが、その言葉には重みがあった。
ラウノは視線を床に落とし、低い声で答えた。「それは分かっています。でも、どうしても彼らと距離を感じてしまうんです。私がどれだけ努力しても、彼らの輪の中に入ることはできない」
ゾルターナは微笑み、彼の肩を軽く叩いた。「それでも君は、この土地で多くのことを成し遂げてきた。君が彼らの輪に入る必要はない。君が君自身であること、それが何よりも重要なのだよ」
ラウノは少し顔を上げ、彼女の言葉を受け止めるように頷いた。その巨体がわずかに緊張を解き、彼の表情には一瞬の安堵が浮かんだ。
「さて、ラウノ。君に新しい任務を与えたい」ゾルターナは机に戻り、封蝋を施した手紙を手に取った。「この手紙をロディナにいる人形姫に届けてほしい」
手紙を受け取ったラウノは怪訝そうに眉をしかめて聞き返す。「人形姫……?」
「おや、話したことなかったかな?パンノニアの人形姫――カタリナ第三王女だよ」
カタリナ第三王女。このパンノニア王国の主の、やんごとなき末娘である。
「なんだってそんな可愛らしいあだ名が……?」
「そりゃあ、実際可愛いからに決まっているじゃないか」何を当たり前なことを、と言わんばかりにゾルターナは呆れてみせる。
ラウノはやや不愉快そうに眉間にシワを寄せながら問う。「いや、それは良いとして、その王女様は何をしにこんな辺境へ?左遷ですか?」
「私は、その辺境に左遷された身なんだがね。よくも本人を前にそんな軽口が叩けるものだよ」
「左遷された身分にしては、随分と悠々自適なようですが……」ラウノの視線が散らばる書類の山に向かう。領地経営をラウノに任せられることが増えたのをいいことに、魔術研究に没頭していたゾルターナは、ややバツが悪いとばかりに紫煙を吹かしてから続ける。
「まあ、左遷ではないよ。ダルマティア管区の新総督として赴任したのさ。区都ロディナに」
「ほう、そうでしたか。師匠が人形姫と文通という名の傷のなめ合いでもするのかと期待していましたが、残念です。同類ではないということですね」
「その減らず口、直したほうが良いよ、ラウノ君」ゾルターナは紫煙をゆっくりと吹き、目を細めながらラウノを見つめた。その煙は空中で淡く揺らぎ、書斎の静寂に溶け込んでいく。
「しかし、そんなに人形姫のことが気になるのかい?」
葉巻を灰皿の縁に軽く押し付けながら、ゾルターナは問いを投げた。彼女の動作は慣れたもので、一つひとつに無駄がない。書斎の奥で燃える暖炉が、赤黒く燻る灰の色を際立たせている。
ラウノは封蝋の施された書簡を指先で転がしながら、肩をすくめる。
「気になるというより、意外でしたね。第三王女ともなれば、宮廷の華やかな世界が似合いそうなものです。それがわざわざこの辺境へ赴任とは。よほどの理由があるのでしょう」
ゾルターナは微笑を浮かべた。それは嘲るものでもなく、何か遠い記憶を懐かしむような表情だった。
「宮廷に似合うかどうか……それは些細なことだよ、ラウノ。人は生まれながらにして、その役割を押し付けられるが、本質はそれに抗うものさ」
彼女は机の端に手を置き、指先で軽く木目をなぞる。年季の入った机には、数え切れぬ決断と策略が刻まれてきた。それと同じように、カタリナという名もまた、運命に刻み込まれようとしている。
ラウノは微かに笑い、わざとらしくため息をついた。
「つまり、王女様が何らかの抗いを試みている……そういうことですか?」
ゾルターナは言葉を返さず、代わりに窓の外へ目を向けた。朝の薄曇りはそのままに、遠くの海がさざめき、波頭がほのかに光る。
「抗うというより、賭けているのさ。自分に何ができるか、それを確かめようとしているのだろう」
彼女は葉巻を再び唇に運び、短く煙を吸い込んだ。それは、思索の一呼吸にも似た動作だった。
「……だからこそ、君にこの任務を任せる。彼女の言葉を受け止め、その重みを理解するには、お前が最適だ」
ラウノはしばし黙っていたが、やがて片手で書簡を握り、ゆっくりと頷いた。
「わかりました、ゾルターナ様。ならば、その賭けとやらの片棒を担ぐとしましょう」
ゾルターナの微笑は深くなり、紫煙の向こうで瞳がわずかに輝いた。
「期待しているよ、ラウノ」
ラウノは深く一礼し、書斎を後にした。その背中には、彼が背負う新たな使命の重みが感じられた。
外では、薄曇りの光がなおも屋敷を包んでいた。
運命の波は静かに揺れている。それが嵐となるのか、穏やかな潮流となるのかは、まだ誰にも分からない。
§
ラウノ・マキはガルガロ諸島に本店を置く商家マキ家に産まれた。マキ家はダルマティア管区を中心に、王都ペシュトーブダにも支店を持つそれなりに裕福な一家であったこともあり、ラウノは幼少よりお金に不自由することなく成長した。
だが、困ったことがなかった訳でもない。彼の生い立ち――即ち、父親が北方のカジャールであったこと、またその父親が何処かへ放蕩したこと、それを追って母親までもが島を出ていったこと――は、好奇心旺盛な島の住人たちにとって恰好の噂話となった。
生まれながらにして奇異の目を向けられたラウノは、成長するにつれ、周囲の子供たちにからかわれることも多くなった。幸いにして母親の弟――つまり、叔父一家が本当の家族として接していたこともあり、孤立することはなかったが、大人の目の届かないところで石を投げつけられるくらいは経験したものだった。
そんなラウノに魔法の才能があることを見抜いた魔女ゾルターナは、ラウノが十歳のとき、彼を養子にした。師弟関係を結ぶための措置であったが、イニス向けに作られた彼の実家が手狭になったことも考慮されていたはずだと、ラウノは当時からそう信じている。
いずれにせよ、彼は魔女ゾルターナの最初の弟子となり、多くの経験を積んだ。この頃になるとあからさまなイジメをする連中はいなくなっており、ラウノは少し肩透かしを食らった気分になった。
強い魔術を覚えて復讐でもしてやろうかと思っていたが、ラウノが領主の養子になると、周りの子どもたちは急におとなしくなってしまったのだ。
こうして復讐に注ぐつもりだった情熱を余したラウノは、代わりとばかりにゾルターナの指導を熱心に受けた。
正直なところ、彼女は教師として欠陥ばかり――最初の講義で古代魔術の深淵を語り始めた――であったが、彼女の不器用ながらまっすぐな気持ちはラウノにもよく感じられた。
間もなくしてゾルターナはラウノに無茶難題を押し付け、強引に成長を促す方法を覚えた。彼女の期待に応えたいという気持ちより、反抗心から課題をこなしていったラウノは、やがて領主の補佐を務めるまでに至った。
そして先日、ゾルターナはラウノに新たな課題を課した。新たに就任したダルマティア管区の総督に書状を届けるというものだ。
「ああ、ようやく着きましたか」とラウノは白い街並みが特徴的なロディナを遠目に眺める。
ダルマティア管区の区都ロディナは、中央に純白の城がそびえる港町であった。ラウノの祖父ナラネンは、自身の冒険譚にこの街を氷雪の天然要塞と記した。確かに、港の反対側は山に囲まれており、街道を除けば町の出入りは容易でなく、敵の侵入を拒む構造である。
港に到着したラウノが荷降ろしを終えるや否や、一人の騎士が軽快な足取りで近づいてきた。
「ガルガロ諸島の、ゾルターナ伯ですか?」
低めの快活な声に、ラウノが振り返ると、ブロンドのショートカットがよく似合う女性が視界に飛び込んできた。女性としては高い身長――赤毛の雪男と称されるラウノより拳二つ分小さいくらい――で、男性のような毅然とした立ち居振る舞いが堂々としていた。
だが、その顔に浮かぶ気取らない笑みと軽妙な雰囲気が、彼女の印象をただの「堅物騎士」にはしない。目にした者の息を一瞬で奪うほど端正でありながら、肩をやや落としたラフな姿勢は、彼女の柔らかな性格を示していた。
身に纏う浅葱色の軍服には、金の飾緒が豪奢に飾られており、それが近衛騎士の身分を象徴していた。生地の微かな光沢と計算された装飾は、実用性を損なうことなく威厳を際立たせており、まるで彼女自身がその地位に宿る崇高さそのものを体現しているかのようだ。
「残念ながら魔女ゾルターナではありませんが、彼女の使いとしてこのロディナに参りました。ラウノと申します」
「これはご丁寧に。僕はヴィクトーリア、第三王女カタリナ殿下の近衛騎士さ。こんな辺鄙な港町まで、長旅ご苦労さま」
彼女は軽い調子でそう言いながら、ウインクしてみせる。それが妙に馴れ馴れしく、ラウノは眉をひそめた。
「ここより辺鄙な田舎町から来たので、苦労はそう多くありませんでしたよ……今の今まで」
「あれ?なんだか僕が君に苦労させているように聞こえるな」はて、と顎に手をやるヴィクトーリア。
「そう聞こえたなら、あなたの耳はよく聞こえているようです」
「おっ、こいつはいいね。皮肉のセンスもあるとは、なかなか楽しませてくれる」
肩を揺らして快活に笑うヴィクトーリアを見て、ラウノの眉間により深い皺が刻まれた。
「それで、ご用件は?談笑しに来たわけでもないでしょう」ラウノがヴィクトーリアに続きを促す。
「あ、そうだった」ヴィクトーリアは軍服の襟を両手で張って整えてから、大げさに敬礼をする。
「パンノニア王国第三王女カタリナ・エレオノーラ・フラフィウス=バートリ殿下がお呼びです!直ちに総督府までご同行願います」
「……人形姫は随分とせっかちでいらっしゃるようですね」ラウノは苛立ちを隠さない。
「今まさにこのロディナに降り立ったところなんですが、荷物くらい宿に置かせてもらっても罰は当たらないのでは?」
ヴィクトーリアは肩をすくめて微笑んだ。その仕草はまるで遊びの延長のような軽やかさを持ちながらも、どこか計算されているように思えた。
「それじゃあ困るな。君が遅れれば、殿下が寂しがるだろう?」
ラウノはその言葉に鼻を鳴らした。「……それは、王女殿下が私を待ちわびていたという意味ですか?」
ヴィクトーリアは笑い、軽く指を立ててみせる。「ああ、そうとも。君の魅力に惹かれたのかもしれないな。もしくは、ゾルターナ伯を心待ちにしているのかもしれないが、代理の君でも歓迎くらいはしてくれるだろう。悪い気はしないだろ?」
ラウノは眉をひそめる。「悪い気しかしませんね」
ヴィクトーリアは軽く息をつき、「それは残念だね、ラウノ君」と言いながら、一歩踏み込んでラウノの背を軽く押した。「さあ、行こう。荷物はあとで僕が何とかしてやるよ」
「あなたに荷物を預ける気はさらさらないのですが」
「ひどいな。僕はこう見えて誠実な男だよ?」
「誠実かは議論の余地が一片あったとして、性別は違うのでは?」
ヴィクトーリアは片手を胸に当てながら大げさにため息をつく。「ああ、ゾルターナ伯の弟子は皆こうなのか……それとも、君だけが特別に冷たいのか?」
ラウノは軍服の装飾をちらと眺めながら、「奇遇ですね。私も近衛騎士が皆こうなのか、疑問に思っていたところです」と皮肉を込めて答えた。
ヴィクトーリアはにやりと笑い、親しげにラウノの肩を軽く叩いた。「うん、いいね。君とは退屈しないで済みそうだ」
ラウノは小さくため息をついた。「そりゃどうも。でも、できれば今すぐにでも退屈な時間に戻りたいんですがね」
「そう言わずに、僕に付き合ってくれよ」ヴィクトーリアは軽く腕を組み、少し顔を近づける。「なんなら、荷物を僕が持ってやってもいい。君がかわいらしい頼み方をしてくれれば、だけど」
ラウノは露骨に顔をしかめた。「かわいらしい、頼み方……?」
「そうさ。例えば、『ヴィクトーリア様、どうか僕の荷物をお運びください。あなたの優雅な手つきで、僕の粗末な荷物を抱えていただけるなら、それはもう光栄の極みでございます』……なんて感じでね」
ラウノは一瞬沈黙し、それから軽く息を吐いた。「なるほど。つまり、あなたは荷物を運ぶ気はさらさらないってことですね」
ヴィクトーリアは肩をすくめた。「まあ、それは君の態度次第なわけだけど。でも、少しは楽しませてくれるかと期待したんだけどな。君もなかなか冷たいね」
「それはどうも」ラウノは淡々と言いながら、荷物をしっかりと手に持ち直した。
「さて、それで結局のところ、私はこのまま総督府へ連行されるわけですか?」
ヴィクトーリアは微笑みを絶やさずに軽く顎を上げた。「連行なんて物騒な言葉はやめてくれよ。これはエスコート、しかも君への特別待遇だ。僕が自ら君を案内するんだ。なかなか光栄なことじゃないか?」
「光栄かどうかはさておき、あなたに振り回されているのは確かだ」
ヴィクトーリアはさも残念そうにため息をつき、「ああ、こんなに冷たい反応ばかりじゃ、僕の心が傷ついちゃうな」と言うと、急に歩き出した。「さあ、行こう。君が遅れれば、殿下も心配するだろう?」
「誰のせいで遅くなっているんでしょうね」ラウノはぼそりと呟いたが、結局ヴィクトーリアの背を追わざるを得なかった。
総督府へと続く石畳の道を歩きながら、ラウノはうっすらと灰色の空を見上げた。
ロディナの空はガルガロ諸島よりもわずかに淀んでいる気がするのは、家々から出る煤のせいか、あるいは彼の心が落ち着かないせいなのか。
「ところで、あなたはいつもこんな感じなんですか?」ラウノは横目でヴィクトーリアを見ながら聞いた。
「どんな感じ?」ヴィクトーリアは余裕たっぷりに答えた。
「話し方です。男みたいな振る舞いと、その妙に親しげな物言い」
ヴィクトーリアはくすりと笑い、「君がそう思うなら、たぶんそうなのさ」と答えた。「でも、君もなかなか男っぽい態度じゃないか?こう、つれなくて無骨で、まるで堅物騎士みたいだ」
ラウノは肩をすくめた。「その評価は別に気にしません……ただ、あなたが言うと妙に嫌味に聞こえますね」
「そんなつもりはないさ、坊や」ヴィクトーリアはからかうようにラウノを軽く押し、「君はなかなか面白い。もっと話したくなる」
「願わくば、もう少し静かに案内してもらいたいものです」
ヴィクトーリアは満足そうに笑い、「それは叶えてやれないな」と言って歩調を速めた。
こうして、二人は総督府へと歩を進めていった。
ラウノは、この不思議な近衛騎士とのやりとりがいつまで続くのか、心のどこかで苦笑しつつ、それでもどこか楽しんでいる自分に気づかないふりをしていた。
§
ロディナ城――今は総督府として用いられている白亜の城――は、ロディナの街の中央に鎮座し、その存在感を誇示していた。
遠目に眺めるだけでも圧倒されるほどの威容を備え、純白の外壁は光を受けてほのかに輝いている。石造りの大門は重厚でありながら繊細な装飾が施され、門上には旧王国時代から受け継がれてきた紋章が刻まれていた。
城壁に沿って配置された塔は均等に間隔を空けられ、まるで長き時を越えて街を守り続ける衛士のようだった。
ヴィクトーリアは歩調を変えずに門へと向かい、門の左右に直立した衛兵たちが敬礼する。その儀式めいた一連の動作には、来訪者の格を見極めるかのような警戒心が含まれていた。
「さあ、ラウノ。これがロディナ城、君が足を踏み入れることになる新しい世界さ」ヴィクトーリアはラウノの背を軽く押しながら言った。
ラウノは無言で門をくぐる。冷えた石畳の感触が足元に伝わり、城内の静寂と薄暗がりが一瞬彼を飲み込んだ。
広大な中庭には整然と配置された白い石柱が並び、その間には噴水が静かに水を湛えていた。
城の中心部へ向かうにつれ、光は徐々に広がり、天井の高い回廊が壮麗な姿を現す。
「かつてこの地域一帯を治めたダルマティア王国の誇りが詰まった場所だよ。見た目も美しいが、その中にある歴史はもっと面白い」ヴィクトーリアは軽く柱に指を滑らせながら話す。「君みたいな実務的な男にはあまり面白みがないかもしれないけどね」
「そうですね……正直なところ、この純白を維持するのにどれほど無駄な労力を割いているのか、あまり想像したくありませんね」ラウノは半ば皮肉交じりに言いながら、視線を彫刻の施された壁へ向けた。「見た目は綺麗ですが、肝心なのはこの中にいる人間でしょう」
「ほう、よく分かっているじゃないか」ヴィクトーリアは低く笑い、「君はここで誰と出会うかに興味があるんだろう?」と囁く。
ラウノは短く息を吐く。「……まあ、そうですね」
「じゃあ期待してくれよ。人形姫は君が思っている以上に面白い人物だから」ヴィクトーリアは軽くウインクすると、悠然と歩を進めた。ひときわ大きな両開きの扉が開かれ、その奥には、王女カタリナ――ヴィクトーリア愛しの主人が待っていた。
カタリナ・エレオノーラ・フラフィウス=バートリは、白亜の謁見の間に置かれた玉座に座していた。
彼女の銀髪は、月光をそのまま編み込んだかのように透き通る輝きを放ち、肩の下までなめらかな波を描きながら、整然とまとめられている。光が差し込むたびに、その髪は淡い光沢を帯び、まるで静謐な雪原のごとく清らかだった。
瞳は鈍い灰色。冷たい鋼のように無機質に思わせながらも、その奥には微かな揺らぎが見え隠れしていた。じっと見つめれば、そこには鋭敏な観察眼と計算がある。しかし、どこか遠くを見ているような淡いまなざしは、彼女の本心を容易には読ませない。
少女らしい頬には、かすかな桃色の温もりが残されている。それが彼女の年齢よりも幼く見える一因となっていた。しかし、彼女はその柔らかさを包み込むように、白い軍服を身に纏っていた。純白の生地は凛々しく、余計な飾り気のない裁断が彼女の姿勢を際立たせている。
高貴さよりも機能美を重視した服装は、王族としての華奢な身体を隠しつつ、その内に秘めた決意を示しているようだった。襟元の意匠は控えめながら洗練され、肩の装飾には軍の紋章が静かに輝いている。
彼女は真っ直ぐな背筋を保ち、片手を膝の上に整然と置いていた。その動作には躊躇がなく、指先のわずかな動きさえ計算され尽くされている。まるで、その手のひらに握られているものが何であろうとも、彼女の意思一つで決めることができるかのようだ。
純白の壁にに彼女の銀髪が溶け込み、凛とした軍服がその幼さを覆い隠す――ただの少女ではない。彼女はまさしく王国の重みを背負った『人形姫』そのものであった。
ヴィクトーリアは彼女を目にした瞬間、わずかに目を細めた――何度見ても眩しい存在であった。
ヴィクトーリアがラウノを先導し、カタリナの目前で直立させる。ラウノはどこか落ち着かない様子でカタリナをじっと見つめていた。
ヴィクトーリアの歩みは堂々としながらも軽快で、一切の迷いがなかった。
玉座の左後方で足を止めると、一息置いて背筋を伸ばし、敬礼をする。
いつもの軽快さは忘れて、近衛騎士としての威厳と忠誠が示す。
「クレンチャー・ヴィクトーリア!ただいま戻りました!」予想外に真剣な声色が出たせいか、やや声が上ずりながらカタリナに帰還を報告する。カタリナの「ご苦労様」という合図でヴィクトーリアは敬礼を解くと、決められた手順に従って議長席の横を通り過ぎ、カタリナの左後方に直立した。
「こちらの方は?」カタリナはラウノに視線を移す。
「はっ!ガルガロ諸島より参上したゾルターナ伯の代理人、ラウノ・マキです」ヴィクトーリアがラウノに目配せし、挨拶を促す。
ラウノの片手は胸元へと滑り、空気を撫でるように敬意を添える。
身を折り、足を引き、沈黙の中に礼の舞を描く。
ラウノの目は静寂の中で軍服の少女をとらえ、わずかに笑みを浮かべる。赤毛の雪男は、意外にも緊張しているように見えた。
「はじめまして、王女殿下」彼は簡潔に挨拶をすると、僅かに口角を上げる。「船から降りたその足で、殿下にお会いできるとは夢にも思いませんでした」
皮肉めいたその言葉に、ヴィクトーリアはほのかな笑みを隠せなかったが、ふと彼女の女主人の表情が一切揺らがないことを認めると、咳払いをしてしかめ面を貼り付けた。
彼女は静かにラウノを見つめ、その灰色の瞳に探るような光を宿した。
「遠路お疲れ様です。ラウノ殿」
ラウノは彼女の言葉に肩をすくめた。「ええ、確かに疲れましたね。船旅は快適とは言えませんでしたし、ここに到着するなりこの方に連れ回されましたので」彼は視線をヴィクトーリアへ流し、淡々とした口調で続ける。
「僕は君に最高のおもてなしをしたつもりだったんだけどな」ヴィクトーリアは余裕たっぷりに肩を揺らした。
「中央では、やかましいお喋りをおもてなしと表現するとは存じませんでした」
「二人とも、いい加減にしなさい」カタリナは二人の応報に終止符を打つ。
「ラウノ殿。ゾルターナ伯がここにいないということは、要請は断るということですか?」カタリナの灰色の瞳が、わずかに動揺の色を帯びる。
彼女の表情は崩れないものの、微かに瞬きを増やし、思考の動きが速くなっていることが分かる。
「私はゾルターナ様の回答を存じ上げません、殿下」ラウノの回りくどい表現にカタリナは表情を強張らせる。「それはどういう意味ですか?」
ラウノは指先からどこからもなく封蝋の施された書簡を取り出し、ヴィクトーリアへ向けて軽く投げ出した。書簡は放物線を描くことはなく、ゆっくりとヴィクトーリアの手元まで飛んできた。
「この書状を殿下へ」
「おお、いいね。まるで魔術師みたいだ」
「信じられないかもしれませんが、実は本物の魔術師なんですよ」
ヴィクトーリアがカタリナに書簡を手渡すと、カタリナはゆっくりと指先で封蝋をなぞりながら、まるでその重みを確かめるかのように佇んだ。その静寂の中で、彼女は目を閉じ、一度深く息を吸う。
「……では、内容を確認させてもらいます」
広間には再び静けさが訪れ、次なる対話の扉が開かれようとしていた。ラウノはじっとカタリナを見つめながら、その言葉の続きを待った。
「なるほど……つまり、ゾルターナ殿はダルマティア区議会の議長という中立的な立場から、宮廷魔術師は辞退されたと」
書状を読み終わったカタリナはそう呟くと、悔しそうに下唇を噛んだ。「私の補佐は、弟子のラウノ殿で十分、と」
やや棘のあるカタリナの言葉が静かに広間に落ちる。彼女の灰色の瞳は封書の内容を確かめた後もわずかに揺れ、微かな困惑を孕んでいた。
ラウノは挑発的な発言を気にする様子もなく、ふっと息を吐く。「十分、ですか。ゾルターナ様は随分と私を高く評価してくださったようですね」
カタリナは封書を閉じ、彼を見つめる。おそらく自己の発言に後悔しながらも、実利を得ようと画策しているのだろう――ややあってから、カタリナが口を開く。「ゾルターナ伯の判断を疑うわけではありませんが、私は彼女が来るものとばかり思っていました。あなたのことは、まだよく存じ上げていません」
ラウノは肩をすくめ、淡々と返す。「ええ、それは当然でしょう。私も宮廷魔術師の座に就くことなど考えたことはありませんでしたので」
「では、なぜあなたがここに?」カタリナの声は落ち着いているが、その奥には疑念が隠れている。
ラウノは軽く顎を指で掻きながら、「師匠の無茶振りです。いつものことなので、驚きはありませんが」と答えた。
ヴィクトーリアは、興味深そうに腕を組む。「こんな大事なことも突然振られるんだ。君はよほど信頼されているようだね」
ラウノは皮肉げに微笑み、「与えられた無茶な課題の数が信頼の指標とするなら、ゾルターナ様の私への信頼は絶対的なものでしょう」と言ってから、視線をカタリナへ戻した。「ですが、王女殿下。私がここに来たのは、この書状をお渡しするためです。そして、宮廷魔術師としての役目については――殿下の意思にお任せしましょう」
カタリナは再び書状を手のひらで撫でながら、ゆっくりと頷いた。「では、あなたの実力を確かめる機会を設けるべきですね」
ラウノはその言葉に目を細める。「ええ、それは結構。ですが、それは殿下も同じこと――私も、殿下が仕えるに値するか、ゆっくりと判断させていただきます」
カタリナは視線を逸らさず、少し口元を引き締めた。「お互いに及第点が取れることを願いましょう」
「おや、自信がありませんか?私は満点をめざしていますよ」
広間の空気が一瞬張り詰め、カタリナはふと微笑む。「ええ、お手柔らかにお願いします」
早速ですが、とカタリナは言葉を続ける。
「実は、先週赤曜日にロディナへ到着予定だった特使が、行方不明になっています。彼は国王陛下の勅書を携え、私に手渡す予定でした」
勅書――即ち、国王陛下の勅命を記した文書であり、それを紛失するなど、大失態である。ラウノは眉をひそめ、カタリナをじっと見つめる。その冷静さの奥には、わずかな警戒心が見え隠れしていた。「それは実に重大な問題ですね。しかし、殿下、その特使が消えた理由や状況について、詳細をお聞かせいただけますか?」
カタリナは一瞬沈黙し、灰色の瞳でラウノを見つめ返した。彼女の声には、覚悟と不安が入り混じった響きがあった。「特使は王都からロディナまで汽車で移動後、ロディナの駅庁舎に入ったところまでは警察の調査で分かっていますが、その後、ロディナ市内で消息を絶ちました。同行した兵士たちも含め、まるで霧の中に消えたかのようです」
ラウノは腕を組み、深く考え込んだ。「つまり、これは偶発的な事故ではなく、何らかの意図的な妨害があった、と」
「その可能性は否定できません」とカタリナは静かに言葉を継いだ。「そして事態はより深刻で……捜索をしていた警官隊の一部も行方がしれません。何か良くないことが起きているのは疑いようがありません。しかし、それでも、勅書を取り戻すことは私の責務です」
「特使が最後に目撃されたのは、十六時ごろ――駅庁舎から出て、政庁に向かう馬車に乗り込んだところまでです」ヴィクトーリアは地図を片手にラウノの側に寄る。駅庁舎から政庁までの短い道のりを示すと、ラウノは不思議そうな顔をした。
「大通りを通ってまっすぐ政庁までたどり着けますね」ラウノが冷静に地図を見ながらつぶやく。
「そうだね。こんな場所で誰かに襲撃されようものなら、すぐに目撃される。ラウノ君ならもう気づいていると思うけど」ヴィクトーリアがラウノにウインクを飛ばすが、ラウノは無視して続ける。
「なるほど……。となると、まずその失踪現場に向かい、調査をするのが賢明でしょう。ただし、殿下、これは安全な任務ではないかもしれません。特使が消えたというだけでも尋常ではないですからね」
「そのとおりです」カタリナの声には覚悟の色が浮かんでいた。「私自身も共に参ります。任せきりにするわけにはいきません」
カタリナの思わぬ発言にギョッとしたヴィクトーリアが自分自身でも似合わないと思っている厳格な口調で口を挟む。「殿下、王族としてのご身分に鑑みれば、あまり危険な場所に身を晒すことは避けるべきです」カタリナは淡々と首を横に振ると、静かに応じる。
「私が直接この問題を解決する姿勢を示さなければ、周囲の信頼を失うでしょう。それに、これ以上犠牲を出すわけにはいきません」
ヴィクトーリアは一瞬考え込み、それから深いため息をついた。「わかりました。ただし、私とラウノ殿が護衛します。それを条件としてください」
「ありがとう、ヴィクトーリア」
しかたないな、とヴィクトーリアは説明を続ける。
「特使は失踪する前まで、一時間毎の定期連絡を欠かしてなかったから、行動はある程度把握できてるよ」
そう言いながら、ヴィクトーリアはメモを取り出して読み上げる。
「王都ペシュトーブダを七時三十二分に出発した列車に乗り込んだ特使は、十一時四十三分に王国東部の主要都市ティミシュラへ到着。ここでロディナ行き列車に乗り換え、十一時五十四分にはティミシュラを出発」ヴィクトーリアは息を大きく吸い込み、説明を続ける。
「十二時五分に食堂車両で昼食を取ったことを配膳係が証言しているみたい。その後、十三時、十四時と特に異常なし。十五時三九分にロディナに到着予定だったんだけど、十五時の定期連絡時に機器トラブルによりレナート郊外で停車したと、特使から報告があったよ。運行記録から、十四時五十二分に列車をレナート郊外の引き込み線へ移動させ、機器点検を行っていたことが確認できている」
「機器に問題があったの?」カタリナはふと疑問を投げつける。
「それが……異常を示すランプが点灯したにもかかわらず、異常が見つけられなかったらしいんです。異常がないことを確認するために時間を要し、再出発したのは十五時二十八分になったそうです」
「随分長いですね……」ラウノは不思議がる。
「そうだね。結局ランプの異常と結論づけたらしいけど……。十六時に運転再開を知らせる定期連絡の後、十七時の定期連絡がなかったことから、特使は十六時から十七時の間に失踪したみたい」
「なるほど……」とラウノがつぶやいたまま、右手で口元を覆い、何やら考え込んでいるようだった。カタリナが問う。「一体、何を気にしているんでしょうか?」
「いえ、なぜ列車が止まったのか、少し不思議でして……もしかして、この列車が止まったことで何か特使の予定が変わっていますか?」
「君は細かいところまで偏執的に気にするね……確か、特使はそのままカタリナ殿下と面会する予定だったはずだ。だが、予定が遅れたので、別日に再設定されたと思う」
ヴィクトーリアが呆れながら答えると、ラウノは大げさにおどけて見せた。
「さすがヴィクトーリア殿。大層な大局観をお持ちのようで、恐れ入ります」
「おっ、それは皮肉だね?僕も少しは分かるんだよ」
「そんなことより、警察の調査報告書を見れますか?」
「つれないなぁ……失踪直後に警察から提出された報告書と、事件前後に周辺で目撃された不審な人物の記録が警察署に保管されているよ。明日、案内をしよう」
「では、明日。殿下のご命令に従いましょう」ラウノは深々と頭を下げた。
「命令ではなく、協力をお願いしているのです」カタリナは静かに言い返す。
ラウノは口元に皮肉な笑みを浮かべたが、その目は真剣だった。
こうして、人形姫と赤毛の雪男の奇妙な同盟が始まった。




