プロローグ 異世界から現実へ
朝、目が覚めると見慣れた天井が視界に広がった。ボンやりと天井を眺めていると徐々に意識が覚醒してくる。
枕元に置いてある携帯端末を確認すると朝7時を少し過ぎたところだった。
不意に頭に着いているモノに気付き手を伸ばす。
『ああ、またやっちまった。完全に寝落ちしてんじゃん。』
中途半端に頭から外れていたVRゲーム機を手に取り溜め息が漏れる。
『それにしても、今までで最高の盛り上がりだったな。』
長いゲーマー人生で初めてとも言える程の達成感に沸き上がる興奮をなんとか抑えながら昨夜の出来事を思い出す。
『やっとだ。完全クリア。長年の俺たちの目標がついに達成されたんだ。』
喜びと充実感で胸の奥が熱い。
『長かった。ゲーム開始からほぼ7年か…』
全世界で絶大な人気を誇っている実体験型フルダイブMMORPG、
その名も、
『エンパシスウィザメント』
ヘッドギアを頭部に接続することで実際に意識をサーバー内のフィールドにあるアバターに転送するシステム。
広大な世界マップと数億種を越えるモンスターの生息する世界が舞台となる。
プレイヤー自身が自分のアバターを様々な方法で自在に強化、成長させることができ、武装はもちろんのこと魔法や超能力と言ったファンタジーやSFのような能力を扱えたり、科学や化学といった実在する武器を作ること、更には、それら全てを合成することだってできる。
まあ、それにはそれぞれに必要な素材を集めたり、モンスターを倒してのドロップアイテムが必要だったりするんだが。
村や街、領土、果ては国に至る迄あらゆることをプレイヤーたちが自由にルール化することができる。
そう、全てが自由なのだ。
全世界のプレイヤー数も六千万人以上。
高難易度のモンスターを討伐するために各々の仲間たちでギルドを立ち上げたり、自由にゲーム内の生活を楽しんだりでき、ゲーム内の自由度により、現実世界で手に入りにくいモノでもゲームの中でなら簡単に手に入れることができたりと普段ゲームをやらない人々も何らかの理由でプレイヤーとしてのアバターを持っていたりする。
このゲームは、様々な層のユーザーに人気と需要を提供していた。
俺は、このゲームを愛しリリースした日から欠かさずログイン。古参プレイヤーとして名を上げ数人の仲間と共に日々戦いに明け暮れた。
『それにしても…強かったな…』
他プレイヤーたちの間で語り継がれていたラスボス。
リリースから4年という月日が経ち遂に全貌が明らかになった存在。
ラスボス専用隠しダンジョン攻略からラスボスへの部屋まで辿り着くまでに更に1年。
だが、ラスボス撃破に数千人規模のプレイヤー中最強のトップギルドですら半年以上の時間と対策をしたとしても攻略出来なかった。
『まさか、ラスボスを倒したら裏ボスが現れるとは…』
しかし、俺は仲間たちと共に誰にも倒すことの出来なかったラスボスを倒したのだ。
撃破したことで歓喜に震えエンドロールを期待したのだが現れたのは更なる隠しダンジョンの入り口が記されたマップと説明文。
まさかの展開に驚きながらも仲間たちと準備を整え隠しダンジョンへ。
通常ダンジョンやラスボスへの隠しダンジョンが可愛く思える程の高難易度の裏ボスへの裏ダンジョン。
数多くのアホみたいな罠やバカ強すぎるモンスターを掻い潜り地下数100階、最深部へと到着したのは隠しダンジョンの発見から1年が経過していた。
その間も他のプレイヤーは再び何もなかったように出現したラスボス攻略に注力していたようだった。
その後、何度かラスボスは倒されたようだが裏ボスへの情報が他のプレイヤーの間で語られることは無かったらしい。
恐らくは、最初に倒した人物が所属するチーム又はギルドのメンバーに与えられる特典ボーナスだったのだろう。
最深部のダンジョンを抜け最後にそびえ立つ巨大な扉を開けた先、最奥にいたのは一人の少女だった。
裏ボスの登場である。
見た目の可愛さ、可憐さとは裏腹に圧倒的力で俺や俺の仲間たちを終始圧倒していたが苦心の末に討ち果たすことに成功。
遂にエンパシスウィザメントの完全攻略の時が訪れたのである。
『ソナタたちならば、アヤツの企みを阻止できるやもしれんな。』
最後に裏ボスの少女が残した台詞は何だったのか俺にはわからなかった。
こうして俺と仲間たちの計23人で構成された少数ギルド【クロノ・フィリア】は史上初となる偉業を成し遂げたのである。
これが昨夜の話だ。
『きゃーーーーーーーーーーーーーーー。』
物思いに浸っていた時、隣の部屋。俺の妹のいる部屋から悲鳴が響いた。
『何だ!?』
俺は慌てて妹の部屋に駆け込んだ。
『灯月!どうした!何があ…っ…た?』
勢い良く開けた扉の先、視界へ飛び込んだのはプレイしていたゲーム、エンパシスウィザメントのアバターと同じ左右非対称な純白と漆黒の2対の翼を生やし、メイド服に身を包んだ妹の姿だった。
その小さな身体には不釣り合いな大きな胸元には俺たちのギルドであるクロノ・フィリアのメンバーの証であるNo.10を表すΧの文字が刻まれていた。
『にぃ様ぁ…これ…何?』
天蔵 灯月【アマクラ ヒヅキ】。
涙目でこちらを見てくる義妹メイド。正直、めっちゃ可愛い。って、そんな場合じゃない。
『にぃ様!?その格好!』
『え?』
俺を見た灯月の驚きで見開いた瞳。何を言われているか一瞬わからなかったが、部屋に置いてある姿見で確認すると
『うぉ!?何だこれ!?』
そこにはゲームでのアバターの特徴を残した俺の姿が映っていた。
正確には、種族的は人族という設定なので見た目は普通の人間と変わらないのだがゲーム内で使用していたアバターと同じく女の姿に…随分とスタイルの良い美人さんの姿が目に飛び込んできた。
そして、ゲームアバターが持つクロノ・フィリアメンバーの証である右目に刻印されたNo.24の文字が表すΧΧⅣと左右非対称の色を持つ瞳が目立っていた。
『何がどうなってるんだ!?』
『わかりません。にぃ様…いえ、ねぇ様?これはいったい何なのでしょうか?』
『わからねぇ。昨日まで普通だったのに…』
とその時、
『きゃーーーーーーーーーーーーー』
またも悲鳴が響く。
今度は隣の家。窓越しに向かい合うように並ぶ幼馴染みの部屋からだった。
『智鳴!?』
『智鳴ねぇ様!?』
窓越しのベランダを飛び越え智鳴の部屋へ。
『ち…な…り?』
『閃ちゃん。灯月ちゃん。私、狐さんになっちゃったよぉー。』
力無く姿見の前で座る幼馴染み。
琴撫 智鳴【コトナデ チナリ】の姿も俺や灯月と同じくゲームのアバターの特徴が現れていた。
詳しく言うと頭に狐の耳とお尻に狐の尻尾が生えた姿で。そして、案の定パジャマ姿から覗く可愛らしいお腹に刻まれたNo.7を表すⅦの文字。
この日、裏ボスを倒しクリアした筈のゲーム…エンパシスウィザメントで使用していた自作アバターの身体的特徴が生身のプレイヤー自身に反映されるという現象が世界中で多発した。
だが、それは、始まりにすぎなかった。
反映されたのは外見の特徴だけでは無かったのだ。
ゲームキャラクターの持っていた身体能力、更には、特殊能力、所有アイテム、武装、ゲームに関するキャラクター情報のあらゆることが反映されてしまっていた。
エンパシスウィザメントの全世界にいる約六千万以上の全プレイヤーが現実の世界で能力者となったのである。
この俺、天蔵 閃【アマクラ セン】とその仲間たちも、この状況に巻き込まれたのであった。
『って!閃ちゃんも、女の子になっちゃってる!?』
俺の姿を見た智鳴も大きく目を見開き驚きの叫びをあげた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
それから2時間後。
冷静になった俺たちは一度状況を確認するために我が家の居間に集まっていた。
『あれ?つつ美さんは?』
『お母様なら仕事場に泊まると言っていました。』
『あっ、そうなんだね。昨日も一緒にログインしてたから。』
『母さんは暇さえあればログインしてるからな。』
俺の言葉を聞いていたか、聞いていないのか智鳴がじっと俺を見つめてくる。
『な…なんだよ。』
『やっぱり、女の子になっちゃったんだね。』
『…ああ。こんなことなら、こんな設定にしなきゃよかった…』
『スタイル…私より良いよね。胸も大きいし…灯月ちゃんより大きい…。ズルいよぉ。』
『私とにぃねぇ様が理想の女性を形として表現した姿です。最高のクオリティですよ。』
『そうなんだ。閃ちゃん…こういう娘が好きなんだね。』
さっきよりもマジマジと見つめてくる智鳴のおでこに軽いチョップをかます。
『あうっ!?何するのぉ!』
『あくまでゲームのキャラクターとしての話だからな?実際、これからこの姿で生活しないといけない…って考えると…うぅ。』
悲しい。泣けてくる。
『にぃねぇ様。一つ確認したいのですが』
『ねぇはやめてくれ。いつも通りでいい。』
『わかりました。にぃ様。』
『何だ?』
『ゲームの世界での姿でキャラクターの特徴が反映されているのでしたら、にぃ様は二重番号のスキル持ってましたよね?今のにぃ様の右目にΧΧⅣの数字が刻まれていますがゲームでの普段の刻印はNo.0でしたよね?』
『ああ。そうだよね。むしろ、その女の子の姿の方が珍しかった気がするよ。私たちの前でも滅多にならなかったもんね。クロノ・フィリアのメンバー以外は知らないし。』
『だってさ。恥ずかしいし。大抵の敵はNo.0の能力だけで倒せたしなぁ。てか、そうか!No.ΧΧⅣだから女の姿の可能性あるな!』
そう言ってゲームの時のように戻ろうとする。
目を閉じ意識を集中させ頭の中に思い浮かべたスイッチを切り換える感覚。
『ふぅ。』
数秒後、目を開く。
『やりましたね!にぃ様!いつものにぃ様です!』
可愛く跳び跳ねて喜ぶメイド服の義妹。
『あうぅ。やっぱり閃ちゃんはこっちの姿だよぉ。………かっこいぃ。』
俺の腕に抱きついてくる幼馴染み。
『ああ。やっぱりこっちの方が落ち着くな。でも影響は出てるな。』
ゲーム内での俺のアバターにはスキルを発動させるための特殊な模様が全身に刻まれていた。
鏡に写る姿には紛れもなくその模様が体に現れている。
そして、左目に刻まれたNo.0の数字。
それにより改めて実感する。
この現実世界は、ゲームに…エンパシスウィザメントに侵食されたのだと。