23.ウィルガ
目が覚めると、私は小さな部屋にいた。
外はまだ夜なのか、部屋の中は暗い。
私が寝ているベッドの他には小さな机が一つ。そして、その上には立派な剣が置いてあった。
その他に手かがりになりそうなものは一つもない。
剣があるということは、男性の部屋だろうか?
クローゼットの中も確かめて、ここがどこなのか、少しでもヒントが欲しいところだが、私の身体は動かなかった。全身が重く、上手く動かすことが出来ない。
……それに、すごく、苦しい。暑い……
その時、ガチャっと扉が開いた。
逃げ出したいが、動けない私は寝たふりを決め込むことにした。
ゆっくりと静かに歩く音が聞こえる。
机の上に何かが置かれる音がする。
こちらに歩いてきたようで、その人の手が私の額に当てられた。
大きくて……ゴツゴツした手……
まるでお父様のような……
もう二度とは触れてもらえないかもしれないその手を思い出して、目尻から涙が流れる。
また離れていく音と水音がしたと思ったら、今度は私の額に冷たいタオルが置かれた。私の流した涙に気付いたようで、そのゴツゴツした指は、どこか遠慮がちに涙を拭ってくれた。
私は、その手の優しさに安心して、再び眠りについた。
◆ ◇ ◆
次に目が覚めた時には朝だった。
起き上がるとポトっと額に置かれていたらしいタオルが落ちる。
横を見ると、僅かに開いたカーテンの隙間から光が差し、私のベッドの傍で椅子に座る人の横顔を照らしていた。
「ウィルガ……」
私を助けてくれたのは、ウィルガだった。
ウィルガは椅子に座りながら、静かに寝息を立てて、眠っている。
美しいライル様やジョシュア様とは違う、男らしい精悍な顔立ち。ツンツンと尖った真っ赤な短髪は燃えるように輝いている。
分厚い胸板に、太く逞しい腕……その力強さを感じさせる身体はまるでお父様のようだった。
その時、ウィルガが少し眩しそうに眉を顰めた。
陽が当たって、眩しいのかもしれないわ。
そう思った私はカーテンをしっかりと閉めてあげようと思い、ベッドからそっと足を下ろし、立とうとした。
「……痛っ!」
足裏の痛みが酷く、私はバランスを崩す。
それを咄嗟に起きたウィルガが抱き止めてくれた。
あまりの密着具合に恥ずかしくなり、慌てて離れてベッドに座る。
「ご、ごめんなさい……」
「いえ……」
ウィルガが立ち上がり、私をもう一度、ベッドに寝かせた。
甲斐甲斐しく肩まで布団まで掛けてくれる。
「あ、あの……ウィルガが助けてくれたの?」
私の問いかけにウィルガは頷いた。
「もう寝ようと外を見ていたら、寮の前でフラフラしているところを見かけました。……浮浪者かとそのまま様子を伺っていたら、倒れて。一応様子を見に行ってみると、貴女様だったので驚きました」
そうか……ウィルガはリィナが好きだから助けてくれたんだ……
最近は距離を置いていると聞いていたけど、やっぱりウィルガはリィナを好きだったのね。
……それならば、私がアンナだと言わない方が良いだろう。どうせ信じてもらえるはずもない。今、ウィルガに見捨てられたら、私は生きていける自信がない。
「助けてくれて、本当にどうもありがとう」
「何があったんですか?」
「……屋敷の執事に、襲われかけたの。湯浴みを終えたら、服を取られていて……慌てて逃げてきたから、ひどい格好だったでしょう?」
そこで着てきたタオルと外套がなく、シャツを着ていることにようやく気付いた。
「あれ……? 私の服……」
ウィルガはバッと頭を下げた。
「申し訳ありません……!ひどい熱で、タオルも濡れていたので……身体を冷やしてはいけないと、外套とタオルは取らせていただき、身体を拭き、私のシャツを着せました……。で、でも、あまり見ないようにはしたので……」
そう話すウィルガの耳は赤い。
男子生徒にせよ、執事にせよ、リィナは色んな人に色仕掛けをしていたらしいので、もしかしたらウィルガも……と一瞬思ったが、そんなことは無かったらしい。私はその可愛らしいウィルガの反応に安心した。
「大丈夫よ。本当にどうもありがとう。ウィルガが助けてくれなかったら、どうなっていたか……」
ウィルガが謙遜するでもなく、頷いた。
「正直……本当に危険なところだったと思います。寮の前は人通りが少ないとは言え、私以外が見つけたら、と思うと、ゾッとします」
「そうね……」
「でも、どちらに行こうとされていたのですか?」
「王宮……よ」
私がそう言うと、ウィルガは僅かに視線を落とした。
「そうでしたか……。でも、事前の許可なく入れはしなかったと思います。殿下の婚約者ならともかく、男爵令嬢ですから……」
「……そう、よね」
私たちの間に沈黙が流れる。
「とりあえず、お腹空きませんか? 今の時間なら、朝食の残りがまだあるはずですから……食堂から持ってきます」
「ありがとう……」
その後、私はウィルガが持ってきてくれたスープを飲んだ。
正直スープだけで足りるかしら……と思ったけれど、いざ食べ始めるとほとんど胃に入らなかった。
「どうしてかしら……食べたいのに、なんだか食べれないわ」
「久しぶりの食事ですからね。胃がびっくりしているんでしょう。無理せずに少しずつ食べてください」
私がスプーンを置くと、ウィルガはトレイごと私の膝上から取り上げ、サイドテーブルに置いた。
「私がここに運んでから、貴女様は二日間も寝込んでいたんです」
「え?!」
そんなに長く寝込んでいたなんて……
「熱は最初の晩で落ち着いたのですが、その後も目を覚さなかったので、ちょっと心配していたんです。今日の昼までに目覚めなかったら、医者へ連れて行こうかと考えていました」
淡々と話すが、きっとウィルガは疲れているだろう。なんたって、ずっと私がベッドで寝込んでいたということは、彼はベッドで寝れていないのだから。……本当に申し訳ないことをしてしまった。
私は、頭を下げて謝った。
「あの……ごめんなさい。
私、ウィルガのベッドをずっと占領してしまってーー」
ウィルガは、私の言葉に唖然としたーー
と思ったら、フッと微かに笑う。
……ウィルガの笑顔なんて珍しい。
リィナの前だとこんな風に笑っていたのね。
彼はリィナが好きだから助けてくれているだけで……
彼を騙していることに僅かに胸が痛む。
「貴女様は、変わらずお優しいですね。
ベッドなんてどうでもいいんです。私はどこでも寝れますから、気にしないでください」
「そういうわけにはいかないわ。すぐにでもここを出て行かないと……これ以上、貴方に迷惑はかけられないーー」
「ダメです!」
急に怖い顔をしてウィルガが私の手首を掴んだ。
「ど、どうしたの……?」
驚いた私を見て、ウィルガはハッとして、手を離した。
「申し訳ありません……! つい……」
「いえ……大丈夫だけれど……」
ウィルガは、顔を上げると私の目をしっかりと見つめた。
「色々とお話したいことがございます。
……落ち着いて聞いてくださいますか?」
ウィルガは神妙な面持ちだ。
きっと楽しい話ではないだろう。けれど、これからのためにもしっかりと聞かなければならないと思った。
「……えぇ、お願い」
私がそう言うと、ウィルガは頷いた。
「まず、ターバル男爵ですが、昨日の朝、遺体で発見されたようです。禁止薬物の大量摂取による中毒死だと」
驚き過ぎて、声も出ない……
「ターバル男爵邸には、執事が一人しかいなくて、それ以外の使用人については数日前に全員解雇させられていたことから、男爵は自殺をしたのでは?という見方もされています。そして、一人娘のリィナは行方不明ということになっています。
今は男爵邸で執事が帰りを待っている状況です」
身体が震える。あの恐ろしい夜を思い出して、私は身体を抱きしめた。
「……わ、私……帰りたく、ない」
「分かっています。あの屋敷に帰したりしませんから、安心してください」
「うん……」
ウィルガの優しい声と手の温かさに少し落ち着く。
「あと、昨日、少し学園に行ってきました。ターバル男爵が亡くなったことで学園はざわめいていました。リィナが男爵を殺したのでは、と噂する者もいました」
私が一番気になっているのは、本物のリィナの行方だ。
彼女はどう過ごしているのだろう。
私は意を決して、尋ねた。
「……アンナ、様は……どうしていた?」
「……いつものご学友と仲良くしていました。昨日は魔法学があったということもあり、ジョシュア先輩と一緒にグラウンドに来ていました。また、ライル殿下とも珍しく言葉を交わしていました」
「そう……」
完全に私になりすましているのだ。
みんなと過ごした楽しかった日々が思い出されて……苦しい。
あの場所はもう彼女のもので……
あそこにはもう、戻れないのだろうか……。
「これからどうされるおつもりですか?
一応、学費は学年初めに払っているので、あと約二ヶ月は通えると思いますがーー」
「……分からない。
分からないけど、もうこの国にはいられないわ。
男爵邸には帰れないし、殺人犯と噂されてる学園になんて通えないもの。……行けるか分からないけど、遠い国の平民街で暮らしてみようかしら」
「お供いたします」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
「え……? な、なんでー」」
「一人で行けば、隣国に行くまでに人攫いや盗賊に合うのがオチでしょう。一人じゃ無理です」
確かにその通りだ。けれど、この国にもう私の居場所はない。
ティナの所へ行くのも一つの案だが、私は彼女の姉ではない。なりすまして、生きていくのは辛い。それに、ティナの所へ行った私をリィナが放っておくとは思えなかった。
ならば、全く知らない場所で、アンナでもリィナでもない人間として生きていく方が楽だと思ったのだ。
だからといって、ウィルガを連れて行きたかったわけではない。彼の人生なのだから、彼のために生きるべきだ。
「これ以上、貴方を巻き込むわけにはーー」
「良いんです。貴女様の側にいたいのです。
幸いにも私には兄が二人おりますので、一人くらいいなくなっても、そこまで大きな騒ぎにはならないでしょう」
そんなはずない。
叔父様も叔母様もウィルガにはかなり期待を寄せているのを私は知っている。
「……ウィルガは兄弟の中でも最たる実力者じゃない」
「いえ、兄達は後継者でもないのに、何かと贔屓される私を嫌っていますから、いなくなる方がいいのです。そうすれば、両親も兄に目を向けるようになる」
私は思い切り首を横に振る。
「駄目よ、そんなの……
貴方の人生までめちゃくちゃになんて出来ない!」
「私の人生は私が決めます。
私は、貴女様を守りたいのです」
「ウィルガ……」
まるで愛の告白のようなそのセリフに胸がツキンと痛んだ。
この言葉は私に向けられたものじゃなく、リィナに向けられたものなのだから。……なのに、私はその好意を利用して、ウィルガに守ってもらっている。
彼と離れた方がいいのに、突き放すことが出来ない。
だって……そうしたら、本当に一人ぼっちになってしまう。
結局、私は一人じゃ何も出来ないんだ……と改めて気付かされた。




