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9.治りますように【sideソフィア】

 目を覚ました時には、見たこともない暗い……部屋とも言えないような場所にいた。


 部屋の真ん中に一つだけ置かれた椅子に私は縛り付けられていた。


 手首と足首と胴体にしっかりと縄が何重にも巻かれている。縄が食い込んで手足が痛い。


 周りには誰もいなかった。ここは地下なのだろうか……窓一つもなく、壁にランプが一つ掛かっているだけだ。壁も床も土が剥き出しで、壁には見たこともない虫が這っている。


 「……虫」


 正直、虫は得意ではない。それどころかアンナと出会う前は、目にするだけでも全身に鳥肌が立つほどだった。


 しかし、アンナは虫が好きだ。そして、よく知っている。それに付き合っているうちに、前に比べたら平気になった。


 変な話だが、虫と触れ合わせてくれたアンナに感謝だ。こんな状況が自分に訪れるなんて思いもしなかったけれど。


 その時になって初めてアンナやお兄様、ユーリが心配しているだろうな……と思った。拐われるまでは、ルフト様と自分のことで頭がいっぱいだった。


 私が拐われれば、みんなに迷惑を掛けることはわかり切ってたのに……。私は大馬鹿者だわ。


 その時、この場所から伸びている通路の奥から誰かが歩いてきた。ハンスだ。


 思い切り、睨みつけてやる。


 それにも関わらず、ハンスは私を馬鹿にしたように薄ら笑いを浮かべている。


 「ソフィア様、そんなに怒らないでください。美しい顔が台無しですよ。もちろん我らが女神には敵わないですが」


 「リィナに指示されたのよね。」


 「想像はご勝手に」


 「私をどうするつもり?」


 「さぁ? 明日の朝まではここで監禁しとけって言われています。その後は奴隷市場でも行くんじゃないですか?」


 「……奴隷市場……」


 奴隷の売買は我が国では禁止されている。しかし、他国では未だに横行していて、奴隷の買い付けの為に往来が増えるほど盛んだ。奴隷市場と言えば、ここから一番近いのはリーフプ国にある奴隷市場だから、ここを出たら、そこまで連れて行かれるのかもしれない。


 どこか他人事のようにそう考えていると、ハンスがニタニタしながら、ゆっくりと近づいてくる。


 ハンスは上から下まで舐め回すよう私を見る。

 年齢の割に無駄に大きく育った胸部をやけに熱心に見ているようだが、気持ち悪さしかない。


 「これだけ美しければ、私が買いたいほどですけどね。買いに行けないのが残念です」


 「貴方みたいな男に買われるくらいなら、ここで舌切って死んだ方がマシよ」


 そう言い捨てると、ハンスはわざとらしく何かを思い出す素振りをして、笑った。


 「あ、伝え忘れてたんですけど、途中で舌を切って死んだらしたら、その遺体をアンナ様のお屋敷に贈りますね。『お前のせいで』ってその綺麗な身体に刻んで」


 ……最低だ。そんなことをしたら、アンナにトラウマを植え付けることになってしまう。

 奴隷として惨めに生きるくらいなら、舌を切って死んでやろうと思ってたのに、それさえも許されないなんて。


 「……汚いわね」


 「別にあの方に褒めていただけるなら、汚くても構いません。これが成功すれば、あの方は私を一番の愛人にしてくれると約束して下さいましたから」


 私はそれを鼻で笑った。


 「ふっ。そんなこと信じてるの。馬鹿ね。

 貴方より顔も頭も家柄も良い男がいるのに、何で貴方を選ぶのよ。随分と『あの人』は男の趣味が悪いのね」


 「貴様……っ!!」


 ハンスはカツカツと私に歩み寄り、私の首に手をかけた。


 「……っく……ぅ゛……っ!」


 息が、出来ないっ……!


 しかし、次の瞬間、手が離された。

 急に空気が入ってきて、私は思わず咽せた。


 「ハンス! 何やってるんだ?!

 こんなことをしたら、お前も処分されるぞ!!」


 「はぁ、はぁ……でも、この女が……っ!!」


 「殺すなって言われただろ! あの人が望んでいるのは惨めにこいつを生かすことだ」


 ようやく頭が回るようになってきて、話しているのがマットだと気付く。


 「……すまない。ちょっと頭を冷やしてくる。」


 そう言って、ハンスは通路の奥に消えて行った。

 ハンスの背中を見送ったマットは、私の方に向き直る。


 「そう挑発するな。せっかく一晩一緒なんだ。

 俺たちだって、仲良くしたいと思ってるんだぜ?」


 こいつも同じだ。いやらしい目つきで、私を見つめる。


 「そういやぁ……お前の兄貴が必死で探してるらしいぜ」


 やはりお兄様が探してくれているんだ……

 きっと、アンナやユーリも一緒にいるだろう。

 ……会いたい。みんなに。


 なんで、こんなことしてしまったんだろう。

 みんなにこんなに、愛してもらっているのに。


 レミリー様のことも何か解決策があるなら、みんなで知識を出し合えば何とかなったかもしれないのに。はなからリィナには出来て、自分には何も出来ないと諦めて……


 マットは、自慢げに再び話し出す。


 「だが、ここは絶対に見つけられねぇ場所にある。

 それにこの通路の上は廃屋だ。廃屋なんざ誰も近寄らねぇだろうが、念のため廃屋の中にはかなりの人数を潜ませた。

 仮に兄貴が助けに来たとしても……死んじまうだろうなぁ」


 ハッハッハッと声を上げて笑うでっぷりとした腹の男に、そしてリィナにふつふつと怒りが込み上げる。


 「私の大事な人たちを傷付けたら、絶対に許さない……っ!」


 「随分とよく吠える雌犬だな。

 奴隷になる前に、やっぱり躾が必要か?」


 マットは私の顎を持ち、グイッとあげる。

 顔を背けたいのに、強く掴まれて、びくともしない。


 「味見くらいは良いだろ?」


 「嫌っ!!」


 目を硬く閉じて叫んだ……その時ーー


 部屋の空気がひんやりと変わった気がした。


 「その、薄汚え手を……今すぐ、どけろ……っ!」


 聞き覚えのあるその声に目を開けると……

 マットの首に剣先を突き付ける傷だらけのユーリが立っていた。


 「ユーリ!!」


 私は叫んだ。その姿をよく見たいのに、涙が滲んで上手く見えない。


 マットは、微かに震えながら、ゆっくり私から手を離し、両手を上げた。その顔は先ほどとは打って変わって、青白い。


 「わ、わ、分かったから……!

 俺たちは命令に従っただけで……っ!!」


 ユーリは、見たこともない形相で……

 今にもマットの首を刎ねてしまいそうな殺気を放っていた。


 「さっさとソフィアから離れろ。

 壁に手をついて静かにしてろ。動いたら、殺す」


 「わ、分かった!!」


 マットは、そそくさと私から離れ、壁の近くまで行き、壁に手をつく。ユーリは私に近付くと、剣を置き、私に傷をつけないように丁寧に縄をほどき始めた。


 「ユーリ……。あの……私ーー」


 いつもと違うユーリの雰囲気に緊張しながら、私が口を開くと、ユーリは縄をほどきながら、言った。


 「話は後で聞く。今はここを出るのが先決だ。

 ジョシュア先輩も、アンナも必死でソフィアを探してる」


 「うん……」


 その時、壁に手をつき、こちらを伺っていたマットが腰の剣を抜き、こちらに振り下ろした。


 「馬鹿め!!」


 しかし、次の瞬間ーー


 「使役」


 「ん゛っ……ゔぉごっ!!」


 ユーリの指先から出た水の塊がマットの頭部をまるっと飲み込んだ。マットはその場で暴れたと思ったら、意識を失ったように倒れる。その拍子に頭部を包み込んでいた水の塊がバシャンと割れる。


 マットはまるで溺れた後のようにびしょ濡れで、身体をピクピクと動かしている。死んではいないようだが……


 「今のは……?」


 「水魔法だよ。今まで全然使えなかったのに、ソフィアを助けたいって思って戦ってたら、使えるようになったんだ。途中まで苦戦してたんだけど、これのおかげで勝てた」


 ……たしかになかなか魔法が上手く使えないと嘆いていたけど、まさかこのタイミングで使えるようになるなんて。


 「すごい……のね」


 するりと左足の縄を最後に全ての縄がほどけた。


 「……ありがとな。ソフィアのおかげだ」


 ユーリは下から私の顔を見て、ニコッと笑った。


 傷だらけで……汗と汚れに塗れた顔なのに、その笑顔は眩しくて。

 ……不覚にもドキッとしてしまった。


 私は慌てて顔を逸らす。


 「こ、この人たちは、どうするの?」


 「ここに入る前に公爵家の諜報部隊長に話してある。事件は大事にしない方がいいかと思って。上手くやってくれるだろ?」


 「そうね……」


 確かにこの事件が公になれば、公爵令嬢として私は大きな汚点を抱えることになる。でもーー


 ルフト様は……レミリー様は、どうなるんだろう。


 私がじっと地面を見ていると、おもむろに腰と膝裏にユーリが手を差し込もうとする。


 「へっ?」


 「ほら、帰るぞ」


 フワッと身体が浮く。私は思わずユーリの首にしがみつく。


 「……ひゃっ!……やっ、私、歩けるーー」


 「歩けないだろ。手首も足首も真っ赤だ。早く手当しねぇと」


 「でも……」


 こんなの恥ずかしい。ユーリとの距離が近いし、ユーリの匂いがするし、身体の触れている部分がユーリの逞しい筋肉を意識してしまう。


 「なんて言われても下ろさないからな。

 ゆっくり歩くけど、傷に響くようなら言えよ」


 そう話すユーリは真剣そのものだ。いつもユーリは明るく笑っているのに……なんだか今日のユーリは全然違う。それだけ、私のことを心配してくれたんだろう。


 私は甘んじて、ユーリに運ばれることにした。

 ユーリは、まっすぐ前を見て、薄暗い通路を進む。


 「ユーリ……助けてくれてありがとう……」


 「当たり前だろ。……ごめんな、遅くなって」


 ユーリとバチッと視線が合う。

 ユーリの顔は切なくて、辛そうで……


 「そんな……っ!私こそ……ごめんなさい。拐われたりして」


 「ほんとだよ、馬鹿」


 ……なっ!!私が素直になったのに、ユーリはそうやって!!


 私は唇を突き出して、文句を言う。


 「馬鹿って何よ!」


 「……俺が、俺たちがどんなに心配したか。

 お願いだから、自分をもっと大切にしてくれ」


 ユーリは前を見据えて歩くが、私を抱く腕には力が入った。


 「ユーリ……」


 「俺は、ソフィアを守りたいんだ」


 そう言ったユーリをよく見れば、所々に斬られた後がある。私を抱く腕にも、胸のあたりにも、折角の綺麗な顔なのに頬にも……


 ユーリが私をどれだけ大切にしてくれてるか分かった。

 最初はアンナのついでだったはずなのに、いつの間にか私達の間にも絆が出来てて……私にとってもユーリはかけがえのない人になってたんだ。


 私を守るために負ったこの沢山の傷も……

 どうか……早く治りますように……


 そう思いながら、ユーリの胸に頭を預ける。


 「……ユーリ、あり、がと。」


 なんだか、急に眠くなってきた。

 ユーリに抱かれて、揺れが心地よいから……

 もしかしたら、まだナルミナシスの花の効果が残っていたのかもしれない。


 ユーリが私を優しく見つめているのが分かる。


 「寝てろ」


 もう瞼を開けていられない。

 ユーリの匂いに包み込まれ、私は目を閉じる。


 少し寒くて、私はユーリの胸に擦り寄った。

 あったかい……


 意識が朦朧とする中、頭上から言葉が降ってくる。


 「……くそ、可愛い」


 あぁ……嬉しいな……


 私は、温かく逞しいその腕の中で、安心して深い深い眠りについた。




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