8.コーヒー【sideソフィア】
私はその日、レミリー様へのお手紙を届けに、ルフト様の研究室に向かっていた。
レミリー様との文通は順調で、この春に学園に入学することは出来なかったけど、お手紙からは文通を楽しんでいる様子が伝わってくる。まだまだ体調が安定せず、会うことも叶わないけれど、いつか一緒に学園に通うことが出来たら……と互いに文を交わしていた。
研究室前に着き、少し身だしなみを整える。……少しね。
ドキドキする胸を押さえ、扉に手を掛けた時、中で誰かが話していることに気付く。
しかも、聞こえるのはルフト様の声と……可愛らしい女性の声だった。
入っちゃいけない……
聞いちゃいけない……
そう思うのに、私はその場から動けず、中の会話に耳を澄ませていた。
「ここに結界をかけ忘れたことにして、置き去りにするだけでいいんですよ? その先はこちらで引き受けますので。
何も自ら手を下してくれって言ってるわけじゃないんです」
「馬鹿なこと言うな……っ! そんな、裏切るようなこと……」
……裏切る?
「でも、迷ってますよね?
このままじゃ妹さんは死んでしまいますものね」
私は廊下で一人、息を呑んだ。
……そんな!?
レミリー様はそんなに酷い病状だったの?
私に手紙を送った後に急変したのかしら……
「……さっきの話は、本当なのか?」
「えぇ。私であれば妹さんを救えますわ。私、色々な能力や知識を持っておりますから。ルフト先生もご存知でしょう? 疑うようであれば、ここでいくつか披露してみますか?」
さっきから薄々気付いていたが、やはり中にいるのはリィナのようだった。
「何を披露するってーー」
「例えばルフト先生のことはよく存じ上げておりますわ。
政略結婚した伯爵家の両親の元にお生まれになりましたが、物心つく頃には両親は不仲で、うまく愛情を受け取ることが出来ませんでした。その上、お母様は九歳の時にお亡くなりになり、翌年、現在のお義母様が後妻として入られます。お義母様には連れ子がいて、お嬢さんのお名前はレミリー様。あまり似ていませんが、レミリー様は伯爵の実の子で、伯爵はルフト先生のお母様がご存命の頃から、いや結婚前からレミリー様のお母様と愛し合っておりました。伯爵はレミリー様を溺愛、屋敷の中に居場所が無くなったルフト先生を救ったのは、ルデンス公爵家。ソフィア様のお祖父様が、ルフト先生を高く買って、可愛がってくれました。学生時代は公爵家からこの学園に通っていたほどーー」
「待て……。なんでそんなに俺のことを知ってる?
……それに、ごく一部の限られた人間しか知らない情報までーー」
「だから、特殊な能力を持っていると言ったでしょう?
何故ルフト先生がレミリー様に感謝し、大切に思っているかまでお話しましょうか?」
「いや、いい……」
「どうです? 信じてくださいました?」
「俺が協力したら、ソフィアは……どうなる?」
……私? なんで、ここで私の名前が出てくるの?
嫌な汗が出てくる……もしかしてさっき裏切るって話してたのはーー
「あはっ! 協力してくれる気になりました?」
ルフト様の返答は聞こえない。
代わりにリィナの嬉しそうな笑い声が漏れ聞こえた。
「ぷっ……ふふっ!沈黙は了承と見なしますよ。
大丈夫。ソフィア様には少し家に帰らないで居てもらうだけです」
「危害は加えないと約束できるか?」
「私がやるわけではないので、分かりませんわ。でも大丈夫です。公爵家の令嬢なら多少怪我をしても生きていけるでしょう? それにもし身体に傷が付いたら、ルフト先生が引き取ったらいいじゃないですか。ソフィア様が遅い初恋の相手でしょ?」
「……っな!!」
心臓が跳び跳ねる。否定もしないルフト様に驚くと同時に、身体中が落ち着かない。嬉しさが込み上げそうになるが、頭が必死にそれを押さえ込む。
嫌な予感が、する。
私の脳みそがここを離れろと警鐘を鳴らしている。
「ま、私はどっちでもいいですけどぉ。
で、どうするんです?
レミリー様とソフィア様、どっちを取りますか?」
「ソフィアを危険な目に遭わせる訳には……」
ルフト様の声は悲痛で….
いかに心を痛めて悩んでいるのかが、伝わってくる。
一方でリィナはどこか楽しげな声を出す。
「そうですか。じゃあ、レミリー様は打つ手なし!
で、死んじゃいますね。残念。ルフト先生を家族に戻してくれた可愛い妹なのに、先生ったら薄情ですね。
血の繋がった妹じゃなく、自分の好きな人を取るんですね。レミリーさんが可哀想」
「お前に何が分かるっ!」
ルフト様の怒号と、何かが割れる音が聞こえた。
「全部、分かってますよ。
でも、まぁ……答えは当日まで待ってあげますね。
乗る気になったら、二日後の魔法学の時に研究室の結界を解いておいてくださいね。そうしたら、レミリー様は私が助けて差し上げますわ」
リィナがこちらに歩いてくる音が聞こえる。私は周りを見回し、少し扉が開いていた隣の準備室に身体を滑り込ませた。
ガラッと研究室の扉が開く。
「あ、言い忘れてました。協力しなくても構いませんが、このことを誰かに言ったりしたら、レミリー様だけでなく、ガラクシア伯爵家も終わりますので、ご注意を。では」
リィナが歩き去る音が聞こえる。
彼女の雰囲気が完全に去って、ようやく私はまともに呼吸が出来た気がした。何が悲しいのか分からないが、私の目尻からは涙が一つ溢れていた。
◆ ◇ ◆
今日はリィナの言っていた約束の魔法学の日。
この前の話を聞いて、今日は休もうかとも思った。
でも、休めば、ルフト先生が私に話したとして、リィナに疑われるかもしれないと思うと休むことは出来なかった。それに……リィナの言うことが本当なら、レミリー様を助けてあげたいと思った。
きっと死ぬわけじゃない。私を殺せば、公爵家の強い反発が予想されるだろうし、それに王家が関わっているとなれば二大公爵家は黙ってはいないだろう。他の者を使って、始末させるつもりなのかもしれないが、公爵家には諜報部隊もあるし、お兄様の風魔法で探索も出来る。
……そう考えてはみたものの、やはり……怖い。
私が死んだところで事故と工作すればそれまでだし、没落寸前の低位貴族を雇ってその人たちに罪をなすりつけることだって出来る。それに、王太子殿下が味方なら、なんだって有耶無耶に出来るだろう。
でも、このままレミリー様を死なせるわけにはいかない。
レミリー様は、私の友人で……
ルフト様の大事な大事な妹君だもの。
私はいつも通りを装い、ユーリとアンナと研究室に向かう。
「ソフィア、なんだか具合悪いんじゃないのか?
顔色がーー」
「ただの寝不足よ! 全くユーリったら、女性の顔色を指摘するなんて、紳士としてなってないわね!」
「はぁ? ただ心配してやっただけだろ。
俺だって振る舞おうとすれば、紳士にくらいなれる!」
「どうかしらね?」
「お前なーー」
クスクスとアンナがいつも通り笑っている。
どうやらアンナは私とユーリがこうして言い合いするのが、好きなんだそうだ。「メオトマンザイみたい」とこの前はよくわからないことを言っていた。
でも、確かこんなに気さくに男性と話せるのは初めてで、ユーリといるといつも楽しい。私たちを守ってくれることに感謝もしている。
こうやってアンナとユーリと笑い合いながら、ずっとこのままでいられたらいいのに……
そんな思いも虚しく、研究室に到着する。
無理矢理、笑顔を作り、二人を見送る。
最後まで二人とも本当に大丈夫か心配してくれたけれどーー
本当のことは言えなかった。
二人が去った後にルフト様から声が掛かる。
「コーヒー、淹れすぎたから……飲むか?」
そう言って、来客用のカップに注いだコーヒーを私の前に置く。
……これから授業なのだから、これは私の為に淹れてくれたのだろう。
……きっとルフト様は結界を掛けずに出ていく。ルフト様にとってレミリー様は血の繋がった妹であり、ルフト様にとって一番大切な人だ。
ルフト先生は公爵邸から三年間学園に通ったが、その後、お祖父様に促されて、居場所のなかった自分の屋敷へ戻った。また空気のように暮らすしかないのかと諦めを胸に戻ったルフト様を待っていたのは、驚くべきことに父親と義母からの謝罪だった。
その頃、十一歳になっていたレミリー様は、義理の父が自分の本当の親だと知った。それをどこか誇らしげに話す両親にレミリー様は、驚愕し、それを恥じた。
レミリー様は、泣きながら何度も何度もルフト様に謝ったそうだ。それと同時に両親に激怒し、ルフト様に対し真摯な謝罪をしなければ、今後一切口を聞くつもりはないと宣言し、本当に心からの謝罪をルフト様にするまで、それを実行した。
この話を以前聞いた時、ルフト様の方が謝罪を繰り返す両親を見て、不憫に思ったほどだったと苦笑いしながら話していた。
ルフト様のご両親は最愛の娘から言われて初めて、いかに自分たちのしたことが、ルフト様を傷つけたかに気付いたのだ。
それ以降、ルフト様とご両親、そしてレミリー様は少しずつ本当の家族になっていった。ルフト様は、レミリー様のおかげで家族の愛を知ることが出来たのだ。
そんな人一倍優しく、愛おしい妹をルフト様が見捨てることなんて出来ないのは、分かっていた。
ルフト様の淹れたコーヒーは好きだ。
苦い苦い大人の味。それにいつも追いつきたいと思っていた。
でも今日は……まるで味がしなかった。
ルフト様は私に背を向けた。
「じゃあ……行くな」
「はい。いってらっしゃいませ」
しかし、ルフト様はなかなか歩き出さなかった。
……優しい人だから、最後まで迷ってるんだろう。
私は、ゆっくりと息を吐いてから……口を開いた。
「ルフト様……いいですよ」
「え?」
ルフト様が驚いたように振り返る。
涙が溢れないように……
その背中を押せるように……
私は微笑んだ。
「私なら大丈夫です。早く行って」
ルフト様は瞳を潤ませながら、俯いた。
「……っ。すまない、ソフィア」
そうして、逃げるように早足で歩き去った。
私はルフト様が行ったのを確認して、机にノートとペンを出す。
新しいページを開いてはみるが……やる気が起きるはずもない。
私は真っ白なノートの上に突っ伏した。
……涙が止まらない。
ルフト様に捨てられた。ルフト様はレミリー様を選んだ。
自分でその背中を押したくせに……悔しくて、悲しくて。
もう何もかもどうでも良かった。
どうせ私は誰にも好かれない。選ばれない。
私はそのまま目を閉じた。
◆ ◇ ◆
どれくらい目を瞑っていただろう。
扉の方で人の声がした。私は身体を起こす。
同じ学年の令息がこちらを見ている。あの二人はよくリィナにくっついている代表格の二人だ。サリルロール子爵家のハンスに、バイアス伯爵家のマットだ。二人とも体格がよく、二人に敵う人は殆どいない。勿論、ユーリの方が強いが。
二人は私を見つけて、ニヤッと下品に笑うと、ツカツカと研究室に入ってきた。結界が張ってあれば、こんな風に入ることは出来ない。分かってはいたが、改めて見せつけられているようで辛い。
二人は私を囲うように、両脇に立つ。
「何の御用でしょうか?」
そう尋ねれば、ハンスがニヤニヤと私の顔を覗き込む。
「ソフィア様にお話があるんです。
私達について来てくれますね?」
「行かなかったらどうなるんです?」
「貴女の愛しいルフト先生がとても困ると思いますよ? 好きなんですって? 先生のことが。」
……なんで私がルフト様を好きだと知ってるのか。
アンナが言うわけないし……
きっと、またあの女の力か何かなのだろう。
こんな馬鹿どもの前で狼狽えるようなことだけはしたくない。
私は、ハンスを睨みつける。
「貴方達には関係ありません」
「売られたんだよ、お前は」
反対側からマットが耳元で囁く。
伯爵家の令息がなんて口を……っ!
腹が立って仕方なかったが、私はグッと怒りを抑え込む。落ち着こうとコーヒを手にする。
「売られるなんて、私は物じゃありません。
戯言をいい加減にーー」
次の瞬間、ハンカチを口に当てられ、持っていたカップを落としてしまった。コーヒーがバシャと床に広がる。
この香りは、意識を失わせるナルミナシス、の花……だ……わ……
私は、そのまま、気を失った。




