ひと駅
通勤のために電車に乗る。
今日は朝から疲れていたので、スマホは見ず、吊り革に掴まり目を閉じる。
取り止めもない思考が浮かんでは消えて、考えたくもない今日の業務については意識的に泡沫に帰した。
電車が減速して駅に止まる。慣性を受けて体が大きく揺れる。
アナウンスをちゃんと聞いていなかったけど、多分隣駅だろう。目を開けるとやはりひと駅しか進んでいなかった。
いつもならスマホを見ていて一瞬で過ぎる一駅分の時間が、今日はとてもゆっくり感じられた。
一駅分でどんなことを考えていたのか。それは覚えてない。異世界への行き方を考えていたのかもしれないし、好きだったあの子とまた会いたいなぁとか考えていたかもしれないし、宇宙の始まりについて矛盾のないロジックを組み立てていたかもしれない。
何を考えていたかは覚えていないけど、一駅分を長く感じたなぁという実感だけは確実にここにあって、いつもはそれだけスマホに集中しているんだなぁということを理解した。
時間が一瞬で過ぎるということは、何かに集中しているということで、楽しい授業は一瞬だったけど嫌いな科目の時間は長かったなぁ、でも1番長く感じたのは便意を感じて腹痛が来ている時の授業だったなぁとまた行き先もない取り止めのないことを考え始めた。
毎日スマホに注意を奪われて集中させられていたら、そりゃ頭も疲れるわなと思ったし、にも関わらず、いつもの自分も含めて車内の人はほぼみんなスマホを見ているし、それは仕事なのかもしれないしソシャゲなのかもしれないし分からないけど、なんだかすごい光景だなと思った。
とか言っている自分もこのテキストを電車で書いていて、目を瞑っている時は長く感じた時間も、これを書いていたらもう降りる駅のアナウンスがされていて急いで保存をした。
スマホをポケットに入れて改札をでる。
スマホを見ている時にはアナウンスが聞こえて、思考を巡らせている時の方がアナウンスを聞き逃すのなら、実は思考を巡らせている時の方が集中しているのでは?などと思うなどした。




