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茫然自失

「ちょちょちょっと待って!」

「なんだよ」


私はブンブンと首を左右に振った。


「うちに泊めるなんて絶対無理。貸せる布団もベッドもないし、何よりあんたを家に上げたら大変なことになりそう」

「まあ、俺がお前を襲うには最高のシチュエーションだな」


彼を睨み殺す勢いで目に力を込めた。


「怖い目してんな」


しかし美園司は怯まない。怯むどころか、相変わらずからかいじみた目で私を見下ろしている。


「とにかく、さっさと自分の家に帰って。うちでは泊められない」

「なんで?」

「人を呼び込めるほど広い部屋じゃないし、布団もないんだってば」


彼は目を細めて呟く。


「かと言って、俺は見えないから電車もなんも乗れねえし、ちゃんと駅についたとしても、家までの道のりがわかんないから帰れねえ。どっかの誰かのせいでな」

「じゃあ、私が家まで送る」

「女に送られる男なんていないだろ」

「しょうがないでしょ。うちにあんたを上げるなんて、親も許さないだろうし」


彼は、その一言で驚き、私をまじまじと見つめた。


「一人暮らしじゃないの」

「まあ、そんなもんだけど…一応違う、かなあ」


父親はアメリカに単身赴任していて、家にはいない。兄はいるが、少し遠くの大学に通うことを考えているので、来年出ていくための準備をしている。最近は私が起きる前に家を出て、寝たあとに帰ってくるので、全く顔を合わせない日ばかりだ。


母親は…まあ、たまにしか家に帰ってこない、とだけ言っておこう。

しかしたまにでも帰ってくることは事実なので、実質一人暮らしのようでも設定上は違う。

いつ戻るかわからないので、うちの兄が避妊具を落としていったときも放ったらかしにはできない。


「どういうことだよそれ」

「お父さんはアメリカにいるし、お兄ちゃんは朝が早くて夜も遅いから会わないし、お母さんはあんまり家にいないから」

「お前、この年になっても兄貴のことまだお兄ちゃん呼びしてるなんて、かわいいとこあんだな」


私は珍しく、ぱあっと頬が赤くなるのを感じた。


「っ、昔から仲が良かっただけよ」

「お、普通に照れたりすんじゃん。意外とからかいがいあるかもな」

「そんなことない。いつもはこんなこと、顔に出さないし」

「バカ、そのギャップが逆にいいんだよ。皆の前では平然としてるやつを、自分の手で虐めんのがたまらなく楽しいわけ」

「変態」

「変態で結構」

「あっそ、じゃあうちは変態入室禁止だから」


そう言うと、彼はふと思いついたように顔を上げた。


「気が変わった。お前、ちょっと来い」

「は?本気でうちに来るつもり?」

「安心しろ。今日は行かない」


ホッとしたのもつかの間、彼にいきなり体を引かれ、教室の外に投げ出された。

びっくりして振り向くと、彼は私の荷物を持って教室を出てきた。


「いきなり何なの」

「これから俺が言う方向に歩け」

「は?」

「俺を家まで送れっつってんだよ。見えねえから」

「人に頼むときはもうちょっと言い方があるんじゃないの」


すると彼が突然顔を近づけ、目力を効かせながら睨んできた。


「お前、自分の立場わかってねえな。今は、俺の犬なんじゃねえの?」

「…っ」

「いいね、その屈辱ですって表情。そそる」


憎たらしいくらいサディスティックな笑顔を浮かべ、私を弄ぶ彼を見ているうちに、だんだん腹が立ってきた。私はとうとう、カッとなって吐き捨てた。


「いい加減にして。眼鏡のお金、払うからもう帰らせて。あんたなんかのパシリになんてならない」


そう言うや否や、私はくるっと彼に背を向け、歩き出した−−と思った。

次の瞬間、気づけば美園司に壁際に押し付けられていた。足の間に膝を入れられ、顔の横にも腕を立てられ、逃げられなくなっていた。


「おい」

「んっ」


耳元で話されると、まるで体中の毛が逆立つような感覚に陥る。


「本気で言ってるのか」

「そ、そこで話すな…っ」

「お前ここ弱いのな」


わざとあでやかな声を出しているのはわかるのに、それに素直に反応してしまう自分が恥ずかしい。

彼が呼吸をするたびに、ぴくぴく震えるのを抑えられない。


「お前に選択権はないって言っただろ」

「やめ…てっ」

「お前は俺の犬」

「ちがっ」

「違う?どこが」

「ふっ…」

「早く答えろよ」


答えろと言うくせに、わざと追い打ちをかけて私の余裕をなくす。本当に悪趣味なやつだ。


「顔真っ赤」

「見るな…っ」

「なんで?」


その時、彼の手が一瞬、私の足に触れた。

流石に焦って押し返そうとするけど、うまく力を込められない。足も、彼の足が邪魔で閉じられない。

スカートの中まで到達しそうなその長い指を、必死で止める。


「やだっ」

「なにが」

「手…」

「手が何」


わかっているのに、まるで何もないかのような顔をする彼にイライラする。

本気でやばい。


「お前は俺の犬なんだよ」

「違う」

「ふうん。じゃあやめられないな」


どんどん上がってくる腕に、どんどん焦りが燃え上がる。


「本当にやめっ…!」

「じゃあ認めろよ」

「わ、わかった、わかったから…っ」


そこでようやく、彼は私から離れてくれた。

私は、一気に脱力して壁に体重を預けた。そしてすぐに、口走ってしまったことの重大さを理解した。


頭が真っ白になる。こいつの、美園司の、犬になることを認めてしまったーーその事実に、莫大な焦りを覚える。


「んじゃあ、早速うちまで案内しろ」


ニヤニヤと満足そうにしている彼が目に入るが、もう反論するエネルギーすら残っていない。

疲れ切った私は、ため息をつきながら渋々踏み出した。


「…かんたんな道筋、教えて」

「ああ。学校を出て、桜通りを右に曲がって…」


−−


「おっきい…」


私たちは、美園司の家の前に立っていた。

それはおしゃれな高層マンションだ。50階程はあるんじゃないかと思うほど、大きい建物だ。


「子供みたいに騒ぐなよ」

「騒いでない」


インターホンの場所で鍵を差し込み、堂々と中に入っていく彼に、遠慮がちについていく。

お金持ちの雰囲気が漂っているせいか、なんとなく居づらい。


エレベーターに乗ると、彼は6階のボタンを押した。なんだ、下の方に住んでるのか、と少しがっかりしたけれど、決して顔には出さない。


チーンという懐かしい音と共に、目の前のドアが左右に空いたかと思うと、そこにはモダンで小綺麗な廊下が伸びていた。

あまりにもおしゃれなので、私は目を見張りながら彼のあとをついていった。


彼が歩みを止めたのは、615号室前。ここが部屋なんだろう、と思って、私はようやく任務から開放されることに内心喜んだ。でも一応、中に入るところまでは見届けなきゃ、と思い、彼がドアをゆっくり開けてもずっと横で待っていた。


その時、思いがけないことが起きた。いきなり視界がぐわんと傾いたと思ったら、次に見回したら私は美園司の部屋の中にいた。

頭を振ってなんとか混乱を追い払う。

振り返ると、私を馬鹿にしたような目をした、彼が立っていた。


「え…?」

「お前、あほなの?」

「は?」

「さっきから、俺がお前の前を歩いてんのに、見えないのになんで歩けんのかなーとか思わなかったわけ?」

「あ…」


そういえば。思い返してみると、マンションに入ったあたりから確かに彼が私の先を歩いていた。でも、彼は今、目が見えないはずだ。現に見えないから私が家まで案内したのだ。見えないのならば、なんでここまで一人で来られたのだろう。


「も、もしかして、見えてる…?」

「今更気づくとは、相当なアホだな」

「え、え、本当に見えてるの?え、じゃ、なんで」

「見えてるに決まってんだろ。バカ、俺の目はそこまで悪くねえよ」


くくっと鼻で笑う彼を見ながら、私は未だに整理がつかないでいた。


「じゃあ、私はなんのために…」

「お前は、普通に家に来いっつったら絶対来ないだろうと思ったから、ちょっと騙した」

「え?」


その言葉を脳内で理解するまで、しばらく時間がかかった。

それはゆっくり染み込んできた。つまり、私は彼に騙されたのだ。彼はちっとも不自由ではなくて、目は普通に見えている。彼が私に家まで案内させたのは、私を家におびき寄せたかったかららしい。


私はまたしても、美園司の罠にまんまとはまってしまったのだ。


状況の悪さを自覚し始めて、私は顔をこわばらせながら彼に向き直った。


彼はドアの前で仁王立ちして、出口を塞いでいる。どうにか避けない限り、外には出られない。


「ねえ、家に帰るから、外に出して、邪魔」

「っと、ほいほい家までついてきておいて家に帰れるとでも思ってんの?」

「送れっていったのはどこのどいつよ。まあそんなことはどうでもいいの、とにかく早くここから出して」


言っても聞かないのはわかっていたけれど、それでも懸命に彼のお腹を押した。ありったけの力を振り絞っても、美園 司はびくともしなくて。


するとどこからか、鳴き声が聞こえた。


「にゃあ」


え?


一気に腕の力が抜けた。

疑問の目で彼を見上げる。


「今の。あんた?じゃないよね…?」

「…あほ」


ふーっと溜息をついて、私の隣をするりと抜けながら靴を脱いだ彼は、玄関横の戸棚を開けた。


「これ」


そこには、薄汚い段ボール箱が置いてあった。


中身を見た途端、私の表情はとろけた。


ふさふさのしっぽ。もふもふの毛。ぴょこんと突っ立った耳。箱の中には、まるで天からの贈り物のような愛らしい子猫がうずくまっていた。


「…っ、かわいい…」


私は床に座り込みながらその猫を優しく抱き上げ、なでて自分の頬にすりすりした。灰色の毛は、最近洗ってブラッシングしてもらったらしくとてもやわらかくて、青色の目はぱっちりと開いている。


「ふっ、そんなにいいか」


低くかすれた美園司の声を聞いて、幸せから引き戻された。

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