70:とある道場の門弟④
作戦名、『消滅』。
日は巡り帝国との戦争もますます熱を帯びて来た。
危惧していた通り結界術の技術は飛躍的に上がり、今までの奇襲行為は不可能に近い。
帝国を落とすには正攻法で戦線を押し上げる方が安上がりとなった。
特別奇襲大隊は戦線の要所に出向いて手助けをすることになる。
突き刺す様にして戦線をボロボロにし、後は脆くなったそれに本軍が流れ込めばいい。
領土を侵略し、徹底的に潰す。先の作戦名が今回の物である。
そして、そう。
ついにその役の一員としてベイパスは選ばれたのであった。
ベイパスは駐屯地にて集まった面々を見渡す。
と、その中に見知った顔の者を見つける。
「失礼。アドラー殿でお間違いないですか?」
「え? 左様でありますが……。もしや、先輩?」
「左様。ベイパスであります」
その赤髪赤目の悪鬼は嘗ての同じ門弟の後輩であり、あの師範代の誘いを蹴った男であった。
「お久ぶりですな! いやぁ、懐かしい」
「ええ。噂はかねがね。かなりの武功を上げてるようで」
「いえ、自分など全然……というか、何か固くありません?」
「この部隊では先輩にあたる故当然です」
「い、いや、やめてくださいよ。上官でないどころか配属も違うんですし」
「む? そうか?」
自分でも違和感を感じてしまっていたその口調を改めるベイパス。
そして男の言う通りベイパスは三割の遊撃部隊ではなく、七割の軍隊部隊の方だった。
先の作戦で戦死した分の補充でベイパスは選ばれたのだ。
「いやしかし魔王軍は実力主義。もはや貴殿の方が格上なのは疑いようがないだろう」
「えぇ? 自分何か特別な武功を上げた覚えはないんですが……。と言うかほんとにその口調やめてくださいよ。ただでさえ道場出身から嫌われてるのに」
「そこまで言うなら……。ああ、武功に関してだが、天使に止めを刺したのはお前だろう?」
「ん? ……え。えぇ!? な、何でそれをっ!」
「やっぱお前か」
声を殺して詰める男に、ベイパスは若干驚きつつ言った。
「お前は道場内じゃ注目されてたからな。特にアスラ王都陥落以降。そして報告書を読めばぴんと来る奴も居る」
「うわぁ」
思わずと言った様子で声を零す男。
「今の反応で確信したが、何故あの武功を隠すんだ?」
「自分は目立ちたい訳ではないんですよ。最近も郊外の任務を任されてしまいましたし。いや、あれは偶々かも知れないけど……」
「じゃあ何故軍隊に入る? それも不凋花に。お前一度除隊した筈だろ。望んで入れる部隊でもないのに再度、それも遊撃隊に入るなんてな。余程上はお前を買ってるらしい」
「買い被りですよ。まぁ、ちょっと知り合いに相談はしてみましたが」
「知り合い?」
参謀本部の上は魔王様しか居ない。参謀本部、もしくは魔王様その人に口が利くとなると……
「まさか魔王軍幹部か? そう言えばお前の主は“水銀の魔女”アウラ様だったな」
「いやいや、こんな事にアウラ様のお手を煩わせる訳にはいきませんからな」
「ならば師範か? そういえばお前、師範と飯行ったそうだな」
「な、何でそれを……。確かにご馳走にはなりましたが、関係ないですよ。もっと別の方です。公な方ではないので、それ以上の詮索はやめてください。と言うか、何でそんな事まで知ってるんですか。もしかして今の道場って暇なんですか?」
「どうやらずっと俗世から離れていると、口伝な噂は寧ろ広まり易いらしい」
「嫌な事聞いたなぁ」
そう零す男の姿を傍らに、ベイパスは思考する。
もし魔王軍幹部という前提が間違ってないとして、公でないとしたら上位幹部という事になる。
いや、さすがにそれはないか……?
どちらにせよ。
「お前謎に人脈広いな」
「それは最近自分でも思ってたところです」
どこか複雑そうに男は応えていた。
「で、結局何でお前は部隊に」
「おお、魔女アルラ様だ」
と、どこか別の男が言った言葉が届き、ベイパスは言葉半ばで質問を止めた。
皆の見る方を向くと、紫色の髪の美しい一人の魔女が居た。
黒いローブを身に纏い、箒を片手に毅然と歩くその姿は様になる。
暫し言葉も忘れてその姿を目で追っていた。
「今日もお美しい……」
「あれで遊撃部隊に見合う実力があるのだから、隙の無いお方だ」
「お、また弟子の志願者が集まってるな。やんわりと断ってる様だが……」
等々と言い合っている部隊の者達。
人間より優れた五感を持つベイパスが見るに、『あら、でも私もまだ修行の身ですから……』等と言って魔女アルラは弟子入りの志願を断っている様だった。
にしても、十年前の失態は既に忘れられた様なものだなと思うベイパス。
最初こそ問題児として名を馳せた魔女アルラであるが、今やその過去を上回る功績と貢献によって塗り潰されている。
“銀月の騎士”を討ったのも魔女アルラと聞くし、今や魔王軍一の注目株と言っても差し支えない。
と、その魔女アルラがきょろきょろと辺りを見回していたかと思うと、こちらに気づいたかの様に近づいていくる。
ベイパスはつい緊張してその姿を凝視する。
「お、おひゅっ……お久しぶりですね! 覚えていらっしゃいますか? で、でしょうか?」
(噛んだ)
(噛んだ……)
魔女アルラに対して同じ事を思うベイパスと男。
(噛んじゃった!)
そして魔女。
「え、ええ。もちろん。何時ぞやのその後は大丈夫でしたか?」
「ええ! お陰様で!」
魔女の内心も知らず、男は問い、魔女は答える。
と、会話がたったの一往復で終わってしまい、謎の気まずい間が開く。
「え、えぇっと……お、お礼を言いたかったんです! どれだけ探しても見つからなかったみたいで……じゃなくて、見つからなくって。はい」
「そ、そうでしたか。それは大変な苦労をお掛けしてしまったみたいで」
「いえ! とんでもございませんわ!」
と、顔が若干引きつっている男をベイパスは眺める。
同じアウラ陣営として知った仲である筈なのに、この互いの余所余所しい距離感。
事情は分からぬが触れぬでおこう、とベイパスは眺めるに留めた。
「改めて、先日はありがとうございました」
「いえいえ。姐……あ、アルラ様であれば、あの状況から脱出するくらいは可能でしたでしょう?」
「そんな、買い被りですわ……。それにそうだとしても、助けていただいた事実は変りませんから」
そう言ってふわりと微笑む魔女に、さすがの男も若干たじろいでいた。
「今度是非改まったお礼を」
「いえ! お礼なら今していただきましたから!」
「ただの一言では釣合いが取れませんわ! お食事か品物でも送ります!」
「いえ、本当にいいので!」
「あら……そうですか」
「うっ」
と、若干暗く表情を落とした魔女に、男は小さく唸る。
「わ、分かりました。一度だけなら……」
「まあ! ありがとうございます!」
途端機嫌の良くなる魔女と、気付かれない程度に肩を落としていた男だった。
「では追ってのご連絡はどちらに致しましょうか?」
「あ、えーと。そうだ! あ、アドラー君とか言いましたっけ? あの者に言伝をお願いしますよ。実は彼とは繋がっていて、私の事は隠す様お願いしてたんですよぅ」
「え?」
と、説明口調なその説明に魔女の目は冷たい物になる。
「ふーん。へぇー。隠してたんだぁ」
「す、す、すみません」
「あ、いえ。今のはあなたに対してではありませんから」
「で、ですよね……ははっ」
乾いた笑みを零す男だった。
「って、そうだ。お名前を伺っても?」
「え? あー、えーと……ア・ドーラです」
「ア・ドーラさん……? ふふっ」
と、それを聞いて魔女はつい、と言った具合で笑みを零した。
「どうか致しましたか?」
「いいえ。うちの弟に名が似ておりましたもので」
その返事と笑みに男は暫し返す言葉を忘れた。
「では楽しみにしています。邪魔してしまってごめんなさい」
「い、いえ」
と、最後こちらにも向いた謝罪に応じるベイパスだった。
そしてその時理解する。
(魔女アルラ……アドラの事しか見ていなかったな)
と。
台風が去った後の様に落ち着く場の雰囲気。そしてその余韻と言うか、半ば呆然としてしまっている男に向けて。
「お前、大変そうだな」
「い、言わないでくださいよ……悲しくなるんで」
そうベイパスは言い、男も応じるのだった。
そしてベイパスは離れていく魔女の背中を視線で追った。
「ふっ。にしてもそうか……あれがお前の行動原理って訳だ」
「はて? 何の事やら」
そして流し目を向けて問おうが、その男はいつもの如く誤魔化すのだった。




