23:逃亡の勇者
その男、剣士ラゼルは肩で息をしていた。
現勇者の師にしてかつての勇者パーティの一員であるその老人。
息切れをしたその姿に普通なら心配の一つもされようものだが、その周囲に目を向ければむしろ恐れ慄く事だろう。
その老人の周囲にはバラバラに切り刻まれた悪魔の血肉が散らばっていた。
夥しい量だ。その肉片からも伝わる禍々しさ、肉片の大きさ。おおよそ下級の悪魔でない事は安易に分かる。
「ほうほう。……最も警戒すべきは貴殿であったようだな。剣士、ラゼルよ。まだまだ現役のようだ」
と、そこに現れる新手の男。
鼻から上を覆った仮面。仕立ての良いタキシード。長身で体格のいい男だ。
「バラン……久しいの。会えても嬉しくないが」
「相変わらずつれない男だな。我輩の方はこんなにも好意を寄せてるというのに」
そんな一見他愛ないやり取りをする二人。
だがそこに一ミリも穏和な雰囲気は無い。
「勇者は何処へ行った?」
「教えるものか」
悪魔は外壁の方へと視線を向ける。
「この方向は北西……そうか。帝国を目指すつもりだな?」
老人は答えない。
この国の北にはレクタリア帝国が位置する。東の戦線に援軍を送る大国だ。
あそこに亡命するつもりなのだろう。
「うむ。今から確実に向かって殺せるのは我輩だけだろうが、我輩はしたい事もあるしな」
そう呟く悪魔。
「にしても、哀れなものだな。自分以外の全てを犯しつくされるなど、いっそ死んだ方が良かったろうに。あの者が自分以外の全員の仲間が死んだと知った時、一体どんな顔をするのか楽しみではないか?」
その言葉で老人は三人の勇者パーティの仲間が死んだ事を理解する。
「おっと! そういえば貴殿はそのいっそ死んだ方が良い経験をしておるのだったな! どうだ? どんな気分だった? どんな顔をした? それを愛弟子に味合わせる今の気分はどうだ?」
「下種め」
ひゅんっ、と刀を振るう。
余裕をもって避けた悪魔。最も、それは素人には知覚できない程の速度だが。
「無理をするな、ラゼルよ。お前の闘気も魔力も既に殆ど無いのは分かっている」
「だったら何故殺さん。悠長にお喋りにでも来たのか?」
「ふむ。本当につれない男だな。少しは先代の勇者の事が気になるかと思ったのだがな」
その言葉に老人は動きを止める。
「フッ。やはり少しは気になるようだな」
「黙れ」
また刀が空ぶる。
「それが返事か。ではすぐにでも殺してやろう!」
その瞬間、老人の首から血飛沫か上がった。
「な、何を」
面喰う悪魔。
老人は自ずから刀で首を掻っ切ったのだ。
「お前に殺されるくらいなら、自分で死ぬわ!」
そう言ってひと思いに刃を通す。
大量の血飛沫が宙に舞った。
「す、ま……ぬ、な……ヘル、ン……よ」
その言葉を最後に老人は息絶えた。
「……見事であった。剣士ラゼルよ」
どこか喪失感を感じながら、その悪魔は呟いた。
その時王都中を照らし出す様な大爆発が王城の方で起こった。
衝撃にガラスが割れ、爆風がここまで届いて来る。
「アルラの奴め……だいぶ派手にやっている様だな」
その爆発を見届けて悪魔は呟いた。
「さて、今宵は勇者を諦め、我輩はそろそろあの作業に移るとするかな」
そう言って、悪魔は空中へと翻った。
〇
その勇者は外壁に沿って南西に回り、王都から離れていた。
師匠との会話はブラフであり、最初から後に何を言っても南西に向かうよう言われていたのだ。
「なんで! なんで逃げるんだよ! ヘルン!」
「ぐっ」
飽きもせず肩の上で暴れるライナの拳がヘルンの頭に当たる。
無理やり担いで逃げていたヘルンは王都も随分離れた事からライナを降ろす事にした。
「ヘルンならあいつら倒せるだろ!? 何で」
その時漸くヘルンの顔を見たライナは言葉を途中でやめる。
ヘルンは泣いていたのだ。
「すまない」
肩を寄せ、ライナを抱きしめたヘルン。
呆然となるライナ。
「俺には、まだ……奴らに対抗できる力がない」
止めどなく涙を流しながら、嗚咽を押し殺した声で言うヘルン。
抱擁をやめてライナと目を合わせる。
「ヘルン……爺ちゃんは? ライナ達は?」
「……皆なら、きっと大丈夫さ」
半ば自分に言い聞かせるヘルン。
既に幾度となく行った、戻るという選択への葛藤が生まれる。
だが『聖杯の祝福』を持つ自分が今死ぬわけにはいかないという事と、ライナの事もあって逃げる選択をしたのだ。
「師匠の強さはライナも知ってるだろ? それに、俺の仲間だってすごく頼りになる奴らだ。きっとすぐ追いつくさ」
その言い聞かせにライナは押し黙ってしまった。
言った本人が納得していないのに説得しようなど、無理な話なのである。
「それに……今日の借りはいづれ必ず」
その時、王都の中央で凄まじい爆発が起こった様で、二人は照らし出された。何拍か遅れて届く轟音。
ギリッ、と音が鳴る程ヘルンは歯を食いしばる。
ヘルンは思う。あの時師匠が口にしていた人物の名前を。
恐らくは今宵の指揮官である敵将の名前を。
「バラン……お前は必ず、俺が討つ!」
爆発に照らされて、滅びゆく一つの町を睨みながら、その勇者は告げた。
〇
「――終わった、のか……?」
アドラは途端無音になったこの場で言葉を発した。
結果は一目瞭然なのだが、余りに一瞬の結末で半信半疑となった。
「ええ。終わったわよ」
空中に居た魔女、アウラが滑る様に滑らかな所作で降りてくる。
「人間に心臓は二つも無いわ」
「そ、そっか」
地に降りたアウラの言葉に納得する。
アドラは自身の身に降りかかるダーク・ウェイトをある程度同調させ、膝立ちくらいはできていた。
「せ、先生ぃ~! 私のピンチに来てくれたんですね! ありがとうございますぅ~!」
アルラも立ち上がる気力は無く、膝立ちでアウラに触れるギリギリまでにじり寄った。
「どういたしまして。それにしてもアルラ、ボロボロね。その様子じゃ、水薬を使い切ったみたいね」
「は、はい! 助かりました! 体力水薬を開発してしまうなんてさすが先生です! で、できれば、もう一瓶欲しかったなぁ~なんて思いましたけど」
最後頬を掻いて言うアルラ。
「ダメよ。回復水薬が体力を代償とする様に、体力水薬も何かしらの代償を必要とする。この場合、きっと生命力そのものね」
「そ、そっかぁ~」
「暫くはうちで安静にしなさい」
その時、アルラに激震が走る。
「やったー! 先生とお泊りだー!」
「んおぅ」
感極まって抱き着くアルラ。衝撃に声を零すアウラ。
「まったく。まだまだね」
アウラはアルラの頭を優しく撫でる。
(はぁ~、好き! 大好き! 先生、一生付いていきますぅ~!)
(あ、姐さんの目がハートだ……)
熱い眼差しを向けるアルラに若干引くアドラ。
アウラはアドラへと視線を向ける。
「久しぶりね。アドラ。また少しおっきくなったかしら?」
「え、へへへ。そうですかね?」
アドラは照れて後ろ髪を掻く。
「にしても、何でアウラ様がここに?」
「ん? それは当然あなたたちを助けに来た訳だけど……。それより、私もこの距離に来て漸く気づいたわ。その指輪、あなたが付けてたのね」
と、アルラの目はアドラの手元に向けられる。
「あぁーー! ち、違うんです師匠! これは、その、あの、ねねね、念のためと言いますか、その……と、とにかくアドラ! 早くその指輪返しなさい早く!」
「えぇーー。これくれるんと違うんですか?」
「そんな訳ないでしょう! ほら早く!」
「殺生なぁ」
アドラは渋々指輪を外した。
「ご、ごめんね? この埋め合わせはちゃんとするから」
そう言われては納得する他あるまい。
その様子を眺めていたアウラ。
「付けられそうもないからアドラの分後回しにしてたけど……。そう。付けようと思えばできたのね」
「今回はたまたまですけどね」
「うん。でもこの際だしあなたの分も作っときましょう」
「えーー? 先生と私の繋がりって感じしたのにぃ」
「まぁまぁ、いいじゃない。ファミリーリングって事で」
「ファミリー……」
呟くアドラ。
「そもそも、この指輪は?」
「あら、聞いてない? この指輪はペアリングでね、付けると互いの位置を把握すると共に、残り魔力が二割を切ると知らせが届く様になってるの。だから私がこのタイミングで来たって訳ね」
なるほど、とアドラは納得する。
「ん? となると、姐さんがそれをあっしに渡したのは……」
「べ、別にあんたの事なんか心配した訳じゃないわよ! 弱っちぃあんたがくたばってちゃ目覚めが悪いだけよ!」
「そ、そっすか」
勢いに気圧されるアドラ。
「こーら。そんな事言わない」
「今のはほんの冗談ですよ~う」
言いながらアウラのお腹へと顔を埋めたアルラ。
(はー、やっば。めっちゃいい匂い)
「ところで、先生呼びに戻ったのね?」
「ダメでした?」
「いいえ。そもそも師匠ってのもあなたが勝手に呼んでるだけでしょう?」
「んー、好き!」
「んぉ」
またも抱き着くアルラ。最早会話の流れはどうでもいいようだ。
「さてと。そろそろ帰ろうかしら。せめてレフトの遺体を火葬してからにはなるけど……。アドラも来るでしょう?」
「え! いいんですか!?」
「んぅ? ダメな理由でもあったかしら?」
疑問そうな顔をするアウラ。
(アウラ様のアトリエなんていつぶりだ? 久々にお邪魔したい気持ちはあるけど……)
アドラは何とか同調を立ち上がれる程度まで完了させる。
「いえ。一応任務中なので、やめておきます。姐さんが帰る以上、あっしは残った方が良いでしょうし」
「ん。そう」
アドラの言葉にアウラは一つ頷く。
「周囲に強そうな人の気配は無いし、まぁ大丈夫でしょう」
そうアウラは周囲を見る事も無く言う。
「じゃあ、そろそろ」
「ええ。頑張ってね。でも無理しちゃダメよ?」
ペコリと会釈して、アドラはその場を去るべく背を向ける。
「あ、ま、待って」
と、アウラへの抱擁をやめたアルラが引き留める。
その様子にアウラは無言で二人を置いて、騎士レフトの遺体の元へと歩き出した。
「うぅ、その……た、助けに来てくれた事、凄く嬉しかったわ」
アルラは頭を垂れて言葉を紡ぐ。
見上げられないのは決して体力の限界が近い事だけが理由ではないのだろう。
「まぁ、あっしもボコされちゃった訳ですけども」
「ふふっ。そうね。……でも、嬉しかったから」
道化師らしく、冗談を言ったアドラにアルラは自然な笑みを零した。
変に入っていた肩の力も抜け、アルラは目の前のアドラを見上げると言った。
「ありがとう」




