2,
祖母が老人ホームへ入所したと聞いたのは、のり子が小学6年生の時でした。
「認知症って?」
祖母は認知症が進んできたため、自宅で介護が難しくなりホームへ行ったとのことです。
「簡単に言えば、ボケてしまうことよ。最近体も弱ってきて歩かなくなってきたから」
のり子の母が教えてくれました。
いつも背筋の伸びた、大好きな祖母がボケてしまう。それはのり子にとって衝撃でした。
人間はどうしてボケるのだろう。多くの高齢者は認知症などによって記憶が曖昧になっていく。それはなんとなく理解できます。でも、それにはきっと何か意味があるのではないか、のり子は聡い子ですから、そう考えました。
母の話では、昨日のことも思い出せないことがあるそうです。
「じゃあもう、私のこと忘れちゃったかしら」
「そうねえ、のりちゃん最近背ものびたし、どうかしら」
恐れのような焦りのような何かが心に広がりました。
のり子はまだ、死を知りません。
人間が生きるということは、死へ向かうということは何だろうと、その時初めて一生懸命考えました。
次の日、のり子は祖母のいるホームへお見舞いに行きました。
「あら、のりちゃん」
部屋で寝ていた祖母は、すぐに気づき起き上がりました。
それを見たのり子はホッとしました。全然ボケたようには見えません。まだ祖母は生きられる、そう思いました。
でもそうではありませんでした。
祖母はしっかりと話をしているのに、手先が小刻みに揺れていました。体を起こしているのもおぼつかないようです。のり子が来たから無理をしているのかもしれません。
「おばあちゃま、疲れたでしょう?」
「大丈夫よ。のりちゃんが来てくれたから嬉しくてね」
初孫ののり子に厳しかったあの祖母は、すっかり丸くなってしまい、まるで普通のおばあさんのようでした。
「おばあちゃま、ちゃんと食べてる?食べたいものとかない?」
痩せた手をさすりながらのり子が聞くと、祖母は首を振りました。
「もうこの年になると、食べなくなるのよ」
「食べなくなるの?でも」
「そういうものなの」
だからと言って、生きているのに食べないわけにはいかないでしょう。のり子にはよくわかりませんでした。
それで家に帰ってから、祖母はどうして“食べない”のかを考えました。
記憶が難しくなった祖母。昨日のことも忘れてしまうようになったり、新しいことは覚えられなくなったりするのです。
食べなくなって、手足が細くなった祖母。
欲もなく、ただのり子が顔を見せることだけを喜びました。
のり子は気づきました。それが人生の終わりなのだと。
人は何も持たずに生まれてきて、何も持たずに生を終えるのだと。そんなことが漠然と分かった時、のり子は決心しました。
小学校入学をお祝いしてくれた祖母に倣い、人生を終える祖母に贈り物をするのです。
のり子は準備をすると、祖母のホームへ行きました。
「おばあちゃま、今日は私からおばあちゃまに贈り物があるの」
のり子は部屋に入ると早速祖母に話しかけました。
祖母はその日も、のり子の姿を見るととても喜びました。
「贈り物?」
「そうなの。私、おばあちゃまのお家に行ってこの籠を借りてきたの」
そう言いながら、のり子はベッドテーブルにあの六つ目籠を置きました。
「あらまあ」
それからのり子はあの日の祖母のように、中くらいの籠に花を飾りました。折り紙や包装紙で作った花でした。
「まあ、綺麗ねえ」
「中くらいの籠は心の贈り物です」
「そうね、よく覚えていたわね」
のり子は次に、大きな籠に果物を入れその真ん中に小さな器を置きました。
「果物はね、食べたいときに食べてね。でもこれは今、食べてほしいなあ」
「これ?プリンね?」
「うん。のり子が作ったのよ」
「まあ、のりちゃんが?それは食べなきゃね」
祖母はそう言うと、スプーンを持ってのり子の作ったプリンを食べました。
「とっても美味しいわ」
「大きな籠は身体のための贈り物です」
「そうね。美味しい物は身体に良いのよ。ありがとうね」
それからのり子は、小さな籠に空の器を入れました。そしてその周囲に、のり子の家族の写真を置きました。
器は空っぽです。
「小さな籠はおばあちゃまにとって大切な贈り物です」
空っぽの器を見て、祖母は微笑みました。
それは、あの日の凛とした祖母の顔でした。
「素敵な贈り物をありがとうございます」
そう言って、祖母は深々と頭を下げました。
祖母はのり子の贈り物の意味がわかっていました。
この世の歩みを終えるまで、祖母は少しずつ大切なものを手放していくでしょう。その大切な物を、祖母はその空の器に入れていくのです。
すべての物を手放したとき、祖母は生を終えるでしょう。
それまでのり子は毎日祖母の元を訪れては、懐かしい思い出話をして過ごしました。それが、祖母にとっては何よりの贈り物でした。
お読みいただきましてありがとうございました。